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ライブという希少性

こんにちは。

多くのウェブサービスが普及して久しい昨今ですが、AI技術も一般汎用が進み、さらにサービス展開は拡大し続けていますね。
今後多くのサービスが自動化すること明らかであり、伴って多くの仕事がなくなるのではないかと話題になることも珍しくありません。
現代における仕事の種類は、言うまでもなく数多存在しており、どこからどこまでがAI技術で網羅できるのかはまだ未知な部分も多いと思いますが、いわゆる単純作業や事務連絡がメインの仕事においては侵食してくる範囲は多いのではないかと素人ながらに感じております。
一方、建設作業含める肉体労働とも言える仕事、もしくは肉体労働とまでは言わずとも手に職を持っているような技術を駆使してパフォーマンスをする仕事については簡単に取って代わるような開発はまだ少し先になるのだと感じています。
とは言えそれも時間の問題かもしれませんが。
ただ、作業としては単純かもしれませんが、状況が毎回異なるために微調整が必要であるそれらのような仕事に対応するためには、かなりの精度が求められることとなるでしょう。
そして、その微調整をするのに最も安く、的確に対応するには人が1番適しているということです。
残念ながら、そのような仕事のほとんどが古くから存在することや、やりたい仕事としては人気もないため、あまり良い評価を受けていないことも事実だと思います。
私が携わる建築も漏れなくその類であり、今更もっと評価されるべきだとも思ってはいませんが、今後図らずとも仕事としての希少性が高まるのではないかとささやかに期待する面もあります。

第一次技術革命で工業化が本格的に始まり、第二次でエネルギーの活用が進んだために生産量が格段に増えました。
第三次ではコンピューターにより、複雑で時間のかかる作業は単純化され、第四次でAIなどにより高度な知的活動が実現することになるでしょう。
しかしどの段階においても消えなかった産業の中でも、その場の体験を実現する仕事というのは、これからも無くすことは出来ないのだと思います。
もちろん詳細な業務の節々では、自動化・単純化が進むのは間違いありませんが、先にも言いました微調整が必要であり、むしろ微調整にその仕事の存在価値があるものは、そこに一種の体験をもたらすことが出来ると思います。
わかりやすいところでは音楽アーティストです。
昔から世に知れ渡るのが難しい業界であることには変わりありませんが、ファンはアーティストの作品が好きであると同時に、パフォーマンスに熱狂していることは想像に容易いでしょう。
作品については、これから自動化での簡略的な生成も可能になりますが、アーティストのライブパフォーマンスはどんな技術を駆使しても替えようがありません。
もちろんVRやAR技術、その他の技術で代替するパフォーマー自体を生成することも可能でしょう。
また、技術を利用したパフォーマンスの向上も次々に叶えられていくことだと思います。
しかしそれは異なる価値であり、それぞれに評価があるべきかと思います。
そして技術で生成出来るものは希少性が乏しくなる一方、広く普及するのと同時に、生成出来ないものは徐々にその希少性が高まるのだと考えます。

建築においてもそのような場面はあると思っています。
高額であるために多くの情報を処理して計画していく建築は、おそらくかなり単純化・簡略化する余地が多いと考えます。
条件や要素を自動的に処理するプログラムがあれば、一定の生成物を計画することは出来るでしょう。
しかし、実際の現場となると必ずしも全て管理することが可能な工場のような環境ではなく、条件や要素を考慮しながらも不都合などが生じることを見込まなければいけません。
暴風雨や雪などの自然災害にはいつ対応するのか、人的ミスが生じた時にどのように挽回する対応をするのか、周辺環境が今後どのように変化していくかをどの程度見込むのか、そもそも仕事に対しての評価軸をどのように設定すべきなのかなど。
一点一点異なる環境での異なる成果物のため、環境や場所によって評価される内容も変化することでしょう。
最終的には、クライアントにとって最適な状況ということをパフォーマンスするのは人間にしか出来ないのだと思います。
建築に限らず、どの仕事にも共通するのだと思いが、そのような管理しきれない環境から来る余白だからこそ、仕事における感動もあるのではないかとも思います。

ただこなすだけの仕事では、絶対に技術革新に抗うことは出来ないでしょう。
些細でも人の感覚を通じての体験を実現するということが、人の仕事として求められていくことだと思います。

では、また。

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