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働いて生きていたかった②
自分は一生働いて生きて行くんだろうな、と、何となく思っていた。
二十代半ばの頃には、はっきりとそう考えていたと思う。それはつまり、この先結婚して家庭に入ることはないだろうな、という予想でもあった。当時、姉が結婚して姪を出産したこともあって、親に孫の顔を見せると言うミッションはとりあえず姉が片付けてくれた、という感があったのだ。
結婚する必要も、見通しもないのだから、働き続けるんだろうな、と、自然と思った。
別に仕事が大好きで、働きたくてたまらなかったわけじゃない。朝起きるのは億劫だし、月曜日が来るのは憂鬱だし、人間関係はうまく行かず、思うように評価される事もなかった。
それでも、転職も繰り返していれば、そのうち居着ける所もあるだろう。仕事なんて選ばなければいくらでもあるんだし、なんてことを、当たり前のように考えていたのだった。
何度目かの転職で入った会社に、姉と同じ齢の独身女性がいた。仕事上での関わりはなかったのだけれど、喫煙者だった彼女とはよく喫煙所で顔を合わせていた。それも終電ギリギリまで仕事をするような夜中、さすがに疲れた顔つきの彼女は、たまにこんな事を話した。
「あたし、今は稼げるだけ稼いで、お金が貯まったらすぐリタイアするって決めてるんだ。それまでの我慢だと思って、今は働いてるの」
部下をねちねち責める上司、裁量労働制と言う名を借りたサービス残業、今思えばその会社はブラック企業そのものだった。それでも、当時は私も仕方ないと思っていた。仕事なんだから、みんな何かしら我慢しているんだと。
うつ病を発症したのは、諸々の事情でその会社を辞めて、次の会社に入った数か月後だった。
仕事をしている最中ふと、「私は何をしてるんだろう」と言う言葉が浮かんだ。次の瞬間、ぼろぼろと涙が出てきて、止まらなくなった。同じようなことが日に何度も起こるので仕事が手に付かなくなって、そのうち、朝目が覚めても体が重くて動かなくなった。
その後の紆余曲折はまたそのうち書くとして、ほとんどクビ同然で会社を自主退職した後、私は数年を家に引きこもって過ごし、重度のうつ状態と診断された。
薬物治療と精神療法、リハビリを重ねても、疲れやすさや対人不安などの症状はなかなかなくならない。フルタイムで働くのは当分無理だろう、と言うか、おそらく一生無理だろう。
きついパンプスを履いて靴擦れを我慢しながら駅まで走ることも、もうない。だからと言って、結婚して子どもを生むこともない。「働くか、結婚するか」の二択しかないと思っていた世界には、「たった一人で、働くこともできなくなる」という、落とし穴のような三択目があったのだった。
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