遠藤周作と「母なる神」

 時間を見つけては少しずつ遠藤周作を読み直してみているわけだが、今回の再読で改めて発見したことがある。それは、日本人にキリスト教を伝えようという彼の熱心さである。

 おそらく遠藤文学愛読者の多くは『沈黙』を入り口として、『わたしが・棄てた・女』や『女の一生』などのいわゆる「軽小説」群やエッセイ集を通り、『侍』や『深い河』などを読んでいくだろう。そうすると一般的に見えてくるのは、愛の宗教としてキリスト教を提示した作家(『沈黙』や『死海のほとり』など)から、「どんな宗教でもゴールは一緒だ」という多元的宗教観を提示した作家(『深い河』)へという道のりだ。

 しかしこの2年ほど、遠藤文学を何度も読み返しているとわかってくるのは、遠藤周作というのはたとえ「どんな宗教でもゴールは一緒だ」と言っていたとしても、彼自身としてはキリスト教(カトリック)にとてつもないこだわりを示していたということである。たとえば『「深い河」創作日記』などを読むと、彼の「主」への祈り、カトリックのミサへの愛着などが見えてくる。『深い河』が実はそうしたカトリシャン遠藤の「祈り」の中で築かれたものだということを念頭に置いて読み直してみると──本稿の主題ではないので詳細は省くが──実にカトリシズムの味わいが濃い小説だと思えてくるのである。

 そして、彼は周囲の親しい友人にはカトリックを薦め続けた。彼の死後に文藝春秋より出版された追悼文集『遠藤周作のすべて』を読むと、彼にカトリックへ「勧誘」されたというエピソードが目立つ。遠藤周作というと、むしろ「無理矢理受洗させられた」彼自身の悩みや、「日本人である自己とカトリシャンとしての自己の相剋」といったものが文学的テーマと捉えられがちであり、実際そういう面も確かにあるのだが、しかしそれだけでは、彼がカトリックの「布教」にも熱心であったことの説明がつかない。親しい友人にカトリックを薦め続けたことの背後では、彼自身がカトリックに対して何かしらの〈カトリック〉(普遍性)を確信していたはずなのである。

 こうしてみると、自身がある宗教(しかも異国の宗教)を信じ、そこに根差して文学を展開したという意味では、遠藤が「宗教と文学」というテーマにおいて成し遂げたことは紛う事無き偉業であるといえる。しかしクリスチャンとしてぼくが問題としてしまうのは、遠藤が日本人に伝えようとして文学的に展開してきた神観というのが〈父なる神〉ではなく、あくまで〈母なる神〉であったという、ここに尽きるのである。

 遠藤周作の宗教論として大変に有名なのが、「母の宗教」という概念である。彼はある時期から、至るところで「日本人にとっての宗教というのは、どこまでも赦しを与えてくれる母性を求める宗教だ」といった意味のことを主張しはじめた。そこで一般的にまず思い当たるのが、『沈黙』で踏絵を踏むことを迫られた主人公の司祭に「踏むがよい」と声をかけたキリストの姿である。しかし批評家の武田友寿は、「母の宗教」という概念は『沈黙』に発芽が見られるものの、まだ充分に形成されてはいないと論じる(『「沈黙」以後──遠藤周作の世界』)。彼によれば、むしろ発端は江藤淳による『沈黙』批評であった。江藤はここで(おそらく文学評論のなかで初めて)遠藤文学における母性的キリスト教観を指摘した。遠藤はここから刺激を受けて〈母なる神〉というテーマを認識し、それを形にすべく自己の文学的テーマの中心に据えていったのだ、と。事実、「母」というテーマの発芽は『沈黙』以前の諸短篇にも見られるものの、それがはっきりと中心的テーマとして提示されるのは『沈黙』以後の「影法師」「六日間の旅行」「母なるもの」といった短篇群においてである。

 そして遠藤は、江藤の批評後に発表したエッセイ「父の宗教・母の宗教」にて、この問題を明確に、しかも自信をもって語る。彼はまず正宗白鳥がキリスト教を厳格な「恐ろしい」宗教と考えていたことについて触れた後、今やあまりにも有名な次の文章を紡ぐのである。

断っておくが基督教は白鳥が誤解したように父の宗教だけではない。基督教のなかにはまた母の宗教もふくまれているのである。それはたとえばマリアにたいする崇敬というかくれ切支丹的な単純なことではなく、新約聖書の性格そのものによって、そうなのである。新約聖書は、むしろ「父の宗教」的であった旧約の世界に母性的なものを導入することによってこれを父母的なものとしたのである。

 上記の文章に示された「新約聖書の性格そのもの」が「母性的」であるという確信は、彼の聖書研究(『イエスの生涯』『キリストの誕生』)によって、さらに深められていくことになるのは周知の事実だ。そして、彼はこの新約聖書の性格が日本人の求める「母の宗教」に寄り添うものであり、自分はそういう神を信じるのだ……ということが、後年幾度も発せられることになる。

 遠藤がカトリックの伝統に深く根差して文学を展開したということには大いに感嘆させられるも、プロテスタントの信者、それも保守的な福音派の信者としては、ぼくはやはり「母の宗教」という概念、さらに深化させられた「母なる神」という概念には、困惑せざるをえない。

 福音派に属するクリスチャンの多くは、まず遠藤の聖書観そのものに馴染めない。新約聖書は確かに慈しみ深い神を強調するのだが、それが旧約聖書に全く見られないのかといえば、そうではない。旧約聖書にもまた慈しみ深い愛の神のイメージがある。また新約聖書には旧約的な厳格な神のイメージが見られないかというと、そうではない。新約聖書にもまた、厳格な神のイメージは豊かに表されている。してみると、旧約も新約も、それ自体をプレーンに読んでみるならば得られるのはあくまで「父母的」な神のイメージであり、どちらかだけを強調しすぎるというのは語り手のバランスの欠如である──これが、福音派のなかで多くの同意を得られる見解であろう。

 しかし、ぼくはここでこういう神学的な議論をしたいわけではない。むしろ、もっと根本的な疑問が浮かんできて仕方ないのだ。その疑問とは、遠藤がいうような母性を強調する宗教観が、今の日本ではどれだけ通用するかということである。

 遠藤のいう「母性」への思慕というのは、21世紀に生きる日本人──特にぼくらのような青年にとって、どれほど実感できるものなのだろうか。またこの「母性」への思慕は、男性だけでなく女性にもいえることなのだろうか。ぼくの実感としては、プロテスタントの教会というのは女性信徒が多い。これは統計資料からもいえることのようである。『データブック 日本宣教のこれからが見えてくる』(いのちのことば社、2016年)によれば、プロテスタントの教団である日本キリスト教団および日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団ともに、男性比率は30〜35%だ。これは、どういうことを意味しているのだろう。プロテスタント教会が説く宗教の「父性」が強いため、女性はそれを受け容れやすいということなのか。だがそれでは、あまりにも印象に依存しすぎた性急な結論だと思われる。やはり多くのクリスチャンがキリスト教に惹かれたきっかけは、「母性」ではない、あるいは「母性」以上の何かなのだろうか……。

 どうも遠藤は、この「母性」を強調したキリスト教こそが「日本人にもわかるキリスト教」だと考えていた節がある。そして遠藤を支持する人々は、それが画期的な「日本的キリスト教」のモデルであるかのように称賛する。しかし、それは本当なのだろうか。これは「日本人にもわかる」類の普遍性を有した宗教観なのだろうか。「母なる神」を論じる遠藤の文章に触れる度、この点について同じ聖書観を持ったクリスチャンから、いやクリスチャンでない人々からも、意見を聞いてみたい気がする。


 私事で恐縮だが、ぼくの場合、クリスチャンになるに当たって、確かに罪深いぼくを赦してくれるという神の「優しさ」に惹かれたのは確かだ。しかし、イエス・キリストを信じた後、神が「父」であることに悦びを感じたことが、今の信仰の土台となっている。ぼくは父親との関係があまりうまくいっていなかったので、父という存在にはどうにも抵抗があり、故に「父なる神」という呼び方も、あまり好きとはいえなかった。

 しかし、地上での親子関係というのは、神と自分との「まことの親子関係」の写し絵であるということを教えられたとき、本当に肩の荷が下りたような思いになった。神はぼくの完璧な「父」である。ただやみくもに怒るのではない。子供への愛と赦しもありながら、その愛ゆえに、本当に必要なときに、暴力的でないふさわしいやり方で矯正しようとしてくださる父。だからぼくは地上での父子関係から神を考えるのではなく、神との関係から父子関係を見つめ直すべきである。この教えが心に触れたとき、ぼくは神が「父」であるということを心から受け容れられた。そして、この「父」像から肉体的父親を考えたとき、彼の苦悩もわかり始めたし、彼と和解しようと歩み始めたのである。

 だが遠藤が書いたものの場合、彼がいかにキリスト教が「父母的」だと字面では主張していても、面に出ているのはあくまで母性であり、そこに父性は感じられない。これは、遠藤が晩年まで、母親を棄てた父親を憎み続けたことに起因しているのだろう。

 彼は生涯の中で比較的健康で、また人生経験も豊かになっている50代に至るまで、「母なる宗教」というテーマを熾烈に追求し続けた。しかしその後は、いくつかの病を併発し、最後まで闘病生活を続けていくことになる。さらに、『沈黙』以後のテーマの成熟ともいうべき『侍』を上梓した後、彼は『深い河』執筆の初期段階まで、初期作品にも含まれていた「悪」という問題に回帰したのである。この「悪」の問題も大変重要なテーマではある。しかし本来ならば、彼の聖書世界探究はキリスト教の母性的側面を深めた後、今度は父性的側面にも切り込み追求していくことでより深められたのではないかという気がする。

 結局、遠藤は『スキャンダル』上梓後に「悪」の問題に切り込むことへの限界を感じ、また母性的キリスト教を前面に出した『深い河』を生み出すことになる。だが、もしも彼が晩年に父親と和解した後にまだ体力も充分にあり、聖書世界の探究をより深めていけたとしたならば、父性的側面の再発見がなされ、文学における「父母的」カトリシズムの受肉化が成し遂げられたのではないか。もはや考えても仕方がないことではあるが、やはり「父母的」と言いつつ父性が完全に抜け落ちた遠藤のキリスト教を思うとき、ぼくは残念でならないのである。