2023/10/17 当番、出番、当番

今日は10時に起きた。昨晩、10時にアラームをセットして、あと7時間30分後に作動すると表示されていた。そこから30分と経たずに眠ったので、ほぼぴったり7時間睡眠である。何と言うことは無いが、何となくおもしろい。
睡眠と言ったら7時間というイメージがある。6時間だと、ちと短い。8時間だとやたら余裕のある生活をしているように感じる。7時間、良い響きである。

起きてから身支度をして11時すぎに出発する。今日は11:30から漫才大行進の当番である。それにしても漫才大行進に関わりすぎている気もする。毎日浅草にいる気がする。
浅草の近くに住んでいるので、ウーバーをやるにしても浅草へ行く。浅草人間である。これ、面白い話である。私の出身は広島県である。東京と比べれば田舎も田舎だ。気づけば、東京の盛り場をすっ飛ばして、ディープスポットの住人になってしまっていた。
可能であれば、まずは新宿、渋谷、池袋で過ごした後にキャリアアップして銀座、青山で巨万の富を得て、最後に浅草という流れで生きてみたかったものだ。それが、南長崎→浅草というディープtoディープ。自然と私はそういったところに吸い寄せられているのか呼び込んでいるのかもしれない。

以前住んでいた南長崎も、有名漫画家たちが苦楽をともにした、ときわ荘があった町だ。このときわ荘、老朽化によりかなり昔に取り壊された。しかし東京オリンピック招致決定後、復刻されることになった。こちらは数年前に完成した。あれはどう考えても悪政であったと思う。豊島区の税金が無駄になったと思う。
私はときわ荘の歴史を保存することの価値は十分にあると思う。しかし、どう考えても無駄なお金の使い方、タイミングであった。なんだか、あれについて住人や豊島区政は無かったもの、見なかったことにしている節がある。ぜひ、思い立った方は復刻したときわ荘、見に行ってみていただければと思う。

11:30に東洋館に着いた。今日の当番は、爆弾世紀末の二人とあさかぜ古川くんの三人だ。
ほどなくして漫才56号さんが到着する。いろいろと話した。漫才協会を良くしていくには、こうではないかああではないかと話をした。なんだか生意気な話をしてしまっているなあ、と思った一方で私は齢にして29歳である。普通の会社員で言えば、少しは責任のある仕事を任され始める年齢ではないだろうか。
お笑いは定年がないため、上の世代を見れば100歳近い現役もいらっしゃるなかで、30歳はまだまだ赤ちゃんみたいなものである感覚になる。しかし、一般世間ではバリバリ世代である。感覚がずれすぎないように意識しなければいけない。それでも、やっぱりいろいろ意見を言うには一歩引いてしまう。こればかりはもうどうしようもない。

その後、10分間の楽しい漫才をする。日々ご陽気である。

その後は、袖に待機していろいろな芸人さんが来ては、話をしてを繰り返した。ネタ考えモードの私は、古川くんにこういったボケはいいんじゃないか、こういう形の漫才は向いているんじゃないか、といろいろ話してしまった。

いち・もく・さんのご両人が到着した。今月は代演を受けまくって12回ほど舞台に上がっているらしい。あがりすぎだろうと思った。
我々も代演依頼が来れば、スケジュールが開いていれば極力受けるようにしている。それにしても、そんな数にはならない。やはりいち・もく・さんさんは実力があるから仕事があるのだ。素晴らしい。
以前、SNS上で江口さんの様子がおかしかったので、私は思い切って突撃することにした。なんやかんやであった。生きていれば落ち込むこともありますわな。お笑い赤ちゃんの我々でも、良いことと悪いことがたくさんあった。20年以上お笑いをやっていれば、そりゃあそうだろう。

今日のトリは宮田陽・昇さんだ。陽さんには昨日のお礼を伝えた。ぴろき師匠(師匠と呼ぶことが逆に失礼に当たらないかといつも悩む)は漫才協会の改善案をたくさんおっしゃっていた。
我々の世代がいろいろと案を言ったとしても、それの実現はなかなか難しい。師匠階級の方々が、革新的な案を出していただければ、革命がおきやすい。たくさんの意見がでて、検討を重ねることが民主主義である。
いや、そもそも漫才協会は民主主義を採用していません、と言われればそれまでである。我々も漫才協会に入って日は浅い。歴史の中で様々なイデオロギーがぶつかり合った時代もあったという。若手からはなかなか意見を出しにくいものだ。

これにて当番は終了した。田川くんや古川くんを含めて、最後まで残っていた方々で飲みに行っていた。私はネタ見せが近いのでネタを考えるために帰宅した。
皆さんは楽しんでもらえればいい。私は苦しみ続ければいい。

今日面白いと思ったことは「堀江さんがアレルギーで食べられない明太子を避けてお弁当を食べていたが、粒が残っていたのかアレルギーでかゆくなっていた。明太子を完全に避けるのは無理な話だなと思った。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。