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消費者金融から見た昭和史「サラ金の歴史」

「サラ金の歴史・消費者金融と日本社会」小島庸平著・中公新書2021年2月発行

著者は1982年生まれ、現・東京大学准教授、専門は農業経済史。
本書は昨年度のサントリー学芸賞、新書大賞受賞作品である。

サラ金の歴史を個人家計アプローチと戦後家族体制の女性の視点からとらえた消費者金融史である。

それは日本社会の専業主婦ジェンダー(性差別)の歴史でもある。
サラ金の歴史は戦前賀川豊彦調査による神戸の貧民窟の「素人高利貸し」に起源をたどる。

戦後、職場内の上司・部下間の個人貸借金融、さらに日本昼夜銀行の夜間営業者への24時間金融に発展した。

それが1950年代に月賦販売金融、団地金融が出現し、1960年代後半、高度成長期の「サラ金」に成長した。アコム、プロミス、レイクは1960年代に創立されている。

当時の山際日銀総裁は「銀行の消費者金融は不急不要の融資、銀行は生産金融に注力すべき」と主張した。

創業当時のプロミスの神内良一は無保証人金貸し方式で「人間的立場の金貸し」レイクの浜田武雄は現金出前方式で「人を活かす金貸し」を理念にしたと言う。

1970年、資本自由化により金融業資本金の50%まで外資導入認可され、サラ金の資金調達が多様化、大規模化した。

金融機関も融資先開拓からサラ金の資金需要に対応し始めた。1980年外為法改正で外国銀行に限定されていた「インパクトローン」が国内銀行にも認可された。外国銀行は融資競争でサラ金への融資を一層増大させた。

資本自由化、グローバル化はサラ金業界を資本主義原理に取り込んでいく。それは資本の論理が優先する競争の世界。過酷な取り立て、高収益を求める高金利営業が優先する。

サラ金も競争激化と外銀、国内銀行からの資金調達多様化で金利引き下げも実施する。いわゆるティッシュ営業、自動契約機営業である。
その結果が、1977年の第一次サラ金批判である。

その背景には最高裁が1968年判決で、顧客の同意を取れば、利息制限法上限超過のグレーゾーン金利を認める。即ち、みなし弁済の承認である。

70~48%までの高金利貸し、クレジットキャッシング金利28.2%、銀行の個人ローンが全盛となる。そのため徳田銀行局長の銀行のサラ金向け融資自粛の通達が出た。

武富士は中東のオイルマネーに目を付け、アラブ銀行から50億円のシンジケートローンを調達、出店攻勢と貸金残高を4年間で11.4倍に増加させた。

サラ金の多重債務が進み、自己破産者、自殺者も増加。第二次サラ金規制である。1983年貸金規正法が成立、サラ金冬の時代が到来した。

1984年ヤタガイクレジット、エサカが倒産。貸金残高は一気に減少した。
2003年にヤミ金対策法施行、2006年に最高裁みなし弁済否認・不当利得判決が出た。2010年には貸金法改正で金利上限が29.2%から20%に引き下げと環境が大きく変化した。

2013年頃、やっと冬の時代から脱皮、サラ金は経営改革、再成長プロセスを目指す。一つはメガバンクとの提携。二つは利息返還損失引当金計上、三つは信用情報機関加入義務である。

法改正の効果は大きく、闇金被害者数、多重債務者数は、2008年と2017年比較して1/10以下に激減した。

当時、橋下徹氏は「法改正は闇金業者を地下に潜らせるだけ、効果はない」と主張した。だが法改正の効果は絶大だった。

確かに多くの闇金業者は廃業した。一方で闇金はオレオレ詐欺・特殊詐欺に転業した者も多い。新たな分野へのイノベーションである。

貯蓄超過、金融自由化の日本経済は、経済成長、生活水準向上をもたらしただけではない。その経済合理性、技術革新は、様々な社会問題を合理性ゆえに、表面化させ、資本の本質を明らかにすした。

「サラ金の歴史」は日本社会の持つ宿命的構造問題を提起する。サラ金問題はサラ金悪者論的一元主義では解決しないことを明らかにした。

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