2024/01/22 睡眠の話と下町の話 長い!

あーあぶねいかった。
久しぶりにこんな遅くなってしまった。なんとか23日中には書き終わりそうでよかった。

さて、今日は11時ころに起きた。昨晩は6時ころに眠りについたのでそこそこ寝ているがそこそこ眠たい。
そういえば睡眠時間って不思議なもんである。人生において睡眠時間の長さには波があるんじゃないかと睨んでいる。
もちろん記憶はないが、0~3歳で14時間くらいは寝ていただろうか。グーグルで検索して(いわゆるググった)でたデータなので見逃してほしい。幼稚園、小学生くらいだと21時には眠って、朝は幼稚園・学校に行ったり休日ならポンキッキを見たりのために6時ころに起きていたから8~9時間睡眠。
中学生からは深夜放送にはまり、0時に寝て6時ころに起きる6時間睡眠。高校生になると部活と勉強と深夜放送で2、3時に寝て5、6時に起きる3、4時間睡眠。ここのあたりが一番大変だった。毎日眠たかった。それでも死なない。人間はなかなか丈夫な生き物だ。このころは、一生これくらいの睡眠時間で生きていくのかと絶望したものだ。
大学生になると夢の一人暮らし開始だ。眠りたい放題だ。平均的な睡眠時間というのは計測不能になる。講義の時間は基本的に自分で選べるから、10時に起きたり12時に起きたり、17時に起きたり。17時に起きてトレーニングをしてお酒を飲んで3時に寝る、みたいな最高で最悪な日もあった。
それが現在になると、なんやかんや昼寝もあわせて1日7,8時間を平均して眠っている。体調的には今くらいの時間がちょうど体にあっている。かつての辛い日々に比べると楽をしすぎているのではないかと思うこともあるが、よく考えれば、これといって起きる理由もない日ならちゃんと睡眠をとって脳のパフォーマンスを上げたほうが効率がよかろう。

そしてこれからまた体が未知のゾーンに入っていく。お年寄りたちがよく言っている「眠る体力がない」これがやってくる。これは怖くて仕方がない。どういうことなのだ。今まで生きてきて「眠る体力」という概念を感じたことは無い。起きているときの体力がつきていつのまにか眠ってしまうことは幾度となく経験してきた。眠る体力とはなんなのか、お年寄りが口々に言うから本当に存在するようだ。
じゃあ、動く体力が尽きた時に眠る体力も尽きていたらどうなるのだろうか。あ、街でたまに見かける何をするでもなく腰かけているお年寄りはそういうことなのか。下町に行き、誰もいないと思って少し跳ねるような感じでご機嫌で散歩しているときに、ふと視線をやると家のドアをあけてお年寄りが座っていてギョッとすることがある。あれはそういうことなのか。

これは面白い発見だ。あのぼうっとしているお年寄りは体を動かしたくない、眠たくない状態なんだな。はー、納得納得。

日記を書いていた。起きてからネタをああでもこうでもと書いていた。やれやれだ。まあなんとなくの見通しが立ってきたので支度をして家を出る。明日はネタ見せだが、渋谷で例の野球の仕事だ。
スタジオに向かうと、今日もマネージャーさんが来ていた。前回、来ていただくことはありがたいですが、やることは全然ないですよという話をして、確かに何もないですねという話をしたのだが、いらしていた。素晴らしいマネージャーさんだ。
いや、出役はバカばっかりである。私が防音室でしゃべっている間にとてつもない量の業務をこなしている可能性がある。無知とは罪である。

20時前には仕事を終えて、喫煙所に行く。渋谷の喫煙所は変な人であふれている。タバコを吸っていると、若者二人組が近くにやってきた。

A「俺、渋谷はごみごみしていてあんまり好きじゃないんだよね。」
B「あ~そう」
A「上野とかがいいんだよ」
B「下町じゃん」
A「それがいいんじゃん」

そういった会話だった。Aはよくわかっている。渋谷なんか人も多いし、やたらとスカートの短い女性が多いし、やたら攻撃的な顔をしている男性も多い。なにと戦ってんだこの町は。
少し気になったのは「下町じゃん」これである。下町なのか。私は東京に来て、まだ日が浅い。東京の歴史には疎い。しかし、上野と言えば津軽海峡・冬景色の「上野発の夜行列車降りた時から」の歌詞にあるように、かつてから東北からの東京への玄関口として栄えていたのだろうと推測できる。下町というには都会すぎないか。
渋谷の方が、よほど最近盛り上がってきた町というイメージがある。

そもそも「下町」ってなんなのか、気になってきた。私の中のイメージでは、下とつくくらいだから城下町ということだろうか。であれば、江戸城に近いのは上野だから渋谷と比べれば下町だ。うーん。気になったので、今調べた。

なるほど「下町」とはなんとも複合的な意味を持った言葉であることが見えてきた。大きく分けて地理的下町と社会的下町の二つの意味を持っているようだ。
地理的下町はその通り、市街地のなかで海や川に近い、海抜(川抜?そんな言葉はないか)の低い場所のことを言うそうだ。
社会的下町、こちらはメディアなんかでよく使われる意味合いがこれかもしれない。庶民的な町という意味だそうな。

ちなみにこれはWikipediaで調べたものなので、これは大学論文、レポートなんかでやると単位を落とすので学生諸子は気をつけられたし。これは気取らない、庶民的な日記、まさしく下町的な日記であるからWikipediaも出典として出してしまう。

なるほどなるほど。では、渋谷の若者が言っていた「上野は下町」これはどれに該当するのだろうか。上野のある台東区の東端は隅田川だ。地理的下町だ。一方で、屋外でお酒が飲めたり、アメ横に代表される安売りのイメージは庶民的で、社会的下町でもある。なるほど、地理的にも社会的にも「上野は下町」である。

人は見た目によらないなと思った。この若者二人、見るに賢くはなさそうであった。平日の渋谷に遊びに来ている人は年間読書時間が1時間を切っている人材ばかりだと思っていた。漫画は本に含まれるかと質問してくる人ばかりだと思っていた。
それがどうだろう。この若者二人は地理的、社会的下町を理解したうえで、知識を引けらかすこともなく、こともなげに会話をしていた。やられてしまった。私なんかは軽く調べただけのことを嬉しそうにここに書いて、偉そうにしていた。恥ずかしいったらありゃしない。学生に注意喚起までしていたが、その実、なんとも登場人物の中で私が最も愚かであった。
反省だ。ああ反省だ。反省だ。心の俳句。

そんなわけで帰宅した。ネタの続きを書いて、3時ころに眠った。

今日も何とか日記が間に合ってよかった。現在、23日の23時前。昨年であれば23尽くしだった。今、Classの「夏の日の1993」とかけて何かボケられそうだったけど、うまく繋がらなかったのでやめた。じゃあ書くなよ。

今日面白いと思ったことは「言葉って立ち止まって考えると面白いですね。」
ちょっとインテリぶりすぎだ。うんちぶりぶり!これでバランスを保っておこう。


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