見出し画像

自分メンテナンス=メンタル安定確認

自分を大切にしたら他人を大切に出来ない

これはよく人に話す事だけど人間ってどんなに優しい人・面倒見のいい人
でも、心の隅っこの隅っこで「良い事してあげてる」「感謝されて嬉しい」って思うよね?
それは普通の事だし、同じように
「今余裕ない」「面倒くさいな」「これやっても自分にメリットないじゃん」って思いながらも仕事だからやるって事もあるでしょ?

猫氏はずっと「~さんはパートさんで社員のあなたが意識して気づいてあげなきゃいけないでしょ!」とか「お客さんの気持ちを考えてない」や「~なんてどうでもいいんでしょ?(冷たい人ね)」etc…と言われてきた。
そう、
何があろうとも一番に他人の気持ちを考えて行動するよう教育…という名の調教をされてきた。
私も人の為にそうしてあげたい、ちょっと無理しても自分が仕事を代わるって別に苦ではなかった(メンタルがまともな時はね)し、それで全体が上手く回るならそれでいいと、ただそれだけを思ってた。
(もちろん、感謝されるのは嬉しかったよ)

ふと振り返った時私を大事にしてくれる人なんていなかった

それが続いてメンタルが崩壊した時に上司や周りの人達は猫氏には何もしてくれなかった。
心が狭いと言われても全然かまわないが、正直、献身に献身を重ねても見返りがない事が続いたら、ふと自分という存在は
ただ「消費」されていると気づいた。その瞬間
猫氏は「脱力感」と「怒り」と「死にたい」で心が一杯になった。

でも社会で生きていく為には他者を尊重する事が大事

そうなんだよ。まあ当たり前だよね。協力したりコミュニケーションをとる事が出来て仕事や対人関係が築けるわけよ。
そうしたらどんなに今の環境でそれはないよ、と言われても一度でも
あの気持ちを味わったら…過去を忘れる事は出来ない。
そんな気持ちを抱えな名の今日も惰性で生きてる。

それでもちょっとだけ自分を大事に出来る行為

タイトルからだいぶ長くなったけどそれでも日常でちょっとだけだけど、
「自分を大事にしているなぁ」って感じる時がある。

それは、お風呂に入って体を洗っている時。
自分自身を綺麗にして肌や髪をトリートメントしたり眉毛を整えたりしてると、それは社会に出るには当たり前のエチケットじゃん、と思うだろうけど

それが出来る・やりたいって「自分自身」を「自分の手」で綺麗にしてあげられるって、思っている以上にエネルギーを使うしエネルギーが使える状態なんだって事になるんだと思う。

これはあくまで猫氏の基準なんだけど、お風呂に入って「気持ちいい」「さっぱりした」と思える事が ”今自分のメンタル落ち着いてる”  という
判断の一つにしてる。
そうすると、心の鏡に自分の姿を映して自身を可視化出来るから漠然とした不安を減らせるから、これを一つのアイテムとしてる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?