スカイツリーと雪

8年後の私から、8年前の私に伝えたい

大雪が降った8年前の朝の写真がふとフェイスブック上にアップされ、朝食を終えたばかりの私と小5の娘は、思わず携帯の画面に見入ってしまった。一緒に当時のコメントを読む。

~2012年1月24日 普段は散歩しながらでも15分あれば到着(大人の足で3分)の距離ですが、今朝は一面の雪に興奮して45分かかりました。はー。でも保育園に着くと、園庭は興奮する子どもたちでえらいこと大賑わいです、た、大変だ……。保育士のみなさん、頑張って!~

小さっ、これ私? 驚く娘。そうそう、これはキミですよ。雪が眩しい朝の登園中の写真。あまりにはしゃいでいたから、思わず撮ったんだね。キミがまだ2才の頃。きくぐみだね。ふーん。いま10才の娘は、しばらく見たら部屋に戻り、ランドセルをかたかた言わせながら「行ってきまーす」と玄関へ。もうすぐ私に背丈が追いつきそう。あのころはクラスで背の順の最前列を競い合っていたけれど、いまは真ん中ぐらい。靴の大きさはもう私とほぼ同じ。成長って、予測できない。眩しくて嬉しいけれど、最近は切なさが混じってきた。あどけなさはもうすっかり消え、目下おませな女子だ。

この頃の日々の記憶は、いま思い返してもほとんどない。毎日朝から晩まで、息継ぎなしのクロールで必死に泳ぎ切る感じだった。そんなことを思い出すたびに、胸が苦しくなる。とにかく、余裕がなかった。今日も保育園に無事娘を預けられるように。娘が突然熱を出したりして、仕事中に呼び出し電話がかかってこないように。朝の私の頭の中はそればかりだった。実際は熱だなんだと何度も呼び出し電話がかかってきて、大変な時期だった。崖っぷちの細い道を、岩壁を伝いながら足を滑らさないようにひたすら進む。そんな感じだった。心細さを実感する余裕すらなかった。そんなことをしたら、いまにも崖から滑り落ちてしまいそうだからだ。この状況で、自分が滑り落ちるわけには決していかないのだ。鋼の心でいなければならない。だから、当時を振り返ると胸が苦しくなる。でも、それは永遠ではないことを、いまの私は知っている。だから。

8年後の私から、8年前の私に伝えたい。

大丈夫、娘はすくすく育っているよ。あなたにもいいことがいろいろある。いい仲間もたくさんできる。少しづつ、負担が軽くなっていく。大丈夫!

猛烈な嵐の中にいるようだった時期の記憶は、次々と重なる新しい出来事で、まるでなかったかのようにどこかに隠れてしまう。でも、確かにあった日々。そしていまこのときも、小さな子どもに朝ご飯を食べさせ、着替えさせ、登園の準備をし、保育園に連れて行くべく、足早に向かう親たちがいる。ほんと大変な仕事なんだよ、この朝の仕事が。しかもそれが終わってから、今度は稼ぐ方の仕事にかかるわけだから。で、稼ぐ仕事が終わったら、ダッシュで迎えに行って、ご飯作って、食べさせて、風呂に入れて、寝かしつけ、自分も一緒に寝落ちする。なんて働き者。みなヒーロー。

心細かった頃の自分を思い返し、そんな人達を少しでも元気づけられるようなエピソードも書けたらいい。そんなことをふと思った朝だった。





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