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7日目 口約束

子供に向かって、大人相手にするような社交辞令の口約束をしてはいけないのだと、私はその時初めてさとった。

保育士として勤めていた園が、雪でお休みになった日のこと。私は職員室で事務仕事をしていた。しんしんと冷え込んできて、ストーブの上のやかんがシュウシュウ、と音を立てている以外はがらんと静まりかえった室内。

突然、がらがらっと職員室の扉が開いて、全身からぽたぽたと水を滴らせた女の子が入ってきた。

「どうしたの !」
「お家の人は?」

私の担当しているぱんだ組のYちゃんだった。慌ててバスタオルを取りに行き、Yちゃんの体を拭いてストーブの前に座らせる。

「先生に会いに来たよ。」
にこにここっちを見て笑いながらYちゃんは言った。

私に会いに?

何を言っているんだろう、この子は、とぐるぐるする頭を巡らすうちに、私ははっとした。

そう、私が「会いに来て」と言ったのだ。

昨日の帰りの会の時、クラスのみんなに向かって、「明日はたくさん雪が降るそうなので、保育園はお休みになります」と伝えた。そうすると帰り際にとことことこっと私のところにやってきたYちゃんが、「園がお休みになったら先生は何をしているの?」と聞いてきた。

変なことに興味がある子だな、と思いながら、あーあ、明日も仕事か、と少し疲れた気持ちが押し寄せてきて、私は園児に言っても仕方のないような少しばかりの皮肉を込めて、

「みんなはお休みだけど、先生はお仕事があるから保育園にいるの。よかったら会いに来てね。」

と答えたのだった。Yちゃんは何だか新しい発見でもしたような顔をして帰っていった。

「ほんとうにひとりで歩いてきたの?」と聞くと、「ほんとうにひとりで歩いてきた」と言う。

Yちゃんのお家は子供の足で園まで来るにはずいぶん遠い。いつも晴れた日は自転車で、雨の日は車でお家の人に送り迎えしてもらっている。

「道はどうやってわかったの?」 と聞くと、
「自転車の日に、お父さんの背中から見てた」と言う。

どこの角を曲がるのか、田んぼをいくつ通りすぎたか。

やっと落ち着いてきた私は、そうだった、と席を立ってYちゃんのお家に電話し、Yちゃんはここにいます、ええ、元気です、大丈夫です、と伝える。

自分の言葉が撒いた種とはいえ、まったくめんどうを起こしてくれて、となんだか恨めしい気持ちになってちらっとYちゃんの方を見やると、ストーブの前で足をぶらぶらさせながら、さっき私が渡したあまくてやわらかいおせんべいを誇らしげな顔でさくさくと美味しそうに食べていた。

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この物語はヤヤナギさんが企画されている #100日間連続投稿マラソン に参加しています。

毎日ひとつずつ、少しずつずれながらどこか重なっているような物語を綴っていこうと思います。

企画の詳しい内容は、ヤヤナギさんのnoteのこちらの記事 に掲載されています。

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