ブッダが教える友人もどき

友人関係の悩みは紀元前から!

ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)が生きていたいのは紀元前のお話ですが、その頃から人間関係の悩みというのはありました。
心理学で最近注目を浴びているアドラーの心理学では、悩みの原因は人間関係と言っても過言ではないと言っているくらいです。
そんな中で私がハッとしたブッダが教えてくれた友人もどきのお話をしようと思います。自分もそうなっていないかな?あの人は友人ではなくてもどきだったのか!などとなることで自分を戒めたり、もう悩まなくて住むように割り切った関係になれるかもしれません。
そんな願いを込めて今回も長文記事を書いていこうと思います

ケース①
とにかく私を優先して!

こういった人は結構います。例えば、土曜休みたいからバイト変わって!と言うくせにこっちが日曜変わってほしいというと無理の一点張り!とか、とにかくあなたの都合や労力やコストなどは一切お構いなしに自分の要求を突きつけてくるくせに、こっちの願いや要望は無視したりなんなら非難してくる人もいます。そうした人たちが都合良く使う魔法の言葉、、、
『私達友達でしょ?』

こういう人って実は結構いるんです。そこにあるのは利害関係ですらありません。なぜなら向こうにとっては利しかなく、コチラにとっては害しかないからです。そうしてこういった人たちは、あなたは一切こちらの願いを聞かないからもう嫌だと伝えたり、借りを返してもらっていないのでと伝えると、じゃあやればいいんでしょ?!と逆ギレしてきたり、今まではそんなこと言わなかったのになぜ急にそんなことを言うのだと逆ギレをしてくるのです。

実際にこういう人、いっぱいいましたから(笑)こういった人たちはあなたのことをこう考えています。
【『友達』という言葉を使えば何でも思い通りにできる下僕】
 ひどいと思います?でも実際そうじゃないですか?
例えるならこういうことです。

あなたはバイトをしています。給料日にお金に困っている友人にバイト代をあげることにしました。とてもお金に困っているように感じていたからです。友人はとても感謝してくれました。そうして翌月も、その翌月もあなたはその友人に自分のバイト代を渡してあげました。
ところが4ヶ月目になると、自分がお金に困ってしまったので、今月は渡すことはできないと伝えました。すると友人はこういったのです。
『今まで3ヶ月ずっとお給料を渡してくれたのに急に今月無理とか言われても困る。それなら前もって今月は無理というべきだ、私はあなたのお金を当てにしていたのにそんなこと言われたら今月私はどうしたらいいの?!友達なのになんてひどいことをするの?!』

あなたが働いたお金をもらうことを当然と受け止め、多少優しくするとかはあったかもしれませんが、それが一か月分の給料に値するほどのことをしてたとは到底思えません。そうして自分はさも当たり前のように、困っているからという印籠を掲げて実際3ヶ月分の給料をもらっていたのです。そうして最後に話しているのは自分がどんなに困るかだけで、さも自分は悪くないかのような発言をしている上に、あなたが今月どんなに苦しいかなどは全く考慮していませんし、今までありがとうというような感謝の言葉もないのです。それなのに友達でしょ?と相手が悪いかのように相手の罪悪感に付け入って自分が楽に利益を得ることしか考えていないのです。
そうして残念で悲しいことにこういった人はたくさんいます。
そうして何故か人間は正々堂々と間違えたことを言われるとなんだか自分が間違えているような気がしてしまうのです。

こういった人たちはあなたのことを友人と思っていないということがわかったと思います。こういった人たちの特徴として、自分は悪くない、あなたが悪いというところで話を勧め、罪悪感を使って自分の思い通りにさせようとします。急にひどい、友達なのにひどい、といった感じです。
こういった人たちに正論でやっつけてもいいですが、私が働いたのに奪おうとするなんて酷い、私の事友達と言いながら全く考えてくれないなんて酷い!とやり返すと比較的スムーズに解決します。相手が引き下がるからです。そうしてなるべく周囲を巻き込んで被害者であることをアピールすると翌月以降もこういったことが起きにくくなります。(体験談笑)

ではなぜ、こういった人に利用されてしまうのでしょう?
それはあなたが友達が少ないことにコンプレックスを持っていたり、誰にも嫌われたくないと考えていたり、自分のような人間は対価がないと付き合ってもらえないと考えていたり、とにかくそういったように基本的に自分を卑下しているか、この人と友人であるということに対してステータスと言うような恩恵をもらっている、つまり自分も下心があるからです。
芸能人の○○と友人だみたいな感じですね。
そうして相手はそういったあなたの心の隙間を上手に利用しているに過ぎません。
だからこそ、『友達だよね?』というのです。

そうしたときはもう一度よく考えてみてください。
友達だよね?と言う奴はたいてい友達じゃないです。
確認しないと成り立たないような程度の信頼関係しかないからです。
もちろん、お酒の勢いや、友達になりたてなどの状況だったり、ジョークだったりするようなときはこういった限りではありませんが、相手側の要求とセットで友達だよね?が来たときは警戒したほうが良いでしょう。
例えば、友達だよね?保証人になって!とかですかね?
そういった人はあなたの友人ではありません。
例えば本当に保証人が必要なときは、友達だよねというよりも、申し訳ないとか迷惑はかけないとかそうった言葉のほうが先に出ることでしょう。相手のことを本当に考えているからです。
あなたのことを考えているかどうかは相手の態度を見ればわかるはず。
そうしてあなたのことを全く考慮せずただ自分の都合の良い願いだけを押し付けてくる人は友人のふりをした友人擬きでしかありません。

 ケース②
メリットは?

あなたと付き合うことに対してメリットとデメリット、つまり損得勘定でしか繋がっていない人はあなたの友人ではありません。
例えば、あなたの誕生日プレゼントを用意することにすらメリットとデメリットを考えて動くのです。

有名な話ですが、サイコパス診断にこんなのがあります。
あなたの友人が海で溺れています、あなたはどうしますか?
大抵の人は助けるとか助けを呼ぶと答えるでしょう。そうすることであなたに得があるとか、そんなことは考えないでしょうし、なんならあなたが海に飛び込むことで一緒に溺れてしまったり、少なくとも服が濡れてしまうというデメリットがありますが、そんなことは微塵も頭をよぎらないでしょう。

ところがサイコパスは違います。
友人が海で溺れているときサイコパスがすることは、助ける理由を考えるのです。ここで助けるときのメリットデメリット、見捨てたときのメリットデメリット。そうしてここで助けなかったら非難されるよな、でも誰も見てないし、でも命の恩人となれば、、、とかそうやって考えてメリットが上回ったときだけ助けるのです。

極端な事例ですが、つまりはこういうことです。あなたと付き合うことにメリットがあるかどうか。これはとてもよくあることです。学生時代私はあるライブのチケットがほしいときだけ声をかけてくる友人がいましたが、もう家族の部署が変わってチケットが取れないと嘘をつくとそれきり連絡が来なくなりました。こういったような話は昔からたくさんあります。
例えば、芥川龍之介の杜子春の話などもその典型でしょう。
相手が有名人だから、医者や弁護士で自分が困ったときに役立ちそうだから、お金持ちだから、そういったように肩書でそばにいようとする人も昔から一定数いるのです。こういった人たちは例えばスポーツ選手が現役のときは友人面をしますが、引退して数年も立つと全く音信不通になります。なのに彼らはこう言います。『俺達友達だろ?少しくらい融通聞かせてくれないか?』

こういった人たちには、友人だからこそ友人料金で割増に請求するとはっきり伝えたり、友人だからこそ、そういった裏から手を回すようなことはしないとはっきり伝えるとすぐに去っていきます。メリットがないからです。そうしてはっきりと伝えることでやっと、あなたの肩書ではなくあなた自身を見てそばにいようとしてくれる人が集まるのです。これも悲しいことに体験談です。

ケース③
ローリスク&ハイリターン

これは厄介なケースです。あなたが困っているときに友達だから助けるのは当然だとやってきてあなたを助けてくれます。そうしてありがとうと感謝するとここぞとばかりにあれもこれもこれもと要求します。
『あのとき助けてあげたじゃないか!』と言って。

例えばそれはみんなが無視していじめにあっているようなときにその子だけは挨拶をしてくれて、ホッとしているとあのとき挨拶したじゃないかと結局その人の言いなりにならなければならなくなったりというような形で出ることもあります。とにかく少し優しくしたり、少しだけ恩を売って、あとはそれをずっと言い続けて助けてやったのにとあなたを言いなりにしようとするのです。
例えば親戚のおばさんに、
『あんたが小さいときにおしめを変えてやったんだ!だから私の言うことを聞きなさい!どれだけおしめを替えてミルクを飲ませてやったと思っているんだ!』と言われるような感じです。一体いつの話だよ。。。となることでしょうが、それが友人関係だというフィルターを通すと切り捨てられなくなってしまう人が多いのです。
ケース①では罪悪感を使いましたが、こちらは感謝の気持ちやそれを無下にしてはいけないというような責任感を利用するのです。そんな人は友達ではありません。
例えばあなたが友人に何かをしたとして多くの場合はそこに下心などはなく、
『そんなことは気にしなくていいよ、それよりまた一緒に遊びに行こうよ』などということでしょう。せいぜいアメリカの映画やドラマのように『今度1杯おごってくれよな!』と言うくらいでしょう。友人擬きに騙されてはいけません。
恩はあなたが返しきったと思ったらそれで終わりですし、たとえそれで恩知らずと多くの人に言われても返しきったとあなたが思うのならそれで良いのです。本当にあなたが恩を返しきったと思ってそれだけのことをしたと胸を張ることができるのなら、周囲の人にあなたがどれだけの恩返しをしてきたか説明すれば周囲を納得させることもできるでしょう。相手が満足するまで行う必要はないのです。それは相手に利用してくださいと言っているのと同じなのですから。

ケース④
あなたに嫌われたくないからあなたに優しい人

これはやってしまっている人が結構いるのではないかと思うけれど、あなたに嫌われたくないからという下心があるからあなたに優しくする人も実は友人もどきなのです。こういった人たちは本当にあなたが離れていかないと安心するとあなたに対して横暴な態度を取ったり、逆にあなたが他の人のところに行かないように私より他の友人を優先しないでとか、私がいないときに他の人と合わないでといったようにあなたを束縛してあなたの自由を奪います。そのくせ自分はあなた以外の人と2人であったりもしますし、あなた以外の人を優先したりもしますから全くフェアではありません。

あなたに嫌われたくないからあなたに優しい人は、あなた以外の人にも嫌われたくないですから、あなた以外の人にも当然優しくしますし、一緒にいる人ごとに意見も変わりますから八方美人と言われることが多いでしょう。
とにかくそうやって、あなたに嫌われたくないからと優しくする人は、あなたを束縛したり、安心しきれば横柄な態度になってあなたを支配しようとするのです。そんなのは本当の友達ではありません。なぜならあなたにとっては大切な特別な友人の1人のつもりでも、相手にとっては嫌われたくないその他大勢の人の1人に過ぎないのですから。つまりあなたでなくてもいいのですから。

友人もどきと本当の友人について

友人もどきの特徴としまして、基本的にまず自分のことしか考えていないのです。相手がどう考えるか、どんな労力を払っているのか、どれだけ努力しているか、そういった一切合切がどうでもよく、見ているのは、
自分の願が叶ったか、自分の思い通りになっているか、どれだけのメリットがあったか、というところだけなのです。
そういった人たちに対して、『友達でしょ?』という言葉に縛られてあなたが苦しむ必要はないのです。
『友達でしょ?』と言われらこういってやればいいのです、
『え?違うけど??そう思ってくれてたのなら嬉しいけど、それなら私のお願い聞いてよ!』
きっとすぐにいなくなるでしょう。つまりあなたの願いを聞くほどの価値をあなたに見出していないということです。

そうしてそういう人間は実はとっても孤独です。だってそうでしょう?損得でしか動けない人間と仲良くなりたい人なんていませんから。
だからこそ、損得で動けば同じように損得で動く人が寄ってくるのではないか、同じ穴のむじななら仲良くなれるのではないかと考えるのかもしれません。そうして自分が損得でしか動かないくせに、損得ではない友人がほしいと願っているのですが、因果の法則がある以上そういった人が現れることはまれでしょう。類は友を呼ぶといいますし、朱に交われば赤くなるとも言いますし。

では、本当の友人とは何でしょう?
そうやって考えると、とたんに難しい難題のような気がしてしまいます。
ましてや大人になると損得で動くようなのが習慣のようになってしまいますから歳を取ってからの友人作りは難しいなどと言われています。
ですからこうやって考えてください。
あなたが小学校に初めて登校したとき、どうやって友達を作りましたか?どんな人と友達になりましたか?

そこには、こいつの家族は金持ちだから友達になっておくと良いことがあるかもしれない、とかそういった本人以外の情報で友達になることも、損得勘定で友達になることもなかったと思います。
もし6歳ですでにそういった子供だったというのなら本当の友達を作ることはとても難しいと思います。
ただ、仲良くなりたいな、友達になれないかな?とか、この子と遊びたいな、とか、席が近いから仲良くなれるかな?とかそういった純粋な興味だったり、期待だったりだと思います。

 また多くの人が勘違いしているのですが、友人というものは時間も距離も関係がありません。例えば、あなたが小学校の同窓会に行ったとしましょう。そこには数年ぶりどころか卒業以来会っていないクラスメイトもいるでしょう。その人にあなたは
『やあ!卒業以来だね!何年もあっていないし、連絡すらなかったからもう私達は友達ではないけれど元気にしていた?と社交辞令で聞いておくよ!』
なんてことは言わないし思わないでしょう?もしそうだとしたらとんだサイコパスです。

久しぶりにあっても、きっと小学校のあのときに戻ってあのとき先生がこうだったとか、あのときクラスメイトがこうだったとか思いで話に花を咲かせるでしょう。そうしてあった瞬間にあのときの自分たちに戻るのです。ですから何年あっていないとか、何十年ぶりだとかそういった時間も本当の友人 には関係ないのです。
そうして、今どこに住んでいるのかとか、元気にしているのかとか、今までどうしていたのかとか、そういったことを話すかもしれませんが、そこにもまた、北海道と沖縄に住んでいるからもう友達じゃないとか言い出すこともないでしょう。つまり距離も関係ないのです。

そうして時間も距離も超えて、対等な関係であったとき、そこに友人関係が生まれます。ときにわざと上限関係を作ることもありますが、例えば、部活のキャプテンや委員長などの当時の役職であえて呼ぶことによって当時の関係を揶揄したりするようなときですが、そういったときでさえお互いにそれはジョークだと認識しているし、今もその関係を懐かしく思いお互いにそれを心地よく感じている場合です。

つまり、本当の友人関係とは会えない時間も、距離も全く無関係で、かつ対等な関係のときに生まれるものです。どちらかに上下関係が生まれてしまうととたんにうまく行かなくなってしまいます。そうしてまた、友人関係とは、ふとした時に思い出したりして心がほっこりしたりするものです。

例えば牛乳瓶を見たりしたときに、ああ、いつも給食のときに牛乳の早のみを競っていたあいつは元気にしているだろうか?とか、駄菓子を見て、あの子と何故かハマっていた5円チョコ、今は10円もするのか、、とか、そうやってふとした時に顔や名前やエピソードが浮かんできたりするものです。

そうして時間ではないといったように、何年付き合っていたとかでもないのです。何十年の付き合いがあっても仲良くなれない人もいるように、数ヶ月しか付き合いがなくても昔からの親友のように分かり合える人もいます。
大事なことは互いに思いやれるかどうかであったり、一緒に馬鹿なことができるかどうかであったり、心地よいと感じるかどうかであったり、言わなくても分かり合えるようなところがあったりそういった関係なのだと思います。

そうして例えばゲームの話はこの人、大人な話はこの人、というように言葉は悪いですが、友人を使い分けることも大切です。何もかもすべてを共有する必要はないのです。あなたがわかってほしいと感じ、そうして相手はそれをどう感じるかきちんと考えることが大事です。
もしあなたが相手が喜ぶと思ったのにそうではなかったとき謝るように、うまく行かないこともあるでしょう、その逆にあなたが怒ってしまうこともあるでしょう。そういう全部を笑って許せる関係が本当の友人であると思います。

どちらか一方が我慢したり、耐え忍んだりしなくては成り立たないならそれはもう友達ではありませせん、そういう友達もどきの使う、友達だよね?に騙されることなく、人間関係を整理したり、利用してくるってことは利用してもいいよね?そういった利害関係で割り切るなどしてあなたが友人もどきのせいで苦しまないようにしてくださいね

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