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言葉はニュートラルネットワーク
散歩がてら舎人公園に行こうと,テクテクしてたとき,「無意識」と「無作為」の意味の違いはなんだろうと考えながら歩いていました.
そのとき,言葉で言葉を補完する意識のめぐりに,言葉はニュートラルネットワークだなとぼんやりと.
そんで,言葉の生まれ方は印象定義と概念定義があるなとぼんやり.
これはぼく個人の分類なので学説的なところはひとつもないです.
言葉の印象定義
「ありがとう」「ごめん」
これらの意味は考えられて定義されたものというより,行動に対して言われたときに定義されるものだと思います.
例えば,幼少期,友達に「ビーダマンかして」と言われて渡せば「ありがとう」と言われたり.場面や行動に対して返ってきた言葉やその回数で意味は意識されます.そして,思い返したときに定義されます.
印象定義,いわば古典的条件付けみたいなものだと思います.
その言葉を言われた時に分泌された脳内ホルモンを当時の印象で記憶し,その後の場面に応じて再現,転用するような.
印象定義のものは汎用性が高く,時代による影響を受けやすいものです.
「ヤバい」「まじ卍」は生粋の印象定義ですね.
言葉の概念定義
「無意識」「無作為」
これらは印象定義を土壌とした,概念によって意味が相互的に定義される.
「無意識」は意識がないこと.「無作為は」作為がないこと.
違いは行動としてあるかないか.ふむふむ.
「無意識な行動」は自然としてしまった行動.「無作為」は作為(意識的にする行動)の中に潜む無意識な行動.ほむほむ.
このように考えることで,はじめて意識できるもの.
考えていく中で言葉と言葉の間にあるものが会話の効率化や表現の多様化を目的に新しい言葉が生まれる.
概念定義のものは固有性が強く,時代の影響を受けにくいものです.
だから人類を一辺倒に捉えたい哲学書にはこのような言葉が並ぶのだと思います.
横文字な日本語
概念定義で生まれ,時代性を補うためにあとから印象定義していく言葉.
それが横文字なユカイな日本語たち.
ぼくは横文字な日本語たちに頼る前にまず日本語で補うようにしている.安易に横文字な日本語のお仲間になるのは意志なき人間だと思うから.
多くの人々が古典的条件付けで印象定義される中,ぼくは概念定義に立ち返れるまで思索する.
最近になって「システム」は概念定義まで立ち返ることができた.システムを日本語に戻しても「組織」や「制度」、「仕組み」、「体系」どれもと異なり固有性を自覚することができた.
これからも横文字な日本語とは日本人として闘っていく所存だ.
のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.