そこに隠れてる
イラッときたときに、その下に隠れている気持ちに気付くのは難しい。
今日、同僚の行動にイラッときてその気持ちを上司に伝えた。モヤモヤを無視しないという点では良かったと思う。
でも、イラッとした気持ちに隠れている、自分を大事にされなかったんじゃないかという悲しみとか虚しさとかに気付いたのは30分ぐらい後だった。会社を出て帰宅途中に牛丼を食べてる時だった。
モヤモヤを無視しないのは大事だけど、モヤモヤを単純なものだと決めつけるのも良くないと思う。できれば、強いモヤモヤがあることは認めつつ、それに隠れている他の気持ちにも気付いて認められるようになりたい。さらに欲をいえば、その気持ちが求めてることを聴けるようになりたい。それは結構難しいことだと思う。でも、それができるようになりたい。
たとえば、今日の悲しみや虚しさは僕に何を求めているのだろう。
パパッとやれることでも、苦労して身に付けた技術を総動員してたりする。時間をやりくりして必死こいてやった仕事だったりする。それが大事に扱われなかったと思うと悲しいし虚しい。それを同僚と上司に言ってほしいような気がする。
これを口にするのは、イライラを伝えるより勇気がいる。でも、勇気がいるということは、セキララの魔法が働いている証拠に違いない。悲しみや虚しさを感じると、モヤモヤが落ち着いていくのを感じる。間違いない。モヤモヤの正体はこれだ。
※写真はベランダに咲いた朝顔。僕が朝起きたときには、すでにもう、少しヨレていた。
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