見出し画像

それでもあなたは自分が私の父親だと言う 第二章

第二章
1
 「いったいどんな食生活をしてきたん?」
 俊介は相変わらずこう呟く。
 俊介に言わせるとルカの、ちょっとぶつけたところが大きなあざになって何日も引かないところも、虫に刺されたところが膿んで熱を持つところも、アレルギー体質なのも、花粉症がひどいのも、全部、幼いころの食生活が原因ではないか、ということになるそうだ。

 ルカは1980年代半ば、日本経済がバブルに沸いていた頃に、静岡県で生まれた。幼少期をそのまま、静岡県の父親の実家で過ごす。この頃は父親の姓、「福田」を名乗っていた。
 ルカの育った地域には幼稚園がなく、幼児教育の場は町立保育園しかなかった。ルカの両親は特に定職について働いているわけではなかったし、教育に関心があるわけでもなかったにも関わらず、3歳の時からルカは保育園に行かされた。これがルカには幸いしている。観光業の賑わいのおかげで町の財政が豊かなこともあり、当時、保育園でも給食が出ていた。この給食がルカのその日の唯一の食事となる日が多かった。保育園が休みの日曜は何も食べられないことも少なくない。
 それは小学校に上がってからも変わらず、家では母親の気分によって、投げ与えられるお菓子やアイスを食べるくらいだった。ルカは今でも、給食で育ててもらったと学校や自治体に感謝している。
 そんな母親はルカが小学6年生の時にいなくなる。ルカはしばらくそのまま父親の実家で暮らした後、卒業を待たずして、横浜市の母親の実家に引き取られた。小学校の卒業式には出席していない。ルカ本人に詳しいことは説明されないまま、横浜市の公立中学への入学時から母方の姓「福永」を名乗るように言われた。
 -福田だろうが福永だろうが、福なんてどこにもない。
 ついでに本人はこの頃から「ルカ」と書くようになっている。

 中学卒業後、祖父の勧めもあり、私立の女子高校に進んだ。高校の友達を通して、カットモデルやメイクモデルの話が入るようになり、ルカはそこで得る賃金を、大学の入学金に充てるため貯金するようになった。
 大学に入ってからは、声がかかるときだけのモデルのアルバイト以外に、定期でファーストフードの販売員、不定期でビルの警備員や道路工事の作業員としても働くようになった。時給の高いアルバイトを選ぶようになったのは、祖父の実家には帰らずに、友達やネットカフェを転々として暮らすようになっていたためだ。高校時代の貯金は大学の入学金に消えていたので、この頃は毎日がぎりぎりの生活を送っている。

 週末、二人で過ごす時間が増えていくと、ルカは俊介に自分のことを少しずつ話すようになっていた。
 話そうとして初めて気がついたことがある。話したくないというよりも、覚えていないことが多いのだ。特に、横浜に越してくる前のことはほとんど記憶にない。
 「はぁーん、ネカフェでずっと生活してたって、ニュースでそんな若者が増えているって聞いたことはあるけど、ホントにそんな人がいるんだね。」
 「慣れたら何とかなるのよ。就活の時はさすがにきつかったけどね。スーツとかクリーニングもあったし。」
 「何で帰らなくなったの?」
 「うーん、人の家だからね…。もうおばあちゃんも亡くなっていたし、おじいちゃん一人に生活の面倒を見てもらうってのも何かね。」
 「おじいさんのお世話とかは?」
 「おじいちゃん、まだまだ仕事してたよー。ヘルパーさんもいたし、世話なんかより、邪魔してる気がしてた。」
 「うちの会社に入れてよかったね。」
 「うん。ホントにそう思う。大まぐれの中でも、飛び切りのまぐれだよね。」
 「初セリですごい値がつきそう。」
 「はん?」
 「ああ、マグロのこと、わからんか。すまん、すまん。」
 「なんかバカにされてる?お魚、食べたくなってきたなー。」
 「明日はお鍋に魚、入れよう。タラがいい?サケがいい?」
 「マグロは?」
 「マグロは鍋には入れんな、普通。」
 その日もルカは俊介にくっついて眠った。意外に分厚い胸板に抱き着くと、自分でも驚くくらい安心して眠りにつけるようになっていた。


2
 大抵は忙しいルカの都合で、ルカの部屋で過ごすことが多い中、久しぶりに俊介の部屋に行った時のことだ。
 部屋に入った俊介を見て、ルカは思わず笑ってしまった。
 「えらい、えらい。自分の部屋でも履くようにしたの?」
 「うん?あぁ、スリッパ?」
 「めんどくさがってたくせに。」
 「すっかり教育されました。もうこれがないと気持ち悪い。」
 ルカは潔癖症である。外から帰ってきて、そのまま床を歩き回るが嫌なので、帰宅後はすぐにお風呂場に直行し、足を洗い、手洗い・うがいをしてから、きれいな靴下を履く。俊介には専用のスリッパを用意していたところ、いつからか、俊介も同じように、帰宅したらまず足を洗ってスリッパを使うようになっていた。
 「私、強制してないよ。」
 「いやいや、俺が歩いた後を片っ端から拭き掃除されたら、そりゃ傷つきますけど。」
 「ごめん。」
 「いや、謝るとこではない。合理的だと思ったから真似してみた。」
 俊介はきれい好きだ。床には髪一本落ちていない。調理の時の、使った器具を洗いながら、料理が出来上がるときは洗い物も終わっているという手際も見事だった。
 「俊くんのそういうとこ、偉いよね。」
 「その言葉、そのまま返すわ。料理はまったくやろうとしないくせに、掃除と洗濯はむっちゃやるよね。」
 ルカの潔癖症は母親譲りだ。遺伝なのか環境なのかはわからない。

 静岡県の下田市郊外。当時、好景気のあおりもあって観光業が栄えており、町には新しい住宅地が増えていた。そんな住宅地を抜けた少し小高い丘の上に、ルカの育った家があった。遠くには海を望むこともできる。
 広い敷地内には、2棟の住宅のほかに納屋、奥には畑が広がっているのが見て取れた。手前の建物は比較的作りが新しい。その2階建ての立派な本宅に半ば隠れるようにして、古い木造の離れ、平屋があった。
 平屋は南側が玄関になっている。昔は土間だった靴脱ぎ場から上がってそのまま進むと、新しめの台所のあるダイニングルームに出る。中はリフォームをしているのだ。台所から西に出ると廊下が伸び、廊下の北側がトイレと風呂場になっていた。廊下の南側、玄関から見て左の部屋が広めのリビングとなっている。
 小学校に入学するまで、ルカの生活の場は平屋のダイニング内、さらに言うと、台所と廊下に出る間に引かれた1畳ほどのカーペットの上だけだった。一応、トイレには行ってもいいことになっていたが、それ以外、用もなくカーペットを出ることは許されない。寝るときもここで寝ていた。
 ルカの母親は一日のほとんどをダイニングで過ごしていた。寝るときだけリビングへ引き上げていく。ダイニングでは、ソファに座っている時間よりも台所の換気扇下にいる時間の方が長かった。そこで雑誌を見るか、そこからテレビを観るか。どっちにしろ、ずっとタバコをふかしているのだ。
 およそ食事に無関心な人で、何日も食べないこともあれば、何食も同じものを食べ続けることもある。冷蔵庫の中には飲み物以外、ほぼ何も入っておらず、冷凍庫の中にはカップのアイスクリームがパンパンに詰まっていた。
 「あんたも食べな。」
 時々、気まぐれにカップアイスや袋菓子を投げてよこしてくれる。
 「ありがとう。」
 ルカは笑顔で、そっとそれを受け取る。
 袋菓子は慎重にパックを開けて、粉をこぼさないように、袋に直接口をつけるようにして食べた。アイスはスプーンがないので、歯と舌とでかじりとるようにして舐め取った。せっかくの母親の機嫌を損ねてはいけない。
 幼いころはどんなに気をつけても、こぼして、服や床を汚してしまっていた。そんな時には火のついたタバコが飛んでくる。
 「汚すな。」
 ルカは何より先に、投げつけられたタバコを拾うようにした。それでも、しばらくは何も食べさせてもらえなくなる。
 とにかく、ニコニコしていること、こぼさないことに努めた。もう一つ、きれいにすること。母親は潔癖症だった。料理をほぼ全くしないため、洗い場は常にきれいである。換気扇回り、ヤニがつかないよう壁のふき掃除は病的なまでにやっていた。換気扇は年中無休で回り続けている。また、タバコの灰が床に落ちるのも許せないらしい。大きめの灰皿に顔を近づけるようにしてタバコを吸う。

 物心がついた頃には、床掃除とネコの世話がルカの仕事になっていた。仕事のときは、カーペットの外に出ることを許される。
 掃除機は使わせてもらえなかったので、ローラー部分に粘着剤の付いたコロコロを使って、床中を常にチリ一つないように掃除していた。
 床にタバコの灰やネコの毛が落ちているのが母親に見つかると、
 「ここ。」
 言葉少なに、頭を鷲掴みにされ、床に顔をぐいぐいと押し付けられる。
 ネコのエサやりが遅れたり、水の容器が空になったりしているのが母親に見つかると、
 「可哀そうだよね。」
 静かな口調で、顔を鷲掴みにされる。何度か包丁を突き付けられたこともあった。
 「ごめんなさい。」
 泣くとますます許してくれなくなるため、いつしか、ルカ本人は無意識に笑顔で謝るようになっていた。いずれにせよ、しばらくは何も食べるものを与えてもらえなくなる。

 ルカが生まれる前から母親が飼っているネコは「ベリー」、キジ柄のメスネコで愛想はない。ルカは「ベリちゃん」と呼んでいた。ベリちゃんは平屋内のどこにでも行くことを許されていた。
 「ベリちゃん、ご飯もらっていい?」
 ネコのエサが美味しそうに見えて、何度もこう思うのだが、母親に見つかったらと考えると怖くて実際に手を付けたことはない。
 夜、母親がリビングへ引き上げた後、空腹が辛いルカがカーペットの上でタオルケットにくるまって泣いていると、ベリちゃんがいつも頬を舐めてくれた。


3
 幼いころから満足に食べた覚えがないのに、ルカはなぜか体が他の子よりも大きかった。特に小学生の時は毎年、クラスで一番大きいくらいだった。父親の影響もあるのだろう。父親は縦にも横にも大きかった。
 体が大きくなったからなのか、何がきっかけなのか、とにかく、小学校に上がった頃くらいに母親から、ダイニング内は自由に動くことを許された。リビングやお風呂は変わらず立入禁止のままだったといえ、
 「これからはソファ、使っていいから。」
 と言われときは、飛び上がらんばかりに喜んだ。
 母親はルカを着飾らすことが好きで、食事はほとんど与えないくせに、身に着けるものは常に真新しいものを買い揃えていた。目立つことが苦手な性格とは裏腹に、体が大きく、誰も来てないような服を着て、色白で彫の深い顔立ちのルカは、周りからはいつも距離を置かれる存在になっていく。
 「都会から来てるんでしょ。」
 「横浜の子らしいよ。」
 当時、陰ではそう言われている。これは母親が近所付き合いやPTA参加などを一切していなかったことにも原因がある。
 母親は週末になると、横浜の実家に帰ることが多かった。仕事もしてないのに、なぜ週末だけだったのかルカにはわからない。タクシーを呼びつけ、下田から横浜までタクシーで帰り、タクシー代は祖父に払ってもらっていた。気分次第で帰るのが金曜になったり、土曜になったりするのだが、必ず日曜夜には戻ってきた。
 「あんたもおいで。」
 よほど機嫌がいいと、ルカも一緒に連れ帰ってくれる。これがルカの唯一の楽しみだった。福永の祖父の家では食事が食べられる。布団で寝られる。当時は土曜日も学校の授業があったため、金曜日に母親が既にいなくなっていることがわかるとがっかりしたものだ。その分、土曜日、学校から帰ってきたときに母親がまだいると、機嫌を損ねないよう、掃除もネコの世話もいつも以上に懸命にこなすようにしていた。

 小4、高学年のなると、生徒会、図書委員、美化委員、保健委員など、クラスの全員が何らかの委員に就かなければならない。特に立候補がない委員に関してはくじ引きで決められていた。そのくじでルカは放送委員に選ばれた。
 学校の放送部は、小4から小6の各学年、各クラスの放送委員から成り立っており、その主な仕事は、給食時間の「お昼の放送」と下校時間の「帰りの放送」だった。下校時の注意を読み上げるだけの「帰りの放送」に比べ、給食の時間に流れる「お昼の放送」は、放送部が番組制作できることになっている。生徒からのリクエスト曲を流すほかに、遠足の行き先案内や「○月生まれのお友達」紹介など、放送委員たちで考えた企画も流されることがあった。毎日の放送のため、アナウンサーは週替わりでほぼ全放送委員が持ち回りで行う。「お昼の放送」の最後の事務連絡も当然、アナウンサーが読み上げる。
 5月、初めてルカがアナウンサーを務める週がきた。
 月曜日は緊張したが、毎日のことなので少しずつ慣れていく。最終日となる金曜日、放送部の顧問の先生から
 「これが今日の事務連絡ね。」
 原稿を渡された。そこには
 『前の月のきゅうしょくひみのうの人』
 というタイトルで、学年ごとに数名ずつの生徒名が書かれていた。
 -しまった。これがあった。
 生徒名の中には「福田瑠伽」もあった。
 勿論、「給食費未納」の意味は理解している。そして、小学校入学以来、何度も今までの担任から「おうちの人に伝えて」と説明され、手紙も渡されたことがあるので、ルカの給食費が一度も支払われていないことも知っている。さらに、その未納者の名前が「昼の放送」で毎月読み上げられることもわかってはいた。
 が、それを自分で読むことになるとは。この日、
 「給食費未納の人…4年生、福田瑠伽」
 とルカは自分で自分の名前を読み上げる。
 1990年代半ば、個人情報の扱いはまだまだ未成熟だったころの話だ。

 ルカの通った小学校は、校区内に規模の大きな児童養護施設があった。そこには、両親と死別した子、両親に子育てができない理由ある子など、複雑な家庭環境を持つ子どもたちが生活しており、素行が荒れている生徒も少なくなかった。そうでなくとも、小4くらいから、子どもは視野を広げ始め、悪い面も含めて大人社会を真似していく。
 「お前、自分で自分の名前、読んでたろ。」
 「給食費、払ってないんだろ。」
 「いつもお代わりばっか、してるくせに。」
 「ドロボーだな。」
 「給食ドロボー!」
 ルカは数人の男子から「給食ドロボー」とあだ名をつけられた。その日唯一の食事となることが多い給食を、ルカが可能な限りお代わりしていたのは事実だ。人気のあるメニューのときは競争率が激しく、ジャンケンなどで勝ったルカを負けた男子が逆恨みすることもあった。
 あだ名はあっという間に広がり、それはすぐにいじめに変わり、そのいじめは激しさを増した。ルカはこの時から給食のお代わりを止めた。とはいえ、いじめが急になくなるわけもなく、それは小4の終わりまで続く。
 「何かくせぇな。」
 「ホントだ。くせぇ。」
 「あっ、福田がいる。」
 「お前の頭、くせぇんだよ。」
 「くせぇ、くせぇ。」
 「あっち、行けよ。」
 とクラス中が大騒ぎになり、このことでクラス会が開かれている。
 -私のせいでこんなことになって、ごめんなさい。
 この時は、夏だったこともありルカが匂っていたのも事実だ。そもそも家のお風呂場自体が立入禁止だったため、祖父の家に行くとき以外、ルカは風呂に入ることがなかった。
 かろうじて、入ってよかった脱衣場の洗面台を使うことはできたため、これ以降、ルカは洗面台で頭を洗い、濡らしたタオルで体をふくようになった。但し、お湯を出すことはできない。つまり、真冬でも水で頭を洗い、体を拭いた。
 ルカには給湯器、ガス、全ての電気製品の使用が許されていない。母親は自分が使うとき以外はすぐに給湯器のスイッチを切ってしまっていた。
 いじめは小5になってクラス替えがあってからは嘘のようになくなる。

 虐待、ネグレクトを受けて3才の幼児が餓死した事件を調査した関係者の話の中に
 「お子さんが亡くなったときの写真を見ると、とても3才の幼児とは思えない、大人っぽい顔をしているんです。」
 という言葉がある。
 男子たちがまだまだ子どものままだったことに比べ、ルカの体がさらに成長したのは確かだが、それよりも顔つきやその雰囲気が、男子だけでなく同級生から近づけない存在となっていった。


4
 俊介もルカも、会社の決まりで毎年、健康診断を受けている。また、職業柄、二人ともインフルエンザの予防接種も毎年、受けている。俊介もルカも病院に行くのはこの時だけだ。
 俊介は薬もほとんど飲まない。体調不良を感じたら、スポーツドリンクと野菜ジュースとプリンを買い込んで、厚着して寝るのだそうだ。
 「なんで、プリン?」
 「子どもの頃、風邪のときだけ親がプリン買ってきてくれた。その名残だな。」
 「病院、行かないよね?」
 「自然治癒に勝る方法はない。」
 「心配だよ。」
 「その言葉、そっくり返す。あなたも病院、ぜんぜん行かないよね。不健康のデパートのくせに。」
 低血圧、貧血、片頭痛、重度の便秘、花粉症、ダストなど各種アレルギー、その他もろもろのことを言われている。ルカはこれらのほとんどを薬局で買う市販薬で何とかしている。都内に越してきてすぐに馴染みの薬局もできた。
 「うーん、ずっと病院、行ったことがないから。保険証なんて子どもの時、見たことないかも。」
 「今度、風邪ひいたら、俺が雑炊、作ってあげる。」
 「じゃあ、私も俊くんに作ってあげる。」
 「いやいや、作れないでしょ。」
 「レトルトの雑炊、売ってるじゃん。プリンも一緒に買っていくよ。」

 5年生時の担任、年配の女性教師は最初からルカを避けているようだった。ルカ自身も無意識とはいえ、この担任を無視していた。そもそもルカは周りの大人を笑顔という仮面で無視している。頼りにしたこともない。それ以前に、この世に頼れるものがあるかどうかさえ、考えたこともなかった。
 不幸にもこの担任の時、小5の秋にルカは学校で初潮を迎えた。
 特にお腹が痛い、下っ腹が重い、といった感覚はなかった。授業中に突然、違和感を覚えたものの、担任に言う気にはなれず、そのまま休み時間まで耐えることにした。

 小学校に上がる前、夜に鼻がズルズルすることがあり、台所のティッシュを取って鼻をかんだところ、何回かんでも止まず、何枚もティッシュを使ってしまった。早朝になり、明るくなったところで、山積みになったティッシュが全部真っ赤なのを見て、
 -死ぬのかもしれない。
 とだけ思った。
 今までも体調が悪いことを母親には言ったことはほとんどない。言ったところで
 「うるさい。」
 と言われるだけなのはわかっている。
 それよりも、この山積みの真っ赤なティッシュをゴミ箱に捨てたところで、気づかれたらどうしようと怖くなった。血で汚れていた床は唾をつけたティッシュでふき取った。
 その後、起きてきた母親は
 「きたねーな。」
 と床に残っていた血を指さした。特に叱られはしなかったが、食事はしばらく出なくなったことを覚えている。

 やっと授業が終わり、急いでトイレに入って確認すると、下着に血がついていた。
 「来たか。これか。」
 女子だけを集めて行われた特別授業の性教育を何度か受けており、そういうものがあるということは知っていた。かと言って、備えをしていたわけではないので、その場ではトイレットペーパーを丸めて下着にあてがい、保健室に行った。
 保健室の先生からは、それぞれの使用方法の説明があって
 「どっちにする?」
 とナプキンとタンポンを渡された。ルカが迷わずタンポンを手に取ったので、先生は驚いたようだ。
 「今、説明したけど、そっちは使い方が難しいよ。激しいスポーツをする人なんかが使うものだから、初めてでそれを使う必要はないと思うけど。」
 先生の言葉は耳に入らなかった。ルカとしては、血を完全に、根元から止めてしまいたかった。

 5年生時の担任はそのまま6年生でも持ち上がりとなったが、6年生の2学期に珍しく、ルカに話してかけてきたことがある。
 「福田さんはいつもニコニコしていて、幸せそうだね。」
 この時のルカの表情を、この担任は一生忘れられなくなる。一瞬現れた無表情、その時の目は、世の中の全てを見透かしているようで恐怖を覚えた。
 「絶望」という字は「望みが絶たれる」と書く。これは少なくともそれまでは望みがあったことを意味する。あった望みを失ったときに、人は絶望するのだ。生まれてから一度も望みを持ったことのない子どもたちは、絶望さえできない。ただただ、果たしなく続く悲しみを、それが現実だと受け入れていくだけである。
 「幸せそう。」
 ルカも、この教師を一生忘れられなくなった。いや、この教師のことは忘れても、この言葉だけは今でもはっきり覚えている。
 それまでも大人を頼りにしようとは考えもしなかったし、故に望みもなかったが、それでもこの言葉はルカに現実をより、えぐるように突き詰めてきた。
 -この現実は決して変わらない。


5
 年末年始に二人で数日を過ごしたときのことだ。布団の中で俊介が
 「あのう…」
 と聞いてきたことがあった。
 「なーに?」
 聞いてきたくせになかなか言い出さないのを無理やりに聞き出した。
 「あのね、そろそろ…」
 「何?」
 「キスから先とか…ダメ?」
 「うーん、俊くんが嫌とか、嫌いとかじゃないんだけど…。」
 「だけど?」
 「怖いんだよね。」
 「怖い?」
 「私、男の人が怖いんだよ。」
 「俺も?」
 「ううん。怖かったらここにいないよ。」
 「そうかぁ。」
 「してみる?」
 「いいの?」
 「わかんない。わかんないけど、俊くんだったらそうなってもいいとは思ってる。」
 いざ、そうなるとしたら、自分の意識が体から飛んでいくかもしれない、とも思っている。
 「うーん」
 「私はいいよ。」
 「いや、やっぱ、やめとく。そう言ってくれただけで充分だわ。」
 「ごめんね。」
 「いや、謝るとこでない。」
 俊介がキス以上のことを望んだのは、後にも先にもこれっきりだった。

 ルカが中学から住んだ福永の家は横浜市の閑静な住宅地の一角にあった。立派な家が立ち並ぶ中でも、ひときわ大きな洋風建築のお屋敷だ。当時、母親の部屋もそのまま残されていたし、ルカには余っていた部屋、16畳もの広い部屋が与えられた。
 駅からは離れているため、祖父も、生前の祖母も運転手付きのハイヤーで通勤していたが、ルカは駅まで歩いて、私立の女子高に通った。夏には日傘をさして登校している。
 高校の卒業式を終えて、都内の私立大学の入学式を数日後に控えた、春休みのことだ。
 友達らが卒業旅行に繰り出す中、相変わらずバイト三昧の日々で、その日はいつもより帰りが遅くなった。
 -入学金を払ったら、貯金がぜんぜんなくなった。どうしよう…
 家に帰っても祖父がいないことはわかっている。それでも、いつもと同じ道を、いつもより少し早足で急いだ。
 駅から大通りを渡り、住宅地に入っていくと、軽い上り坂が続く。車はほとんど通らない街路樹に、桜はまだまだ咲いていない。
 -着物?あり得ない。スーツ?お金がもったいないなあ。
 入学式に着る服をどうするかで頭を悩ませていた。
 「おい、瑠伽。」
 車道の方から声がした。
 それを聞いた瞬間、ルカの体が動かなくなった。上空に飛んでいった意識が、上から自分を見下ろしている、以前にも経験したことのある感覚だ。
 街路樹の陰で気づかなかったが、薄水色の車体の低い、見知ったクラシックカーがそこに停まっていた。暗がりなのに、開けたウィンドウ越し、どす黒く脂ぎった顔に、ヘラヘラした笑みが張り付いているのがはっきり見えた気がする。
 「瑠伽、前よりもいい体になったな。稼げるところ、紹介してやろうか。」
 父親、福田雄二(ふくだゆうじ)だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?