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犬でさえもレイシスト

原文:https://africasacountry.com/2021/09/even-dogs-are-racist/
原文掲載日:2021年9月14日
著者:サキル゠アデバヨ

(画像はFlickrの International Institute of Tropical Agriculture より。ナイジェリアのイバダンのIITAで犬を訓練するセキュリティドッグ調教師達。CC BY-NC 2.0

私は最近、カナダのケロウナという小さな町に引っ越した。この町は犬好きだ。ここで私が初めて訪れた家には、犬用の特別なソファーがあった。数日いるだけで、住民が犬をデイケアに連れて行くこと・犬専門の医者は裕福なことを分かった。実際、犬が亡くなると葬式を行ったり、野良犬を保護して飼ったり、迷い犬を見つけた人に報酬を支払ったりするのは、ケロウナでは珍しくない。私がこの町に着いた日、カナダ人の友人カップルが犬を連れて私の家に来たものの、最初、気まずい感じになってしまった。可愛い無害な犬を見て私が大きく後ずさりしてしまったからだ。カナダ人の友人は、犬を怖がる人がいるなんて、と驚いていた。しかし、ケロウナでは(カナダの多くの地域でも)1分もあれば犬と仲良くなるのだと実感するようになった。犬は--猫もそうだが--人間にとって最高のパートナーだからである。

私はいつも犬を警戒していたわけではない。実際、私は犬と一緒に育った。祖母は犬をたくさん飼っていた。犬の数が多かったため、私の家は英語で言う「犬小屋」とか「犬の家」とか冗談で呼ばれていた。時々、祖母が魔女ではないかと疑う人もいた。祖母が過剰に、異常なほどまで、犬を人間扱いしていたからだ。子供の時、私は祖母から犬を大好きになることを学んだ。犬は撫でられたり抱きしめられたりするのが好きだと知った。犬は鋭い嗅覚を持ち、匂いで人を覚えているのだと知った。頭をそっと撫でたり、背中を優しく叩いたりすると、犬はすり寄ってくるのだと分かった。ある雌犬は私達と長い間一緒に住んでいた。祖母が彼女に何という名前を付けていたか覚えていないが、確か、「ゴッド」と「ラヴ」が名前に入っていたはずだ。自分が彼女を風呂に入れ、腕に抱えて運んであげたことを覚えている。私が行くところならどこにでも彼女はついてきた。どんなふうについてきたのか覚えている。彼女が病気になると心がかき乱される感じがしたのを覚えている。彼女と私の絆は、近所の人達誰もが知っていた。

そして、私は進学のためにイバダンという町に引っ越した。そして、祖母が死んだ。そして、家にいた犬達は次々にいなくなった。イバダンの犬は違っていると分かるまでに長くは掛らなかった。敵意剥き出しで好戦的だった。見知らぬ人を憎み、侵入者を捕らえるよう訓練されていた。この町の犬は、日中はほとんどいつもケージに入れられ、夜になると壁と有刺鉄線で囲まれた中に放し飼いにされることにも気付いた。この町で初めて知ったのだが、人間は犬を食べるのだ。町の飢えた青年達が肉を食べるために野良犬狩りをしているというニュースを読んで私は呆然とした。この町では、生の人糞を食べる犬がおり、さらに悪いことに、人間を食べる犬もいると知った。

イバダンで、私は、飼い主を食べた犬がいたと聞いた。話によれば、飼い主は、犬に食料を与えず自宅に放置して数日間旅行に行った。彼が旅行から帰ると、犬は空腹で怒っていて、飼い主の骨を食べてしまったという。これもイバダンでの話だが、人々が犬を避けているのは、噛みつくからだけでなく、病気を移すかもしれないからだった。イバダンの友人の一人は、以前、塀のある家に無断で侵入し、犬に噛まれて、狂犬病の治療を受けたことがある。多くのナイジェリア都市で犯罪発生率が高いことも人間と犬の緊張関係を説明してくれるかもしれない。その一方で、この国に蔓延するペット嫌いには、神話的な側面もある。犬や猫--特に黒色の--を飼うことは、悪い兆しを公然と招き入れたり、悪魔的行為を行っていると疑われてしまったりするのである。

次に私は南アフリカのヨハネスブルグに引っ越し、黒人を憎むよう訓練された犬と出会った。イバダンで人食い犬に遭遇していたものの、ヨハネスブルグで触れた人種差別のイヌ科世界には心の準備ができていなかった。この町で最初に住んだ場所は、アフリカーナー系白人家庭のコテージだった。彼等はレクシという名のボーアボールを飼っていた。レクシは醜い顔をした筋骨隆々の犬で、初めて見た時、私は恐ろしくてたまらなかった。レクシはひっきりなしに私に向かって吠えていた。アフリカーナーの女性の大家は、じきに私に慣れて吠えなくなるわよ、と言った。彼女は間違っていた。レクシは私に吠えるのを止めなかった。ただ、ありがたいことに、母屋とコテージの間にはバリケードがあったため、レクシは吠えるだけで、バリケードを飛び越えて私を襲撃する機会はなかった。

南アフリカで数年間過ごすと、レクシが吠えるのは、私を含め、自宅を訪れた黒人だけだとはっきりしてきた。白人が近くのコテージに引っ越してきたが、レクシは彼に敵意を示さなかった。白人が母屋を訪ねても、レクシは吠えなかった。南アフリカでは、犬さえもがレイシストなのだと実感した。もっと正確に言えば、南アフリカの犬は、多くの場合、反黒人レイシズムの社会生活に順応しているのだ。ボーアボールは、メラニン色素の多い人を強攻することで有名だった。黒人と南アフリカの犬との緊張関係は、アパルトヘイト時代に遡る。警察犬は、アパルトヘイトの苛酷さに抵抗する黒人--特に抗議者--を捜索し、弾圧するよう特別な訓練を受けていた。

今日、アパルトヘイト以後の時代にも、白人が飼う犬には反黒人性が残っている。大雑把に言って、ホワイト南アフリカは、その財産・特権・権力を守る方法として警察の代わりにセキュリティドッグを使っていた。南アフリカにあるほとんど全ての郊外の高級住宅(別名、ホワイトホーム)にはセキュリティドッグがいる。正面玄関に犬の写真を貼って、不法侵入者を防ぎ、恐怖を植え付けようとしている家すらある。不法侵入者は常に黒人だと想定されている。歴史的に、ホワイト南アフリカは、黒人よりも犬を大切にすると知られている。アパルトヘイト時代、南アフリカ警察は黒人抗議者に殺された犬の追悼式を行っていた。今日、白人家族は、犬を医療保険に入れても、黒人のメイドを入れていないと聞き知っている。もちろん、犬への人道主義に悪い点はない。ただ、南アフリカでは、黒人に尊厳を与えるよりも、犬を人道的に扱った方が良いと思っている白人の姿勢がほとんど無意識に「顔に出ている」のだ。この理解に至ってから、大部分の一般的ブラック南アフリカ人(特に男性)が極度に犬嫌いであっても驚かなくなった。本質的に、アパルトヘイト以後の南アフリカで、セキュリティドッグは、多かれ少なかれ、人知れぬ人種冷戦兵器なのである。犬は白人を守る盾であり、黒人にとって最大の敵である。ブラック南アフリカ人と交流して5年過ぎると、私にも犬嫌いは移っていた。

しかし、ケロウナへの移住が、最初は慄いたものの、犬に対する子供の頃の愛情を復活させてくれた。私は今、犬を飼おうと考えている。それと同時に、カナダでの(西洋世界の多くでも)犬への愛情は商品化されることが多いと実感している。トロントの街路でデザイナードッグ・ハンドバッグドッグ・トイドッグを連れている人を見かけるのは珍しくない。ティーカップドッグ(これらの犬は通常こう呼ばれている)を手に入れることは本質的に悪いわけではないが、こうした犬の需要の高まりは、高級市場向けの西洋的消費主義に拍車をかけ、商業的に繁殖させられた犬を増やしてしまう。これは、イヌ科の非倫理的交配 の増加と無関係ではない。この交配は、多くの場合、犬の遺伝子に問題ある歪みをもたらす。この点を考慮して、カナダは「 子犬 工場 」問題に取り組み続けている。

カナダでの(多くの西洋世界でも)犬愛好にはもっと邪悪な側面もある。犬好きが、時として、犬への性欲になるのだ。カナダで獣姦は違法だが、2011年から2016年までに報告された人間と動物の性交渉は103件あった。そして、この報告が示しているように、カナダなどの場所で、獣姦の大部分は報告されないままである。動物には法律違反を報告する能力がないのだから当然である。また、人間と動物の性交渉に関するカナダの法律には多くの抜け道もある。例えば、2013年に、獣姦で起訴されたカナダ人男性の有罪判決が覆った のは、この男性が、獣姦の法律で示されている「挿入」はなかったと訴えたからだった。また、2011年から2016年まで報告された103件の獣姦の内、起訴された人がいたのは47件だけだった。2019年になって初めて、カナダの法律は「動物とのあらゆる性的行為」を違法と認めたのである。

ここまで3カ国(ナイジェリア・南アフリカ・カナダ)にわたって、犬の社会人類学のヴァナキュラーな試論をしてきた。ここで明らかにされたことに、目新しいものはない。犬が獣のようだったり、レイシストだったりするのは、人間がそう躾けたからである。世界中のイヌ科の動物は咀嚼され、政治に利用され、武器として利用され、虐待されているのだ。
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サキル゠アデバヨはブリティッシュコロンビア大学の英文学科の助教授である。

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