2023/4/5 ミ☆ 助けてお星さま ミ☆

今日は6時に起きた。早いね。
起きて、風呂に入り、米を炊き、コーヒーを飲み、日記を書き、米を食べ、10時過ぎになった。
早起きすると時間がたくさんある。でも、時間がたくさんあるとその時間の中で、どれだけのことができるのかと試されているような気持ちになる。だから、それはそれで辛いものがあるもんだ。

今日は19時から「高円寺スラバーノッカー」というライブがある。そのためにネタの調整を行っておく。
13時ころまでにそれをやっておいて、16時前くらいまでウーバーをやる。水曜日のお昼ちょいとすぎは注文も少ないのでたいした金額にはならなかった。
ナイツザラジオショーを聞きながら配達をする。笑組のゆたさんの話がたくさんでていたので、これはゆたさんはこれについてツイートするだろうなと思いながら聞いていた。たくさんツイートしていらっしゃった。
ゆたさんの凄さは皆さんの知るところであろうが、ここで思うのは笑組さんはゆたさんとかずおさんの二人で笑組だと思うのだが、いつもゆたさんの話題ばかりが出ているということだ。ラジオ大好きっ子ちゃんの私としては、ナイツさんのラジオや伊集院さんのラジオでゆたさんの話題は何度も聞いたことがある。
ここで私が熱弁できるほど、かずおさんと深いかかわりがあるわけではないのだが、もっとかずおさんの面白さもどこかで紹介してほしいという気持ちがある。今年に入って毎日日記を書いているのだが、その第一回はかずおさんがテレビに映っている葉っぱに全力でツッコんでいたという、私の中での爆笑エピソードだった。
ゆたさんの面白さに加えて、かずおさんの面白さも世間に伝わっていけばと思う。
そんなことを考える前に自分たちの面白さを世間に知らせなさい、と皆思っていることだろう。┐(´д`)┌ヤレヤレ

17:30に会場近くの公園に到着する。ネタ合わせをして18:30に会場に入る。今日は目下、選挙活動で話題をさらっている、はまこ・テラこのお二人もいらした。
なんともありがたいことに、お二人ともこの日記を読んでくださっている。はまこさんからは、あのルーローハンの店はどこだ。テラこさんからはK氏のタレコミの詳細を聞きたい。と話しかけていただいた。
お二人とも読んでいただいているのはたいへん嬉しいのだが、どのようにして読んでいるのかが気になる。同じ家の中で同じ文章を別々のスマホで見ているというのもなんだかディストピア感があるなと思う。

科学の発展が人間の交流を希薄にしている。我々世代は街頭テレビで力道山の活躍をみんなで見て、応援したものだ。日本はあのころよりも経済的にも文化的にも成熟した。経済に至っては衰退期に入ったという専門家の声も耳に挟むことが多くなった。文化は発展、細分化しその人の属性によって分断が広がっていると言われる。今こそあの街頭テレビのような世代を超えて楽しめる情報のプラットフォームが必要なのではないか。
となると、そのプラットフォームのうちの一つに漫才協会は成ることができるのではないか。漫才協会は若者から老人、素人から玄人、夫婦に元夫婦それらを複雑に組み合わせた人間が所属している。
ときとして人を傷つけるようなことを舞台上でいうものもいるが、そういった人も含めて追放しない懐の深さは、私の考える真の共生社会ではないか。

と、どうでもいいことを考えた。

ライブが終わり、主催者であり作家の方に今日もネタのダメ出しを貰う。ダメ出しとは言うが、私はネタ会議だと思っている。ばーっとネタの改善すべきところを言ってもらい、なぜこういうネタを作ったのかを話し、なぜそう考えたのかという話をする。今日は21時から話始め、気づけば23時になっていた。どれだけ話をするんだ。
私としてはこれはありがたい限りだ。我々は、今では芸人になるための王道コースと言われるスクールを卒業していない。そのため基礎がなんにもない。普通の若者が1年通うのに数十万円払い、得られるようなものをこういった機会に頂戴している。本当にお陰様でお笑いをやれている。

まったく関係ないことだが、田川くんはネタ終わりの20時過ぎには帰宅している。だから何と言いたいわけではない。

今日の会議はもう行くところまで行って、つまるところお笑いは何のためにやることなのかというところまで行った。これって難しい。永遠のテーマだ。生活のためにお金を稼ぐなら、就職したほうがいいし、就職がいやならお笑いなぞやらずにフリーターになればいい。フリーターでも食べていくことはできる。それでもお笑いをやる。それがなぜなのか。
そのなぜが自分の中で明確にならなければネタも面白くならないというところに至った。
今日の会議では、あなたがなぜ面白いと思ってそれをネタにしたのか、本当に面白いと思っているのか、面白いと思う中でもどれが一番面白いと思うのかそういったことが渦巻いた。これはもう本当に難解な話だ。
私も5年近くお笑いをやっている。となると、自分がおもしろいと思うものとお客様の笑ってくださる部分というのがゆっくりとアハ体験のように変化・乖離していっている感覚がある。面白いとおもってしゃべってウケない。面白くないと思っていれた文言がウケる。となると面白くないと思っていたものが、脳の中で面白いに変わる。そういったことが少しずつ増えていき、もうわからなくなる。というよりもわからなくなっている。

私のお笑いをやりたいという心からのスタートは爆笑問題カーボーイだった。とんでもなく落ち込んでいた時期にカーボーイを聞いて、こんなテキトーなことをおじさんがゲラゲラと笑いながらしゃべっているということに感動した。そこから始まっている。
ただ、お笑いをやりはじめると今度は爆笑問題さんも含めて、面白いと思っていたすべての芸人さんとは違うことをしないといけない、話さないといけないとなり、全部を真正面から面白いと思ってはいけないという脳の回路になり、こころから面白いものはなくなる。どれだけ面白いと思ったものでもなぜ自分にはそれができないのか、できないのもすべて言い訳ではないか。
本当に面白いと思うのであれば、他人のネタを一言一句違わずやるということでもいいのではないか。でもそれではお金をもらうプロではなくなる。

と、このような悩みを持っていると、売れている、いないにかかわらず先人が共通して言うことがある「思った通りに自由にやりなさい」。これもまた難しい。私の思う思った通りは本当に自分の思ったことなのか、どうしても他者の評価が横入りしてしまっている。それも含めて自分の思った通りならそうすればいいと先人はおっしゃる。するとどうだろう。またスタート地点に戻らないだろうか。
自分がおもしろいと思っていることを私は本当に面白いと思っているのだろうか。誰にもわからない。

今日やったネタは自分で書いていてとても軽薄なネタだと思った。でも、この軽薄な感じが必要なことでもあると思って書いてみた。軽薄なほうがお客様としては理解しやすく、笑いやすいだろう。お笑いに哲学を持ち込むというのは本当にお笑い芸人が求められていることなのか。
ただ、地下ライブを楽しみに訪れるお客様や、作家さんらを含む関係者は、その哲学も楽しみにいらしていると思う。
東洋館では今日くらい軽薄なほうが簡単に笑っていただける。東洋館のお客様はそれが良いか悪いかではなく、シンプルに「笑える」ということを求めているのだ。地下ライブは人間模様も含めて楽しんでいるのではないだろうか。この2つに優劣は絶対にないということだけは言い切れる。

いま、こうして長文でだらだらと脳から出てきた言葉を書いてきたことで、なにか一瞬光が差した気がした。でも、またその光は私の前から去っていった気がする。流れ星のようだ。まさか、流れ星☆さんはこの思考の一瞬の瞬きから着想を得てコンビ名をつけたのではないか!(そんなわけがない。)

とんでもなく醜悪な文章をつらつらと書き続けた。自分と向き合い続けることも大事だが、どれだけ向き合ったところで自分たちの面白いと思うことと面白いと思われるところには一定の溝があるはずだ。
となると、自分と向き合い続ける一方で、他者からのポジティブな評価をどんどん聞いていくことで自分たちの武器を見つけることにつながるのではないだろうか。

ということで、今回皆様に伝えたいのは、我々の漫才、人間性の面白いと思うところをどんどん教えてほしいということだ。
遠慮なく、何がおもしろいのか。「顔がブサイクだから面白い」「ぽこちんがちっさそうなところが面白い」こんなものでもいい。なにがおもしろいと思うのか、傷つけてしまうかもしれないということも含めて教えてください。

今日は0:30に帰宅して食事をして、2時ころに寝た。最後に日記を添えた。

今日面白いと思ったことは「もう他者に助けを求めることにした。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。