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第九章 「プロレタリア」権力の途

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap9.html
初出:Probuzdeniye(覚醒)、第18号、1932年1月、45~48ページ

もうだいぶ前になるが、前衛的な社会主義知識人階級が、ブルジョア階級に対する歴史的なプロレタリア階級闘争の目的を多少とも完成された形ででっち上げた。プロレタリア階級は知識人階級によるこの定式化を丸呑みし、知識人階級の指導の下に多くの闘争に参加した。これが知識人階級の勝利だったことは否定できない。知識人階級は、プロレタリア階級を完全解放に導くという目標を定め、ブルジョア権力・国家を破壊し、「プロレタリア」国家・権力で置き換えようとしている。

至極当然ながら、知識人階級もプロレタリア階級自身も、ブルジョア国家が行った害悪全てをできるだけ広く人々に暴露する活動と調査を怠っていたわけではない。だからこそ、彼等は、全ての問題を解決するとされる「プロレタリア」権力という概念を労働者大衆の間に育成・発展できたのである。この見地によれば、プロレタリア階級は、自身の階級権力と国家によって、自身と他の階級をブルジョア階級から解放し、人間関係に自由と平等主義の原則を導入できる唯一の既存手段を行使するようになる。私達アナキストには、こうした「プロレタリア」権力の運命に関わる予言は常に重大な誤りだと映っていた。かつて同志たちはこの概念に絶えず反旗を翻し、「プロレタリア」権力と国家全般とを区別している点・「プロレタリア」権力に全く異質な使命を負わせている点で、国家主義者は間違っていると明示した。

しかし、国家社会主義者は権威主義の伝統に忠実であり続け、その見解を武器にしてロシア大革命--社会的意味という点で歴史に比類なき深く広範な革命--を奪取した。私達アナキストについて言えば、私達は「プロレタリア」権力の運命に関する誤った予言に反対し、論争の中で国家主義者に示した。ブルジョアだろうがプロレタリアだろうが、いかなる国家も本質的に人々を搾取・抑圧するだけであり、私達一人一人にある人間精神、平等とそれを下支えする連帯とを求めた人間精神の自然な性質を破壊するのだ。この主張によって国家社会主義者は私達をさらに酷く憎むようになった。今、ロシアにおける「プロレタリア」権力の存在と実践は、私達の分析の正しさを裏付けている。プロレタリア階級が、革命の初期から、さらに言えば彼等がその導入を手助けしたときから、正しく認識できていたように、「プロレタリア」国家はその真の性質を徐々に現し、そのプロレタリア性は単なる作り話だと証明された。この変質過程で「プロレタリア」権力は純然たる国家権力と同じだと証明されたのだ。この事実に今や議論の余地はなく、この事実によって、これまで狡猾に隠蔽していた素顔をさらけ出すようになっている。その実践こそが「プロレタリア」権力の目標とロシア大革命の目標に何の共通点がないと充分証明している。長年の偽善の中で、ロシア革命の目的を自身の目標に平和的に従属させられず、本質--革命の肉体にできた化膿した巨大潰瘍--を暴露する恐れのある全ての人と対決しなければならなくなった。例外なく全ての人を、主に独立して自由に活動しようとする人々を、死に至らしめ破滅させる臆病と裏切りだ。人は自問するかもしれない。何故このような事態になったのだろうか?マルクスとレーニンによれば、「プロレタリア」権力はブルジョア権力とは似ても似つかないものになるはずだった。プロレタリア階級の前衛の一部にもこうした事態の責任の一端があるのではないか?

多くのアナキストは、プロレタリア階級は社会主義知識人のカーストにいわば騙されていたのであって、プロレタリア階級に責任はないと考えがちだ。社会主義知識人は、恐らく、一連の純粋な社会歴史的現象の中で国家の修正は必然であるという論理から、ブルジョア階級の権力を自分達自身の権力で置き換えようと熱望しているのだろう。資本主義ブルジョア階級の世界に対するプロレタリア階級の闘争を社会主義知識人が永続的に指導しようとしているのは、こうした理由からだとされている。

私の知る限り、このような主張は全く正確でも、事実として適切でもない。ロシア革命の経験は、これについて豊富な客観的データを示している。この経験は反駁の余地がないほど示している。革命の最中にプロレタリア階級は全く均質ではなかった。だから、都会のプロレタリア階級は、多くの町で階級の敵--ブルジョア階級--の権力打倒に加担しようとも、1917年の二月革命と十月革命の途上で一時躊躇したのだ。都会のプロレタリア階級の多くがその同胞の一部--十月革命の利益を直接作った人々--と同盟を組み始めたのは、一定期間経ってから、十月革命が二月革命よりも軍事的勝利を収めてからだった。やがて、こうした都会のプロレタリア階級の一部は革命の利益を自力で防衛しなくなっただけでなく、権力を握ったボルシェヴィキ党に大急ぎで転向した。それが充分魅力的だったため、極度にこの党に媚び諂うようになり、政治的・経済的・司法的に階級特権に対するある種の嗜好が培われた。こうした階級特権で腹一杯になると、これら一部のプロレタリア階級はその「プロレタリア階級国家」をも同じぐらい愛するようになった。当たり前だが、ボルシェヴィキ社会民主党はこの傾向を持つ者を完全に支援し、育成した。プロレタリア階級の実践的闘争を利用して、プロレタリア階級の大部分を従わせ、ボルシェヴィキの名で国家権力を乗っ取るという計画を党が実行する大きな機会を提供してくれるからだ。この過程で、ボルシェヴィキ社会民主党は、群衆から目立つために「ボルシェヴィキ共産」党と名乗り、恥ずかしげもなく最も厚かましいデマに訴え、どんな計略も使い、必要となれば躊躇せずに他の政治集団の綱領を転用した。全ては、プロレタリア階級を縛り付け(党はこの階級に惜しげない支援を約束していたが、実際に追求していたのは党の目的だけだった)、都合良く利用するというたった一つの目的のためである。この意味で、党は知識人カーストの歴史的野望を最も十全に具現化していた。つまり、権力の座にあるブルジョア階級の後釜に座り、いかなる犠牲を払っても権力を行使するという野望である。プロレタリア階級の多くはこの観点に敢然と立ち向かえなかった。実際、全く逆だった。党の行為を自分達と同一視し、共犯者になってしまったのだ。

それでも、こうしたプロレタリア階級は、数世代にわたり次のように教育されていた。プロレタリア階級がブルジョア階級から解放されるのは、独自組織構築の活路を開くべくブルジョア階級の権力を粉砕し、その国家組織を破壊した時だけである。それにもかかわらず、これらのプロレタリア階級はボルシェヴィキ共産党が「プロレタリア権力」を組織し、「その」階級国家を樹立する手助けをしたのだ。

ほどなく、そこに至る途と用いられた手段によって一部のプロレタリア階級は、転覆されたブルジョア階級とあらゆる点で同化した。どんな些細なことにも厚かましく横柄になり、何の躊躇いもなく最も凶暴な暴力を行使し、民衆と革命を強制的に支配するようになったのである。

言うまでもなく、この暴力は党の知識人カーストの習慣だった。長年、暴力の行使を教え込まれ、暴力に酔いしれるようになっていたからだった。プロレタリア階級の大部分--過去の物言わぬ奴隷--は、仲間に対する暴力に全く馴染みがない。プロレタリアの一部は、「階級国家」の建設に忙しく、革命組織が厚かましくも「プロレタリア権力」の問題に異議を唱えるやいなや、個人の自由に、そしてあらゆる革命組織の言論と表現の自由に対して、暴力を使って嫌悪的に行動するよう仕向けられていた。一部のプロレタリアは、ボルシェヴィキ共産党指導部の下、没落したブルジョア階級の暴君がいなくなって空席となった地位に身を隠そうと奔走した。自分達が専制的な支配階級になる番であり、この目的を達成するために、自分達の計画に反対する全ての人に対して何の躊躇もなく無差別に身の毛もよだつ暴力を行使した。同時に、この行動は「革命の防衛」を巧妙に隠れ蓑にしていた。

こうした暴力は、とりわけロシア革命の組織に向けられた。プロレタリア階級の一部とボルシェヴィキ共産党の狭い利益を独占するためであり、他の労働者階級を完全に支配するためである。これは単にプロレタリア階級が一時的に道を誤ったのだとは見なし得ない。またしても、全ての国家権力がいかに図々しくその正体を現しているかよく分かる。「プロレタリアの」という形容詞がついたところで全く何も変わらないのだ。

私の理解では、こうした理由から、この経験を直接していない外国の同志たちは皆、ロシア革命のあらゆる段階を注意深く検証しなければならないと思う。特に、ボルシェヴィキ共産党と共産党に従ったプロレタリアの一部がそこで果たした役割を調べねばならない。そうすれば、ボルシェヴィキとその支持者の恥ずべきデマに照らし、「プロレタリア権力」の活用可能性について同じ過ちを避けるようになるだろう。

また、同様に真実だが、ボルシェヴィキの欺瞞に対して現在あらゆる同志が行っている運動は、この「プロレタリア権力」に代わり幅広い大衆に委ねるものについて、信頼に足る情報の裏付けの下で展開されねばならない。大衆はスローガンを気にはしているものの、優れたスローガンだけでは不充分である。この闘争は具体的情況に基づいて行われ、重大かつ喫緊の問題を絶えず提起する。勤労大衆が自身の完全解放を求める上で、どのような社会的行動を取り、どの方法を使うべきなのか?

こうした疑問には、できるだけ直接的に、最大限明晰に答えねばならない。資本主義ブルジョア世界に対して積極的闘争を行う場合だけでなく、私達のアナキズム運動にとっても、必要不可欠である。なぜなら、私達の思想が闘争の開始と結果に影響を与えるからだ。プロレタリア階級はロシアの同志が行った過ちを繰り返してはならない。いかなる政党の指揮棒の下であろうと--それが「プロレタリア」と自称していようとも--「プロレタリア権力」の組織化に忙殺されてはならず、万人の必要を満たし、あらゆる国家当局から革命を防衛することに専念しなければならない。

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