ローソンPBパッケージから自分の性格について思う―もう八方美人で苦しむ頃には戻るまい

デザインの敗北か

ローソンのPBパッケージは、生活空間におくことを考える派とコンビニで買う時の視認性を問題視する派で賛否両論のようです。
そもそも、雑音をなくして生活空間になじむことを目的としているようなのでデザインの目標はあらかた達成されているのでしょう。私自身、今までコンビニでパックの飲み物は、価格の面だけでなくデザインの面で敬遠していたところがあります。

このローソンPBパッケージについて、デザインの敗北、と表現する方もいます。同じくコンビニのデザインの敗北といえば、セブンカフェのコーヒーメーカー。私もこれについてはデザインの敗北だと思っています。なぜなら、コーヒーメーカーはコンビニの外に持ち出さないから。コンビニの中で使い勝手が悪かったら、完全に敗北です。ただし、ローソンパッケージは家でのなじみやすさ、という点においては成功しているので、同じようにデザインの敗北、としてよいのかはまだ疑問が残るところだと考えています。

振り切らなければ誰にとっても魅力的ではない

私はデザインについては素人ですが、最初から選びやすさを残しつつ、シンプルさを求めつつ、としたら、中途半端なデザインになるような気がします。そうすると、選ぶ時に見にくく、かつ家にある時にもデザインがいまいちな、誰にとっても魅力的ではないものになるのではないでしょうか。

今回わかりにくいと評判の納豆など、既にリデザインに入っているそうです。先のデザインの敗北の例として商品のケースに旧パッケージの写真を貼っているお店があることが挙げられていましたが、それも一つの工夫としてありだと思います。まずは軸を決め、そこから問題点を改善していく。ただし、軸は残しておく。そうしてデザインが良くなっていくのでは、と思いました。

これって性格にもいえるのでは

そんなことを考えながら、かつての自分は誰にでも合わせようとする、中途半端なデザインそのものだったのではないかと思い当たりました。すごく無理があったと思います。友達が好きだといったものは片っ端から興味を持つようにしました。しかし、元々の熱量も少なく、しかもにわかなので、結局はそれが趣味といえるほどの知識になったりはしませんでした。(広く知識を得たことで役に立ったこともありますが)

「キャラ」という言葉もよく聞きますが、私はその人に合わせてその人の求めるものを返そうとするあまり、キャラでさえ安定しませんでした。キャラを演じるというだけでも問題がありそうですが、演じるキャラでさえ安定したものではなく、その時々で様々なので、もう自分がどんな存在なのか、まったくわからなくなってしまうような感覚がありました。そんな私はきっと誰にとっても魅力的ではない、よくわからないものだったのだと思います。

今では、どのような自分だったのかを思い出し、それに近づきつつあります。友達の趣味も、へー!そうなんだ!と楽しく聞けますが、自分もそれについて詳しくならなければ、という強迫観念はだいぶなくなりました。みんなそれぞれに得意分野があるのだという当たり前のことを受け入れられるようになったと思います。そのおかげか、人間関係も以前よりしんどさがなくなってきました。

個性を軸に工夫する

誰かに迷惑をかけたりすることは個性ではないでしょう。でも誰にでも受け入れられる人を目指すことは、自分の個性を失い何者でもない自分にしかならないことだったのだと今ならわかります。自分の個性を軸にしながら、ローソンがリデザインしていくように、他者への思いやりの気持ちを持って自分の問題点を工夫して、受け入れられるようにしていくこと。それが私の人生を生きやすくしてくれる一つの方法だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?