見出し画像

パパ、るっきずん って、なあに? A

ねえ パパ なんで」は
Q&Aで構成されています。
"パパ、るっきずん って、なあに? Q"は→コチラ


誰が言い出したんでしょうね。
ルッキズム。

見た目のよいとされている人が言い出したんなら、見下してるは言い過ぎかもしれませんけど、なんや鼻につくなとか思った人もいるかも知れません。

逆に容姿にコンプレックスがある方の叫びなんだとしたら、切実ではあれど、他人の才能に対するやっかみやんともとれてしまいます。

ルックスというものが、足が速いとか、勉強ができるとか、そういう才能の一部でしかないのであれば、徒競走辞めましょう、学力テスト辞めましょう、って言い出すのと同じこっちゃないんですの? という疑問も湧いてくるわけで。

や、ま、ひっくるにひっくるめて"他人を貶していいもんではない"という部分では一致してるとは思いますが。

でも、ひとつの才能で、なんとか優位に立ててる人もいてると思うんですよ。何もでけへんけど足だけ速いから他が気にならない、とか、勉強できるから相手が美形でもアホは見下して生きられるとか。

コンプレックスというものが、日々を生き抜くための原動力として働いている人間がいる以上、武器になってるならいいのではないかというね。

おいブタ! このブタ! って言われて侮辱されていると感じるのって、ブタという生き物を嘲りの対象として見てる証拠なんですよね。

おい龍! この龍! って言われたら、まんざらでもないな、てなるんちゃうかと思うんです。

空想の生き物の癖に出しゃばりやがって! 長くてデカい身体の割に鱗が71枚しかないって、一枚一枚がだいぶ大きいよね? でその一枚が逆さ向いてるてなに? 人間でいうどの部分? あと短い手足に玉持ってるってのもどういう? 右から左に持ち替えたりできるの? 持ち替えたりするの?

くらいのわるぐちを「この龍!」から感じとれて、はじめてブタと呼ばれたことに対して怒りを覚えても赦されるのではないかという。

そういうことを考えれば考えるほど、ルッキズム反対! という叫びこそが、ルッキズムという差別を浮き彫りにしてるだけなような気がしてしまうのです。

見た目で差別する・されるのが嫌なのに、見た目を良しとすることをやめろよ、と見た目の話をヤリダマに挙げたらもうおしまいやんかと。ある意味、多様的と真反対な考え方なんじゃないの? と。

太ってても素敵、個性的も美のうち、そういう考え方に至るべきなんだとするならば、誰の何をも気にしない、というのが正(方向)なわけでしょう?

あと、正直、見た目の好き嫌いって、味と一緒であまりにも個人的やから、絶対評価に成り得ないよな、ってのがあります。気にしてしまう人ほど、ルッキズムに囚われてしまっている。結局、それが一番の罪なんでしょうね。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?