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責任を取る=辞職なのか/43日目

こんばんは。

責任を取って辞職。

日本って、昔から責任取ること=辞職の風潮がありますよね。

果たしてそれは本当に正しいことなんでしょうか?

本日、安倍元総理の銃撃事件の責任を取り、奈良県警の鬼塚友章本部長が辞職しました。

もちろんこれは大変な事件であり、奈良県警の責任は重大でそれを指揮する立場にあたる本部長に責任があることは疑いようのない事実であります。

あの事件から一月半、かなりのストレスが鬼塚本部長にはあったと思います。

本当ならしばらく休みにしたいぐらいの精神的負担であるなかでも、事実解明や調査含めて大変な毎日を過ごしていたのだとお察しします。

そんな日々が続くのならば、もういっそのこと辞めてしまおうと思うことがあっても何ら不思議なことではありません。

むしろそちらの方が自然だと思います。

辞めても無責任だと言われ、辞めなくても事態を軽くみているのか!と言われ、大変だと思います。

「辞めずに今回のような事件が2度と起こらないように改善しろ」と言われても、本人はきっと辞めた方が楽だと思ってしまうんでしょう。

きっと鬼塚本部長も、事件が起きた当初は辞めようなんて思ってなかったと思います。

辞めずにこれから事件を解明していくことが使命だと感じていたはずです。

しかし、日々過ごしていくなかで毎日のストレスがとてつもない量になり、辞める選択肢を取ってしまったんだと思います。

自分は辞めることと続けること、どちらが正解か、良いと思うかは分かりません。

続けることで責任を取ることもできると思います。

もちろん辞めることが責任を取ることだというのも理解できます。

もし自分だったら、、と考えます。

自分だったら、間違いなく辞めてしまうと思います。

やはり仕事で大きなミスをした時、その職場には長く居れないです。

それは立場が上であればあるほどそういう気持ちになると思います。

きっと次の仕事のこととか何も考えてないけど、その環境からまず抜け出すことを考えると思います。

鬼塚本部長にも家族がいます。

きっと次の仕事のことなど全く考えていない上での決断でしょう。

そういう決断を迫られた時、その人の本当の姿が出ると思います。

もしも自分が上の立場に立った時、部下のために何のためらいもなく辞職できるような人間でありたいです。

それにはまだまだ修行が足りません。

それではまた明日。

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