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スワンプマンって知ってる?#2

それでは前回の続き
まだ読んでいない・若しくは振り返りたい方はこちらを読んで頂くことをオススメします!



前回の最後にスワンプマンと死んだ男が同一なのかどうかが疑問点となるとお話しましたが、大抵3つの観点からスワンプマンと死んだ男が違うのかが考えられることが大半です。

1.肉体の構造などの物質の違い
2.心や意識の違い
3.時間の流れの違い

上記の3つについて順にお話していきます。


1.肉体や構造などの物質の違い

死んだ男とスワンプマンは物質として原子レベルでも相違がなく、脳や記憶、自我すらも同じです。

さらに誰が見ても元の男だと認識し、スワンプマン自身ですら自分をその男だと認識しています。

つまり、スワンプマンと死んだ男は全く同じ物であり、すべての構造に何一つ違うところはないということなるわけです。


つまり物質的に考えた場合、スワンプマンは死んだ男と同じ物質なので同一人物であると言えます。


2.心や意識の違い

雷に打たれて死んだ男の視点では、彼は「死んだ」という認識があり、そこで命を終えています。

また、スワンプマンが入れ替わって生活していた場合でも、そこには死んだ男の意識や感覚があるわけではありません。

一方スワンプマンは、雷に当たった記憶はあっても「死ぬところだった」という認識しかありません。
つまり、雷にあたる直前の記憶までということになります。

スワンプマンは、男が雷に打たれるまでのすべての記憶や感覚がありますが、死んだという認識はなく、その後の生活はスワンプマンしか知り得ないものです。


つまり、男とスワンプマンには「死んだという認識」と「その後の意識や感覚」に差があります。


心や意識の面で考えるなら、スワンプマンと死んだ男は異なった認識を持つため同一人物ではないという考えに至る訳です。

3.時間の流れの違い

この場合、スワンプマンと死んだ男の存在の流れが過去と現在で繋がっているかどうかで判断を行います。


ある物事の同一性を示すには、全体の歴史の「流れ」が連続していることが重要、という考え方は歴史主義と呼ばれ、「スワンプマン」を提唱したドナルド・デイヴィットソン自身も、歴史主義の立場からこの問題を考えています。


スワンプマンと死んだ男は、沼の中と落雷のあった沼の外で分かれて存在しています。

つまり、どれだけまったく同じ構造をしていても存在が分かれている別物です。


さらに、男は死んだことにより、自身の歴史・人生の時間はそこで終了しています。

対してスワンプマンは、男が死んだ瞬間に新しく誕生し、男が死んだ瞬間に人生が新しく始まりまっています。

このことから沼の外で死んだ男と、沼の中から発生したスワンプマンとは存在の時系列が繋がっていないため、時間的にも別物と考えられるわけです。

そのため、時間の連続性で考えると、死んだ男とスワンプマンは存在の歴史がつながっていないので同一人物でなはいといえます。


総括

いかがでしたでしょうか。
どれが一番あなたに当てはまっている考えでしたか?
ただし、今回出した考えは参考程度に構いません。むしろ、どこの考えに自分は近かったのか、
はたまた遠いのかを考えてみるとまた面白いです。


みなさんは「スワンプマン」についてどう考えますか?






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