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ピッチに立つ覚悟と責任

2019年に設立活動を始めたブラインドサッカーチーム。2021年7月スフィーダ世田谷BFCになった。


2022年の蹴り納めしたし、吐き出してもいいよね。他の役割のことは置いといて、選手としての自分を。

選手としての部分について吐き出したい。

チーム設立を決心して、沢山の役割を兼任してきて、私生活は楽しめず、仕事も犠牲にしてきた。ぶっちゃけ、貯金を切り崩してブラインドサッカーチームにかけている現実もある。

しかしだ。
初の公式戦に立てなかった。
初の公式戦は2度とやってこない。

しかも、ユニフォーム数の関係で自分の番号も無くなった。

たかが番号かもしれないけど、されど番号。ピッチに立てなかったし、ユニフォームは回収された。

自分が着るはずだった番号のユニフォームを他のメンバーに渡したときの悔しさは今もフラッシュバックしてきて苦しめられる。

自分にとって、ブラインドサッカーのピッチに立つことは、記念出場とかそういうことではない。ピッチに立つ覚悟とチームを支えてくれる方々への責任がある。

だから、そこにかけてきてあらゆる犠牲を払ってきただけに、出られなかったことが悪夢。

いまは頚椎のリハビリ中だ。
まだまだリハビリは続く。
地味で根気がいるリハビリだ。

毎日1ミリしか前進出来ていないんじゃないか?

と、思えるリハビリ。

じゃあ、リハビリから復帰できた時に、ピッチに立つ責任と覚悟があるか?

もし、その時に中途半端な気持ちだったら自分自身を許さない。そんな気持ちならピッチに立つ資格はないと思ってる。

作って所属しているチームは、さまざまなステークホルダーに支えられているクラブだ。サークルではないのだ。大きな活動予算が動いているのだ。

だから、もしリハビリが終わったあとに中途半端な気持ちだったら、自分はその時引退だ。

チームを支える方々への責任と覚悟がなければ、ピッチに立つ資格はない。

人から状況を聞かれるときは、

大丈夫です

と言ってるけど、本当は毎晩うなされてる。

選手としては気持ちが苦しい。
しかし、他の役割があるから、活動の場ではそれを出さない。出せない。

いつか、自分自身が壊れないことを祈るだけ。

やれんのか?俺。

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