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最後に求め、最初に捨てるもの

売りやすい薄利な商材は、価格戦争の渦に停滞しながらも最初に求められ、独創性があり利幅が高く売れにくいコアな商材は、一番最後に求められるというのが世間一般的な経済観念でしょう。

わたし自身は一般的に言われるブライダル関連の仕事に従事していません。ですが、少し思うところがあり、2017年から同業界の販売の仕組みや関連業態の関わり方などについて調べてきました。

日本国内外の「結婚式」という「行事」をどのような意図目的をもって取り仕切るのかを考察する限り、宗教や文化などの背景から、その土地独特の習わしに従うケースが殆どで、それに準じてきた人たちへのサービスが成り立っていました。


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「芸術性は必要がなかった産業」

日本国内だけを見ると、冠婚葬祭とその周辺産業がうなぎ登りで成長してきた10年前を境に、儀式として捉えていた結婚式のスタイルが大きく変化してきたように見受けられます。小規模・低コストで人生の門出を祝って貰えるフィールドが増えたようです。

それ以前から存在していた昔ながらの婚礼業界は成長産業であるからこそ、その儀式は尊重され、形式を施工するための小綺麗なハコを作った後、7〜10年で売却し、新たなスタイルを展開するというものでした。

過去10年以前のブライダル関連の雑誌等を含む資料を検証しても、小手先の演出の追加はあったとて、コンセプトが大きく様変わりした商材は見受けられません。なぜなら造ってしまった「ハコ(不動産)」が牛耳っていたからです。

2000年代の成長産業株を担っていた婚礼業界の飛躍の陰には、一体どのような計画やリサーチ材料があったのかは解りませんが、沢山のユーザーがその成長していた産業の柱となって、精神や金銭を投じた事は間違いないでしょう。

四季折々にその姿を綺麗にライトアップした、婚礼会場となる欧州やニューヨークの邸宅をイメージしたその商業施設(ハコ)は、人が行き交う場所にだけ豪華な装飾を纏わせ、ドレスを着飾った若い演奏者が生演奏でもてなし、新郎新婦の門出を祝福するという施工内容が殆どでした。

ではそのスタイルに芸術性が必要とされていたでしょうか?
という質問を投げかけてみると、答えは「そこまでは必要とされていなかった」という解答しか見つかりません。

当然です。あくまでも「お二人の幸せ」にビジネスとして携わるのですから、いかに低コストで利幅を確保するかが焦点になります。1度に数百万円の売上げがある式を1日に5回転させる会場もあった時代です。汎用性が高い無機質なオブジェクトを使い回さなければ、その施工は納品できなくなってしまいます。


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「最後に求め、最初に捨てるもの」

この記事ではわたくしは、物事や現象、施工内容の質の高い低いを論じていはいません。投じる側と受ける側の両想いの感覚が成立しているのであれば、それはそれで賞賛されるべきことです。

わたしは、当時の人気産業の成長が停滞しはじめた時、事業者である方々はその状況に何を求め、何を切り捨てなければいけないのかを意識する時期に来ていると感じています。

現在、乱立する専門家の予想やマーケティング戦略だけではなく、今一度、人間の心の根底にある自然な欲求や、本来必要がなかった装飾だけの表現方法を採用するのではなく、競合他社が真似することができない物語創りを最優先することが大切でしょう、と申したいのです。

商売に芸術性は必要ない、それは一番最後に付け加えるだけで良い。
本当にこの先のビジネスは、それで成り立つでしょうか?
必要がなかったモノ・コトを、消費者は気付いているのではないでしょうか?


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次回の記事は、「わたしがもし、婚礼を企画したら」をテーマにご紹介します。実際に進行している「ビジネスは一番最後に付け加えるだけで良い」がコンセプトの婚礼企画です。

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