意識と言う名の病
うつ病の治療を始めて最初に処方されたのは、SSRI(抗うつ薬の一種)と少量の抗精神病薬だった。 その頃の状態は最悪で、私は「もう死ぬしかない」「みんな私が早く死ぬことを望んでいる」という妄想的な想念に、24時間絶え間なく、頭の先までどっぷりと浸かっていた。 そんな「死にたさ」に薬なんて効くはずがないと思っていたけれど、それでも他に選択肢もなく、出された薬を毎日飲み続けた。
薬はさっぱり効く気配がなく、次の日も、その次の日も、相変わらず生きているのが辛くて、死にたくてたまらなかった。毎日わけもなく泣いていた。
ほんの少し変化が現れたのは、確か薬を飲み始めて、一週間ほど経った頃だったと思う。
当時、せめて体力が落ちないようにと毎日同じルートを散歩(というか徘徊)していたのだけれど、道路を渡るために歩道橋の階段を上がっている時、ふと、足元に何か色が付いているのに気がついたのだ。
それは、ずっと前からそこにあったはずの、滑り止めの黄色いタイルだった。こんな色だったっけ?と思いつつ、顔を上げて周りをよく見ると、歩道橋自体も、それまで見た覚えもないような明るい水色をしていた。
昨日まではそんなこと全く意識もしていなかった。というか、周りの物に色があるということ自体を忘れていた。それが今や、あらゆる物が、モノクロからカラーになったかのように新鮮に見えた。
そんなふうに「色の認識」が戻ってきたことが、私の回復の一番初期の段階だった。
その後、何度も浮き沈みを繰り返したものの、ある程度症状が安定してから、また少しずつ薬の調整をして、今は朝にSNRI(同じく抗うつ薬の一種)と、ASD(自閉症スペクトラム)の過敏性を抑えるための薬を少量、夜にSSRIと不眠症治療薬を内服している。
これは完全に個人的な感想なのだけれど、SNRIは私にはとても良く合う薬だった。まず、気持ちが揺れた時に勝手にドボドボと涙が出てくると言うことがなくなった。不安になる頻度も減って、気分の切り替えもなんとか自分でコントロールできている。
本を読むのにも集中しやすくなり、前に読みづらくて断念した本でも、最近また読めるようになったりした。治療としては、一歩どころか、二歩三歩くらいは一気に前進したような感じだ。
だけれど、それでも時々ふっと、何もかも無意味に感じるときがある。
ある時は電車が通過するアナウンスを聞きながら、ある時は目の前を走るトラックを見送りながら、「今、飛び込んだら死ねた」と淡々と思う。
一方、行動に移さないだけの理性もちゃんと働いていて、頭の中はいたって静かだ。
死について考えても、悲しくも怖くもない。 涙も出てこない。 きっとそれも、薬の効果なんだろうと思う。
それは良いことなんだろうか?
多分、良いことなんだろう。
死なないことがある種の公益だと考えるなら。
34歳で亡くなったSF作家の伊藤計劃氏は、がんの治療中何度となくうつ状態を経験し、その際、安定剤を服用したときの自分の感覚を元に、高度医療福祉社会で人間が自由意思を失うディストピア小説『ハーモニー』を書いたそうだ。 治療について、本人の言葉もいくつか残されている。
SF愛好家であり、精神科医の風野春樹氏は、その苛立ち、怒りについて、「彼は感情というのはテクノロジーや化学薬品により変容しうるものだということを実感している。しかし、それを受け入れるのではなく、そのことに苛立ちと怒りを感じている自分もいる。これはつまり、自分のものであるはずの感情が、たかが薬でなくなってしまうことへの実存的な怒りだろう」と分析している。
からだは物質だ。意識は物理現象だ。 薬剤でコントロールできることこそ、その証拠だ。 ただそれだけであるはずなのに、人間はただそれだけではいられない。
それなら「わたし」は何のために存在するのか。 いや、「わたし」という意識が特別だと思うことがそもそもの間違いなのか。
そういえば、児童文学を原作とする『ギヴァー 記憶を注ぐ者』というSF映画でも、超管理社会で感情や色彩感覚を制限された人間たちが描かれている。この作品では、コントロールされた人類が見る風景はモノクロで、そこから解放された者の見る世界がフルカラーで演出されている。
「色は差別を生む」「感情は争いを生む」。
それでも痛みのない平穏より、痛みと争いに満ちた自由を望んでしまうのが、人間性というものなのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?