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【野球】矢野監督が阪神ファンにくれたもの/95日目

こんばんは。

本日は野球について。

2022年のクライマックスシリーズも終了し、セリーグではヤクルト、パリーグではオリックスと、共に優勝チームが勝ち上がりました。

ヤクルトが勝ち上がりを決め、高津臣吾監督の胴上げが行われる少し前、神宮球場には「矢野」コールが響き渡っていました。

ヤクルトが勝ち上がりを決めたということはつまり、矢野阪神の4年間に終止符が打たれたということになります。

本日は、そんな矢野監督が阪神ファンにくれたものというテーマで、4年間の思い出を振り返っていきたいと思います。

・矢野監督就任

2018年シーズン、最下位に終わった金本監督が責任を取る形で突然の退任。

シーズン終盤まで、来季も続投が確実視されている中での突然の退任となりました。

後任候補に挙がったのは、当時2軍監督であった矢野燿大でした。

阪神球団は矢野2軍監督に正式に1軍監督要請をすることを決定しました。

これにはしばらく悩んだ矢野2軍監督でしたが、数日後にはこれを受諾することを決め、10月18日に正式に阪神タイガース1軍監督として、就任が決定しました。

・就任会見で語ったこと

就任会見で矢野監督はこう語っています。

―一軍監督になられてキーワード、キャッチフレーズはありますか。

今までやってきた“超積極的”“諦めない”“誰かを喜ばせる”というのは、僕がやっていく中で常に大事にしていきたいことだと思っていますし、基本的にそれが変わることはないと思いますが、キャッチフレーズとしては、そのままになるのかも含めこれから考えていきたいと思います。

「超積極的」
「誰かを喜ばせる」

この2つの言葉はこの先の4年間、矢野監督がずっと言い続けてきた言葉です。

また、この時からもう既に言葉による力を大事にしており、挑戦という姿勢をいかにファンに見せていくかを主眼に置いている感じもします。

・就任1年目 2019年 3位

就任1年目、矢野阪神は69勝68敗6分という成績で、セリーグ3位に終りました。

この年のスローガンは「ブチ破れ!俺がやる」というものでした。

そしてこの年から矢野阪神はこれまで勝利した時にしか行っていなかったファンに向けての一礼を、負けた時にでも行うように決めました。

これは矢野監督が就任してから一貫して続けており、4年間でしなかった日はありません。

この年はドラフト1位入団である近本光司を筆頭に足で魅せる野球を確立し、走塁意識の底上げをしました。

チームは終盤までCS争いが白熱しており、阪神はCS進出可能性1%という状況から最後に6連勝を決め、奇跡のCS進出を達成します。

これこそまさしく矢野野球が掲げた最後まで絶対に諦めないという野球の象徴でした。

・就任2年目 2020年 2位

この年は新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、120試合という短縮されたシーズンとなります。

その中で阪神は60勝53敗7分での2位となりました。

チームスローガンは
「It's 勝笑 Time! オレがヤル」
に決まりました。

この年は中継ぎ運用が厳しいシーズンでした。

前年活躍したピアース・ジョンソンとラファエル・ドリスが海を渡り、藤川、守屋、島本といった実績組も怪我に苦しみました。

そんななか、打線では大山悠輔が火を吹きました。

終盤までホームラン王争いをするなどキャリアハイの28本85打点という好成績を残し、チーム2位の原動力となりました。

そしてこの年のドラフト会議で矢野監督は、近畿大学の佐藤輝明を引き当てます。

この佐藤輝明入団から、阪神タイガースは大きく変わりました。

・就任3年目 2021年 2位

この年の阪神タイガースは、シーズン最後までヤクルトスワローズと優勝争いを繰り広げ、結果首位ヤクルトと0ゲーム差の77勝56敗10分の2位となりました。

チームスローガンは
「挑・超・頂 -挑む 超える 頂へ-」。

前半戦まではルーキー佐藤輝明が20本以上のホームランを放つ活躍や、サンズ、マルテといった外国人選手の活躍もあり、一時2位に7ゲーム差をつける独走で、首位のまま前半戦を終えたました。

しかし後半戦が始まると前半戦の活躍が嘘であっかのように佐藤輝明が沈黙。

リーグワースト記録となる59打席連続無安打を記録するなど苦しい内容が続きます。

その後はチーム力で粘り、なんとか首位を維持するも、ヤクルトが脅威の追い上げを見せます。

そして最後の最後にはチームの守備の乱れによりV逸が確定。

0ゲーム差で優勝を逃すという悔しいシーズンとなり、まさに波乱の2021年でした。

・就任4年目 2022年 3位

この年のチームスローガンは
「イチにカケル!」。

この年の矢野監督は様々な話題を私たちに提供してくれました。

まず驚いたのは、キャンプイン前日での矢野監督の発言です。

いきなり今シーズン限りでの退任を発表したのです。

シーズン開幕前に今年で退任と発表するのは前代未聞で、これには多くの野球関係者から非難の声が飛びました。

しかし、今年にかけるという矢野監督らしいと言えば、らしいのかもしれません。

そんな異様な雰囲気の中、シーズンが開幕します。

思えば今年の春、阪神タイガースはどん底にいました。

まさかの開幕9連敗。

とにかく勝てなかった。

噛み合わなかった。

開幕投手に内定していた青柳晃洋がコロナにより離脱。

代わりに急遽開幕投手となった藤浪晋太郎。

粘投を見せるも中継ぎが崩れ、最大7点差をひっくり返されるまさかの開幕大逆転負け。

ここから歯車が狂い始めました。

阪神ファンの自分でさえも、野球を見るのが辛くなったし、しばらく野球から離れていました。

しかし5月中盤から岩崎、湯浅といった中継ぎが定着し、先発も青柳晃洋を筆頭に投手力で少しずつチームに流れが向き始めます。

さらに交流戦では2位という好成績を収め、ついに7月24日には最大16あった借金を完済。

中継ぎは湯浅に続き浜地も覚醒し、圧倒的な投手力でチームを立て直していきました。

しかし今年はとにかく打てませんでした。

何度零封負けをしたか分かりません。

加えて守備のミスも目立ちました。

結局この2つの課題を解決することができず、CS最終戦となった試合でもエラーによる守備のミスでの失点が決勝点となり敗退が決定。

矢野監督のラストの試合にはあまりにもお粗末な試合であったが、ある意味矢野監督らしい最後とも言える。

・矢野監督という人物

いったい矢野燿大とはどういう人なのだろうか。

矢野監督は会見で突然色紙を見せたり、シーズン開幕前に自身を胴上げする"予祝"をしたり、「ビッグウェーブ」発言を繰り返すなど、スピリチュアルなことを言う"先生"のように、野球ファンからはしばしネタにされてきた。

"言霊"を大事にする監督であり、決して弱気な発言はしない一方で、他球団の選手を褒めたりすることはほとんど無かった。

阪神の選手に対してはケントやチカ、タクムなど下の名前やあだ名で呼んだ。

ホームランを打った選手にメダルをかける通称虎メダルも、矢野監督自ら選手にかけるなど、選手と一緒になって"楽しむ"監督であった。

矢野監督は持ち前の言葉で伝える力に優れており、モチベーターとしては非常に優秀だった。

野球ファンから、ネタであるとはいえ"先生"と呼ばれているのも凄く理解できる。

矢野監督は、監督というより学校の先生に近かった。

それがチームや選手にとって良いか悪いかはさておき、なんだかんだで自分はそんな矢野野球が好きだったのかもしれない。

・矢野監督がくれたもの

4年間、もちろん批判したいことや間違っていると思うことも山ほどあった。

優勝が大目標であるチームにとって、それが達成できなかったことは確かに非難されることがあってもおかしくはない。

しかしそれ以上に、矢野監督は大きなドラマを見せてくれた。

4年間という集大成で臨んだシーズンで、開幕9連敗という笑っちゃうぐらいどん底を見せてくれた矢野監督。

あれから始まったと振り返ると、最終戦の神宮球場での「矢野」コールは考えられないような光景であった。

金本監督が突然退任を発表してから数日で、阪神の監督を引き受ける決断をしてくれたこと。

阪神ファンとしてはそれがとても嬉しかった。

矢野監督は4年間、
確かに我々阪神ファンに何かをくれた。

それは優勝ではなかった。

日本一でもなかった。

ただ1つ、

大きなドラマを見せて"くれた"のかもしれない。

矢野阪神の4年間、ルーキーからチームを支えてきた近本光司がCS敗退決定後に泣いていた。

普段冷静な男をそれだけ熱くする矢野監督には、我々には分からない何かがあったのかもしれない。

この涙を、次の監督では嬉し涙に変えてもらいたい。

近本、大山、梅野、佐藤。

彼らが中心となって見せてくれる、
阪神タイガースの次のドラマに期待せずにはいられない。

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