結局のところ福祉的価値観

「この人、優しいな」と思うポイントは人それぞれだけれど彼との結婚を決めた理由の1つはそれだった。

以前【7人の彼氏】で書いた通り、母子家庭だった数年で、後々まで私たち母娘を大切に可愛がってくれる父親的な人も数人関わり続けた。
私には、母は1人だがリアル父と継父とその他“よそのお父さん”も居続けたし、少しだけ複雑な大枠の家族が多方面に存在していて、そのどれも大切にしてきた。
だから無条件に家族を愛している人に魅力を感じるし、家族を愛している事を恥ずかしがらずに他人に言える人が好きだ。

そして、人として違和感を感じるような接し方をしないところにも驚いた。

今でこそ自分自身が彼の家族になって、
直系家族vs私なんて難しい局面も数回訪れたけれど、
ほとんどまるで、私が思う他者への気遣いや思い遣りポイントが同じだった。

私たち夫婦は福祉系の大学で知り合った友人同士だったが、同じ学科で同じ教科を学んでいても、人それぞれ感じ方や受け取り方はあって当然で、私もそういった価値観の差異にいちいち驚いてはいられなかった。

だけど逆に、「そうそう!!私もそう思う!」なんて事もあまりないもので、学生時代からそちらの方に驚いていた。

例えば、利用者の方(地域の困った方、障がいのある方やそのご家族、高齢者の方、小さなお子さんを抱えて悩み事がある方、思春期のお子さん等々)に、
福祉従事者の立場でどれだけ親しんでいただいていても「○○ちゃん」や、「○○くん」など、あだ名呼びをしない事や、タメ口を使わない当たり前の事もその1つで

長くその環境に居ると、家族のような感覚になり、福祉従事者が陥りがちなこういった「福祉従事者の接し方問題」に必ず直面する。
私にとってはまず、理解できない言動である。

個人個人を尊重し接する事こそあっても、決して「クダケタ関係」になってはいけないと思うのだ。

厳しいようだけれど、家族のように大切にする事と、それを示す態度には線を引かなければならない。
言葉では形容しづらい絶妙な境界線があって、その境界線は同じ福祉従事者であっても本当にそれぞれなのだ。

別々の家庭で育って、彼の家族に驚くことも多々ある中で、彼と私とが似たような価値観を共感出来ていることが10数年経った今でも不思議でならない。

両親や兄弟、友人だけでなく、私たちと接する機会のある人々に同じような価値観を以て接していけることは、かなりスムーズな人間関係の輪を築いていける。
それぞれの家族や友人に得意・不得意はあっても、必ず礼儀を欠かないように丁寧に接する姿には、夫ながら今でも素敵なところだと常々思っている。
そんな彼の妻になれたことを、儘反芻し「ふふふ」となる、そんな日々である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?