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いつもやさしい花

凍り付いていた時間が動き始めると、今と過去がつながって、分かってくることがある。

人と会った時に感じる見透かされそうな感じは、もしかしたら、友人が亡くなった時に感じた強い罪悪感からきているかもしれない、とふと思った。

たった1人の大事な友人が苦しんでいることに気付きもせずに、愛だの命は大切だのと子どもたちに説いていた自分なのだ。友人の自殺を知ったとき、自分を「偽善者」とののしった。善人ぶった自分が滑稽で夢や理想を放り出した。

今なら「誰にも分からなかったのだから」と客観的に事実を見つめて自分をいたわることもできるけど、あの時は本当に自分に失望した。

今はもう、自分を責めたりしない。もし自分や他人に対して常に誠実で思いやりにあふれていることを求めるならば、それは病的な完璧主義だと思う。

自分のこころが真実や強さにあふれているとは思わない。ウソやヨワサを抱えながらも、それでも自分はベストを尽くして生きてきたと思えるようになった今の方が、ずっと真実味のある人生を生きていると思える。

※写真は、黄色い花にまぎれて咲く赤い花。少し加工してみたら、なにがどうとは言えないけれど、なんだか今の気持ちにピッタリきた。

今日のタイトル「いつもやさしい花」は、我ながら今日の記事のタイトルとしてふさわしいと感じている。たぶんこれは、詩が生まれる前兆だ。

いつもやさしい花

僕を助けてくれたトモちゃん
いつもやさしかったトモちゃん

あからさまなウソをついて
セキララに弱さをみせて

もう会えないけれど
いつまでも忘れない

まっすぐな花、つよい花
君はいつもやさしい花

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