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あなたを看取る日は


「かえでちゃん、最後のお散歩です」
「そらちゃん、すっかりおばあちゃんになっても元気です」
「きなこちゃんは天寿をまっとうしてお空にのぼりました」
「なっちゃん、今までありがとう。天国でまた会おうね」

私たちは、愛する彼ら・彼女らに愛をこめ「ちゃん」「くん」付けで呼びます。生まれたて、遊び盛りの若者時代、穏やかに過ごす老年期も。

呼びかける人は、みな一様に優しい眼差しをしています。愛する子供をあやすように、鼻を突き合わせて微笑んでいて、事実、自身を「ママ」「パパ」と称する方も沢山いらっしゃいます。

目も開かない子供のうちから家族としてお迎えした方にとって、その子は間違いなく「子供」なのでしょう。ミルクをあげて、トイレを掃除して、ひねもす付いて回る小さな身体を抱き上げエプロンのポケットにそっと入れて。

動物の時計は人間よりも早く進みます。みるみる内にたくましく、大きく育っていく姿は頼もしくも寂しくもあり、共に過ごせる時間を1秒だって無駄にしたくないと感じることでしょう。そして愛をこめて名前を呼ぶのだと思います。ちゃんづけで、時には人前で出せない裏声をあげて。

私も家で猫を飼っています。
彼女は2020年、コロナ真っただ中に我が家へやってきた保護猫です。
そして例に漏れず私も、彼女を「ちゃん」づけで呼びながら、顔をむにむにとマッサージして鼻と鼻の挨拶をします。ゴロゴロ喉を鳴らして私の手の中に顔を突っ込んでくる彼女が本当に愛おしい。

彼女は2歳半で我が家にやってきました。
そのせいか、あまり「親子」という感覚は無く、我が家での彼女のポジションは「居候、同居人」です。私が「大家さん」夫は「おじさん」です。
なんとなくで生まれた距離感ですが、彼女に対する敬意を自分なりに込めていたのかな、と最近思います。

彼女に初めて会った日のこと、迎えるまでの数日間は今もありありと思い出せます。初めて見た彼女は年齢にそぐわないほど小さくて弱々しく、ケージに頭を詰めてぶるぶると怯えていました。その姿を見て涙が込み上げてくる、まぶたの熱を覚えています。

一体今まで、どんな生涯を歩んできたんだろう。どんな辛い思いをしたんだろう。きっと私なんぞが簡単に想像できるものではない。沢山の記憶、感情、経験がこの2kgほどの小さな体と心の中にぎゅっと詰め込まれている。
そして、今日からはその小さな小さな体がよろこびや幸せで満たされるように、沢山の愛を注ごう。彼女の残りの時間を私たちが引き受けよう。
そう決意したときに、我慢していた涙が一筋ほほを伝いました。

いま、私はあの日自分にした約束を果たすため日々を邁進しています。
とても小さかった彼女の身体は、病院でこれ以上はダメ!と言われるほどふくふく丸くなり、目ヤニと恐怖に覆われていた瞳は好奇心を宿して常に窓の外を眺めています。頭をなでればぴょんと尻尾を立てて歩き出すし、お風呂から上がるとドアの前にお腹を出して落ちています。

でも、私は知っています。出会ったあの日の姿を。
きっと、私だって経験したことのないような痛み、辛さ、苦しみも乗り越えて、その生涯を強く生きてきた彼女が居たからこそ、そして彼女と私をつないでくれる人が居たからこそ、今こうして彼女が我が家でふくふく毛玉になり、ひだまりの中まどろんでいることを。

私はそんな彼女の過去も含めて、すべてを引き受け愛したい。だから敬意を込めて「同居人」です。お互いの時間が交差する、きっと、あっという間の時代を心から喜び、大切にしたい。

人と猫の時計は違います。
あなたはこれから私より、ずっと早足で先を走っていく。
だんだん息が上がってきて、ぼうっと過ごすことが増えてくる。
それはいつごろやってくるのでしょう。
今年で4歳。まだまだ元気に先を走り続けていてね。
その足が止まるとき、私はあなたの頭を撫でながら
「さん」付けで、敬語で看取りたい。
私よりずっと後に生まれた人生の先輩に、最上級の敬意と慰労を込めて。


#うちの保護いぬ保護ねこ

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