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第十一章 国家に対する闘争

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap11.html
初出:Dyelo Truda(労働者の大義)、第17号、1926年10月、5~6ページ

近代国家は、勤労者の社会生活における恣意性と暴力に基づく権威型組織である。この事実は「ブルジョア」国家にも「プロレタリア」国家にも当てはまる。国家は圧制的な中央集権主義に依存し、多数に対して少数が行使する直接的暴力から生じる。制度の合法性を強要し、押しつけるために、国家は、銃と金だけでなく、心理的圧力という強力な武器にも訴える。こうした武器の助けを借りて、ちっぽけな政治家集団が社会全体に、とりわけ勤労大衆に、心理的抑圧を強要し、国家が設けた奴隷制から注意を逸らすよう仕向けるのである。

従って、どう考えても、近代国家の組織暴力と闘うのなら、この任務の規模にふさわしい強力な武器を配備しなければならない。

これまでのところ、革命的労働者階級はリバータリアン思想に合致した様々な社会活動を使って抑圧者と搾取者--国家と資本--の権力に対抗したが、これでは勤労者が完全勝利を収めるには不充分だった。

歴史は示している。労働者は資本を打ち負かしたものの、その後、勝利は労働者の手から滑り落ちた。それは、何らかの国家権力が出現し、勤労者に勝つために民間資本の利益と国家資本主義の利益を融合したからである。

ロシア革命の経験は、この点に関する私達の欠点をあからさまに露呈している。私達はこれを忘れず、むしろ欠点の明確な同定に専念しなければならない。

私達の隊列は混乱に悩まされていたものの、ロシア革命で私達が行った国家に対する闘争は卓越していたと認められよう。かの忌まわしい制度の破壊に関する限り、何よりも卓越していたのだ。

しかし、逆に、私達の闘争は勤労者の自由社会とその社会構造を構築する領域では不充分だった。これらは、国家とその抑圧的諸制度の庇護が届かないところで確実に繁栄していたかもしれない。

私達、リバータリアン共産主義者やアナルコサンジカリストは、ロシア革命の帰結を予測できず、新しい社会活動形態の立案を急ぎ間に合わせられなかった。この事実のために、多くのグループと組織は、革命闘争の最前線でまたしても政治的・社会的戦略方針をまたもや逡巡してしまった。

将来、革命的情況が生じた際に同じ過ちを再び繰り返さないようにするため、そして組織方針のまとまりと一貫性を保持するために、私達はまず私達の側の全勢力を一つの能動的集団に融合しなければならない。そして、すぐさま経済的・社会的・地域的・領土的単位に関する建設的概念を定義しなければならない。これによって、その要点(自由ソヴィエト群)が概説され、特に、国家に対する闘争における基本的な革命的使命の大まかな輪郭を描けるようになる。現代生活とロシア革命にはこれが必要なのだ。

労働者大衆と農民大衆の隊列に溶け込み、運動の勝利にも敗北にも積極的に参加した人々は、疑いもなく、私達の結論に、もっと具体的に言えば、国家に対する私達の闘争は国家の完全根絶まで継続しなければならないという認識に、到達するはずだ。同時に、彼等は、この闘争において最も骨の折れる役割を担うのは武装革命軍だと認めるだろう。

武装革命軍の活動と社会的・経済的構成単位との結びつきが肝要である。そこでは、労働者が革命初日から組織を作り、あらゆる国家主義構造の手が届かない、完全な自治生活組織を導入できるようになるだろう。

この瞬間から、アナキストは革命のこうした側面に注目しなければならない。アナキストは確信しなければならない。武装革命軍が大規模な軍隊や多くの地域の武装分遣隊へ組織されれば、国家の在任者と擁護者を打倒し、その結果、革命を支持する勤労大衆に必要な諸条件がもたらされるはずである。そうなれば、勤労大衆は過去との繋がりを全て断ち切り、新たな社会経済的存在を構築するプロセスの最終的内容に目を向けるようになるだろう。

しかし、国家は、いくつかの地域の飛び地にすがりつき、勤労者の新生活の道程に様々な障害物を置き、人間の完全解放に基づく新しい関係の成長・調和のとれた発展のペースを遅らせようとするだろう。

国家の最終的で完全な清算が実現するのは、勤労者の闘争が可能な限り最もリバータリアンの方針に沿って方向付けられる時だけ、勤労者が自分達自身で自分達の社会活動の構造を決定する時だけである。こうした構造は、社会的・経済的に自主独往の諸機関、自由な「反権威主義」諸ソヴィエトという形態を取らねばならない。革命的労働者とその前衛--アナキスト--は、こうしたソヴィエトの性質と構造を分析し、その革命的機能を事前に特定しなければならない。この点にかかっているのだ。自由社会を建設するために自分達の責任で国家の清算を達成しようとする人々の隊列に建設的進化とアナキズム思想の発展が生じるかどうかは、主としてここにかかっているのだ。

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