見出し画像

お風呂屋さんと私

教習所の帰りに、お風呂屋さんの車を見つけた。
お風呂屋さんというのは、私の家での通称で、訪問入浴のことである。
湿度の高い日の夕方に、3人の先鋭たちが車に乗っていた。
その顔つきは、とてつもなく、かっこよかった。

お風呂屋さんを見つけた帰り道、私は頭の中がぐわーっとして、胸がバクバクした。急いで帰って、今パソコンを開いた。そうだ、noteを書こう。

この思いつきは、縦列駐車がうまくいったからかもしれないし、今日があいにくのガールズデーだからかもしれない。
珍しく、私は思いのままに文字を打ち込んだ。

お風呂屋さんの存在

お風呂屋さん。
これは、つい数年前まで祖父母のお家に来ていた女性のことを指す。
介護保険を利用してヘルパーさんを呼べるのに、頑なに知り合い以外の人に頼ったり、家のことをやってもらったりしようとしなかった祖母が、唯一家にあげた人。それが、お風呂屋さんである。

週に何回だったか忘れてしまったけれど、お風呂屋さんは昼過ぎにやってきて、祖父の入浴介助をする。暑い夏も、寒い冬も。
いつも笑顔で、サッパリしましたね、と声をかける彼女を見て、私はその時何も思わなかった。福祉を志しながら、ああ、また来たんだなと何も感じなかった自分は、なんて薄っぺらい人間なんだろうと、今になって思う。

祖父母のケアプランなんて、途中で複雑になった家族ですくすくと育った私は、見せてもらえなかった。(今も見せてもらえていない)
でも、今思い返すと、病気で倒れた後の祖父の暮らしには、たくさんの人や機関が関わって、祖父の望んだ自宅での生活を叶えていたんだと気づく。

今日、お風呂屋さんを見かけて、のうのうと生きている私は、あれ、おじいちゃんって今お風呂屋さん来ていたっけ?と思った。
そうだ、私のおじいちゃんは2年半前に亡くなったのだった。

薄情な孫と、全てを見透かした祖父の眼

大学に入る直前の冬、初めて祖父母が入居した有料老人ホームに足を運んだ。同じ市内なのに、車がない私の家族には不便な場所だった。
祖父は怒っていた。自分が入居を望んだはずなのに。

スタッフの方々に対することは、何も言わなかった。ただ、自分で望んで、父に頼んで入ったその環境に、体につながっているカテーテルに、痛い、辛いと怒っていた。

私は宥めることしかできなかった。得意の曖昧な笑みを浮かべながら。せめてものと思って、部屋についてる洗面台の鏡の前で祖父の肩を揉んだ。祖父は喜んだ。その鏡に映る自分の表情は、気色が悪かった。帰り道、母は私のことを褒めた。えらいね、と。

祖父は全て私の思いを見透かしているようだった。
でも、何も言わなかった。

1年が過ぎ去って、秋が深まる頃に祖父は亡くなった。
私は泣かなかった。泣けなかった。

お風呂と祖父と私

お風呂と祖父と私には、切っても切り離せないつながりがある。

病気で倒れた祖父の第一発見につながったのは、私の電話であった。ゴールデンウィークのある日、落花生の種を父と庭に埋めていた私は、足りなくなった種の余りをもらおうと、祖父に電話をした。

電話に出た祖母は、お風呂に入っているところよ、と私に言った。
でも、ずーっと入っていて出てこないのよ、と祖母は気づいた。おかしいと思った祖母がお風呂の扉を開けると、祖父は倒れていた。

それからというもの、入院してリハビリをして自宅に戻った祖父は、「あやに命を救われた」と何度も繰り返した。あの時私が落花生の種なんかで電話をしなかったら、祖父は助からなかったかもしれないと、祖母にも言われた。私は嬉しかった。人の命を救い出したのだと、得意げだった。

でも、私は祖父を苦しみから救い出すことはできなかった。人工呼吸に生かされたあなたを前に、私は目を合わせず逃げ出した。

それから2年半が経ち。
今日、お風呂屋さんを見かけて、祖父との思い出が頭の中を駆け巡った。

全てを見透かしたようなあの目は、時には苦手なこともあったけれど、なんでも一生懸命やりなさいと、私に大事なことを教えてくれた祖父の言葉は、私の胸に生きている。

私と祖父を繋ぐお風呂にまつわる思い出。