人が欲するのは財、サービスだけなのか?
飽和社会。
我々が住む日本は、すでにありとあらゆる財、サービスに溢れかえっている。
ものは売れないし、サービスに携わる人々も、利用客をめぐって争いあう。
ありとあらゆる必要は満たされ、
もう人類が必要とする新たな地平はないように見える。
むしろ、破壊が進んだ方が、財サービスは好調に売れる。
東北大地震の際は、これら地域で特需が生まれた。
昔は、朝鮮戦争によって日本では神武景気が生まれたのだ。
アメリカでも、コロナ災害が製薬会社やIT業界に巨万の富を生み出している。
破壊をすることが、消費を生み経済が回るというのは、人類という生体含めた自然に、大きなダメージを与えかねない。
ただ、現代は、生きるに必要な財、サービスは満たされているが、
人生を謳歌するための”こと”は満たされているか?
むしろ貧困にはなっていっていないか?
“こと”というものを、用語で名付けると、「物語」だと思う。
小説や映画、漫画のような物語だけを指すわけではない。
創業者がその商品にかけた想い。これも物語。
それがその企業のブランド価値となる。
無印良品を買うことで、得られる質素、シンプルな環境。そこに身を置く自分。これも物語。
映える料理を好んでインスタなどに上げること。
これも自身の生活が美しいものに彩られていると表現することで、仮想世界=物語を作り上げている。
占いも、なんら根拠のない戯言であっても、自分の人生を意味づけし方向性を与えてくれる物語な訳だ。
アイドルやスポーツ選手の苦節や成長に共感を持って応援することも、一種の物語に共感しているということ。
テーマパークでの遊びに耽るのも、一瞬の異世界に入り込み、その世界観=物語に浸り込むということだと思う。
通信販売の商品紹介でさえ、開発秘話や物凄く効果があった逸話など、物語性をもたして読者を引き込もうとする。
◾️なぜ、人は物語を求めるのだろうか?
◾️消費における物語とは、どんな種類があるのだろう?
◾️そもそも物語とは、いったいなんなのか?どんな要素を指すのだろう?
◾️既存の財サービスに物語性を持たせることで、画期的なものは生み出せるだろうか?そのような事例はあったのだろうか?
◾️物語は、昔と今とでは、衰退しているのか?発展していっているのか?
◾️物語の資本主義社会での役割とは?
次回は、こんなことをよくよく理解して述べていきたい。
何か我々社会が進むべき道は見えてくるのかもしれないと思う今夜だった。
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