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ゲイの養育里親

パートナーのおっさんが、一時的に子どもを預かる「養育里親」になりたがっている。先日一緒に説明会に行って、実際の里親さんの話を聞いてきた。

そして、今日は養育里親の登録をしに行くという。やる気満々のおっさんに比べて、僕は気が進まない。

虐待をして児童相談所に子どもを一時保護された親のカウンセリングをすることもある僕は、親を通して現実に触れている。仕事だから境界を引いて、枠の中で向き合うことができる。

それが、僕の日常にまで入ってくることは、たとえ短期間でもきついと思う。仕事で虐待を受けて育った親に会い、家に帰ってきても虐待を受けて育った子どもに向き合えるのか。

自分の子どもですら育てるとなれば大変なのに…、などと色々憂うつな気分になる。おっさんは、現実を知らない。自分の自己満足のために、子どもを利用しようとしているんじゃないかとさえ思ってしまう。

でも、子どもを育てる余裕がある人が、子どもを一時的に養育することは大切なことだ。LGBTの自覚のある里子には、もしかしたら、こうして長年生活するゲイカップルのところで生活をともにすることが、アイデンティティの発達に寄与するかもしれない。

なんてことを考えてみたりするけれど、果たして不安や恐れの本当の正体は違う気がしている。自信がないのだ。単に、親の役目をする自信と覚悟が、おっさんほどないのだ。だから、あれこれ理由を探して無理だと思うのだ。

でもな…。親になる自信なんて、みんな初めから無いと思う。子どもを育てたこともないのに、親になる自信がある人がいたら、正直ヤバいと思う。しかも、他人の子だ。そしてたぶん乳児じゃない。愛着に問題を抱えているケースが多いだろう。並大抵の難しさじゃないはずだ。

でも今日、僕はおっさんと児童相談所に、養育里親の登録に行く。面接できっと聞かれるだろう。「なぜ、養育里親になろうと思ったんですか?」ちゃんと答えられる気がしない。でも、誰にも相談できない。

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