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ぼくは0点? 第三章 中3②

◆3学期 入試
 クリスマスも過ぎ、じきに大晦日という日の夜も更けたころ、受験生にクリスマスも大晦日も正月もあるかいって感じのピリピリした秀雄が、コーヒーを作りに台所に行くと、早くもお節料理の準備をしていた母親と出くわした。母親がすっかり小さくなったような気がしてびっくりした。一丁前に反抗期を迎えていた秀雄は、ここ最近、母親とはほとんど話をしていない。西高志望もほとんど相談せずに一方的に伝えていただけだ。
 「あんた、ほんまに偉いなぁ。まだ勉強しよん?」
 「受験生や。時間がなんぼあっても足らん」
 「ちょっと話をしたいんやけど、ええかいの?」
 なんとなく聞かなくてはならない雰囲気を感じたので、インスタントコーヒーを入れて、台所のイスに座った。コンロの方を向いたまま、母親が話し出した。
 「あんたにお母さんの昔の話、ほとんどしたことないやろ。お母さん、あんまり昔のこと、思い出したくないんよ…」
 両手でコーヒーカップを包み込みながら、秀雄は母親の話を聞いた。
 早くに父(秀雄からすると祖父)を亡くした彼女は、下に3人の弟妹がいる長女だったこともあり、中学を出たらすぐに就職するしか道がなかったそうだ。秀雄の通った内海中よりももっとたくさんの生徒がいた中学校で一番の成績だったらしい。
 「中学の先生が家に来てくれて、『お嬢さんやったら、県で一番の讃高にも十分入れるんですよ』言うて、おばあちゃんを説得してくれたんやけどの、無理やった。別に讃高やなくてもよかったんよ、ホンマに行きたかったわ、高校に。今でもせめて定時制にでも通わせてくれたらよかったのにって思う。はけん、あんたが高校行く、言うてくれてうれしいんよ。あとちょっとやけん、がんばりまいよ」
 全部、初めて聞く話だった。秀雄の中で「県で一番」という言葉が大きくなってきた。

 正月明け、まだ冬休み中なのに申し訳ないと思いつつも、大西先生に電話をした。電話に出たのが先生本人だとわかったので、すぐに切り出した。
 「すみません。俺、讃高受けます」

 大西先生からは、願書変更の締切期限ぎりぎりまで何度も反対された。
 「どの高校でも狙えるようになった、確かに私がそう言うたけど、讃高だけは別。讃高以外やったらどこでも合格できるはずやのに。はっきり言うと、まだぼくの実力では讃高は無理。讃高は止めなさい」
 「無理かどうかはやってみんとわからん。落ちたところで来年、もう一回受けるわ」
 「何を言うとん。高校入るのに浪人とか、聞いたことない」
 その度に同じやり取りを交わしたが、秀雄の気持ちは変わらなかった。こうして、まずは2月に滑り止めの私立高校を受験し、無事に合格した。母親には
 「讃高に合格せんでも、私立にはどうせ行かんし、入学金は納めんでええで」
 とお願いした。

 3学期学年末テスト
 国語83点:数学100点:社会94点:理科90点:英語92点
 音楽81点:美術77点:保健体育90点:技術家庭72点
 合計779点:平均86.6点
 クラス順位40人中6番:学年順位316人中27番
 コメントなし

 中3の学年末は、先生たちも「定期テストの勉強よりも受験勉強しなさい」という雰囲気が全開だ。テスト問題は至って簡単なものになる。秀雄も受験勉強の方を優先したが、それでもこのくらいの点数は採れた。
 数学は1学期に続いて2回目の100点、中1の33点からここまで来た。
 英語は中学最後にして最高点、90点突破という有終の美を飾れた。0点から考えると、実に92点も這い上がってきたことになる。答案を返却してくれる時、ミスタイがつぶらな瞳で笑いながら、ピースサインを出してくれたのがおかしかった。ミスタイも秀雄を0点のときから見守ってくれた一人だった。

 3月、公立高校受験当日。
 かなり余裕のある時間に家を出発した。珍しいことに父親が車で送ってくれることになっていた。讃岐高校は市内の中心地にあるので、秀雄の家からだと真っ直ぐ西に向かうだけ、30分くらいで着く。ところが、父親が運転する車は、どう考えても遠回り、遠回りで会場に向かった。
 「何か用事があるん?」
 「うん、ちょっとの」
 父親の無口は今に始まったことではないが、この時ばかりは無口というより、言い淀んでいるように聞こえた。
 秀雄は後で知ることになるが、母親が知り合いの知り合いに占ってもらった結果、この日、真っ直ぐ西へ向かうのは不吉だと言われたそうだ。その不吉を回避するために、『方違え(かたたがえ)』を行っていたのだ。一旦別の方角に向かい、そこから目的地へ改めて向かうことで、「不吉な方向に向かってはいない」とする平安の昔から伝わる習慣だそうで、母親はこの占ってもらった人に結構な額の謝礼を渡している。

 それでも、受験会場である讃岐高校にはかなり早い時間に着いてしまった。受付を済ませ、廊下に貼られた案内の通りに進むと、中学の教室よりもかなり広めの部屋に着いた。秀雄は分かっていないが、たまたま高校の一般の教室ではなく、視聴覚室に割り振れたのだ。さらにたまたまだろうが部屋の真ん中辺りの席が指定されていた。広いホールの真ん中に1人、秀雄は緊張してきた。何度、シャープペンシルの芯の出具合、芯の替え、消しゴム、鉛筆の削り具合を確認しただろうか。知った顔のノウちゃんや多田くんが来たのはかなり経ってからだった。座る席は同じ中学で固められているらしい。少し向こうは内海中の席なのだろう、佐藤くんらがやって来たのが見えた。佐藤くんは少し太ったようだ。
 (リコがおったら、一緒に受験できたんやろうか)
 そう考えながら、少しでも落ち着こうとした。

 漸く、いかつめらしい中年のおじさんと助手のような若い男性が教室に入ってきた。ホール前方に立ったおじさんはギロギロした視線でホール内を見渡した。
 「机の上は受験票と筆記用具だけにしなさい」
 (このおっさん、高校の先生か?それやったら高校の先生って感じ悪いわ。それか、テストの監督だけの人かのう)
 「今から問題用紙を配る、合図があるまでは勝手に開かないように」
 おじさんはギロギロしたまま、その場から動かない。若い方がせこせこと問題用紙を配布した。
 1時間目は国語だ。
 「始め!」
 受験生たちが一斉に問題用紙を開く。中から解答用紙を取り出し、名前を書く。
 秀雄は一問目を見た刹那に思った。
 (ダメかもしれん…)

◆卒業
 (ダメかもしれん…)
 と思いながも、さらに数問をざっと見てみた。
 (これはダメや)
 ただ、それとほぼ同時に秀雄は
 (今回は無理や)
 とも考えていた。「今回は」だった。なぜ、まだ4教科の問題も見てない1時間目にして、そう思ったのかは秀雄にもわからない。とにかく、その数舜に
 「来年も絶対にここに来る」
 と気持ちが固まったのだ。
 実際、家に帰ると、明日はまだ面接試験も残っているというのに、開口一番、
 「来年も讃高受けるけん。悪いけどもう1年勉強させてもらうわ。図書館とかで勉強するようにして、なるべく迷惑はかけんようにする」
 と秀雄にしては精一杯の具体的な宣言をしている。

 とはいえ、かなりの強がりを演じていたのだろう。受験日翌日、公立高校の入試問題は地元紙に掲載される。秀雄は早速に自己採点をした。何度やり直しても200点に届いていなかった。1教科50点満点、5教科で250点満点、讃高だと最低でも200点は必要だと言われており、秀雄のそれは絶望的な点数だった。特に社会が壊滅的だった。
 この辺りからの数日間、秀雄の記憶は曖昧になる。受験日と合格発表日の間にあったはずの卒業式に至っては全く覚えていない。友達や大西先生にきちんと挨拶できたのだろうか。卒業式の数日後に行われた合格発表は一人、自転車で見に行ったらしい。後で母親から聞いた。1%、いや0.1%、0.01%でも可能性はあると信じて見たであろう掲示板に、秀雄の受験番号はなかった…のだろう。記憶にない。家には電話で報告したのか、帰ってから話したのかも覚えていない。
 次に秀雄の記憶がしっかりしてくるのは、合格発表の日の夜、居間の座卓を囲むように座っている父親と母親、そして大西先生の顔だった。
 「秀雄くん、これからどうするか、きちんと考えていますか?」
 「毎日、図書館に行って勉強するつもりや。ほいで、来年もう一回讃高を受ける」
 「来年もダメだったら?」
 「そんなん知らんわ。絶対受かるし。もし無理でも、働いたらええんやろ」
 「私立高校に行きなさい」
 「いやや。讃高は諦めん。先生やって本当に行きたい高校を自分で考えろって言うたやん。俺は本当に讃高に行きたいんじゃ」
 「私立に行きなさい」
 「私立に行け言うたって、入学金も入れてないし、今さら行けるわけないわ」
 「行けるんで。お父さんとお母さんが入学金はちゃんと払ってくれとる。ぼくが怒るだろう思って、私からお母さんに内緒でお願いしとったん。お母さんを怒ったらいかんで。悪いのは内緒にして言うた私や。今からでも私立には行けるんで」
 いつの間にか、大西先生はいつもの口調になっていた。
 「ぼくよ、もう一回よう考えまいよ。来年も受験するんは構わん。私もできるだけ応援する。けどの、1年は長いんで。ぼくの気持ちが変わらんでも何があるかわからん。今時、中卒ではこの先、何もできん。私立に入って、年末か来年まで通ってみて、それでも気持ちが変わらんかったら、その時に学校辞めてもう一回受験したらええでない。私立に通いながらでも、ぼくやったら受験勉強はできるはずや。頼むけん、私立に行こう。行きまい!」
 大西先生は涙を流していた。

 数日後、ゴロチとヤマが家に来た。
 「おぉ、生きとったか?」
 「スケートでも行くかー」
 2人とも西高に合格していた。2人の方が秀雄の何倍も気を使っていることを、秀雄もわかっていたので、悪いなーと思いながらもやっぱり嬉しかった。
 「2人とも西高合格、おめでとう」
 「ありがと」
 「ありがとの」
 高校についての話はこれだけだった。
 「だいたい、藤原がいかんのちゃうんか」
 「前田はまじで強いぞ」
 「高田と越中、ええ感じやと思う」
 「1年の時は昼休みにプロレス、やっとったのう」
 「ほんまや、いつの間にかせんようになったけど」
 「そういや、最近、釣りにもぜんぜん行ってないわ」
 「また行こうで」
 いつも通りに話して、いつも通りに笑いころげて、いつも通りに別れた。
 「ほんだらのー」
 「ばいばい」
 「ばいばーい」
 それが3人で会った最後になった。

 春休み中、一通のハガキが届いた。リコからだった。ハガキには一言だけ、
 「応援する!」
 と書かれていた。
 ハガキを手にしたまま、秀雄は泣いた。泣いてから気づいた。
 -なんだ、ずっと泣きたかったんだ。


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