![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29068617/rectangle_large_type_2_62da4b90b4820a4601ac7cf1d367f6b8.jpeg?width=1200)
Photo by
mkaoru
普通っていう言葉が大嫌いです。
前にこんなことをつぶやきました。
例外があって、簡単→普通→難しい、のように段階や程度を表す場合の普通はちょっと意味合いが違うのでよいのですが。
なんか、
「普通、こう考えるんじゃない?」とか、
「普通はこんなふうにしないよ」とか。
まぁ、お前は常識から外れている、お前は変だって言われているみたいで、私自身、すごい拒否反応が起きる。
あなたは神なのか?この世の”普通”をあなたが決めているのか?と、強烈な思いが沸き上がります。
何も知らずに”普通”を多用してる人って、周りの人たちをとてつもなくイヤな気持ちにさせてるのではなかろうか?少なくとも私は不快です。
それに普通しか持ち出してこないってことは、普通以外の価値観がないってことも言えると思う。視野が狭いっていうか。
そんな人もいるのだと広い心をもって受け入れたとしても、そのような人に上から”普通”を説かれたって、「ぁあん?」とつい反抗的になってしまうほど。
思うに"普通"とは、
『普通を用いているその人の基準である』と思うのです。
要は、”その人の普通”。
”その人の普通”をこちらに押し付けられても、と、究極を言えばそんなかんじです。
そして、民主主義のこの国では、今日までは「A」がマジョリティ、多数派で、「B」がマイノリティ、少数派だったとしても、明日は逆になっているかもしれない。
あなたのいう”普通”は明日には”普通ではない”可能性もあるのですよ。
いつもいつも、少数派側に属することが多い私の、
普通っていう言葉が大嫌いな理由でした(あくまで個人的な意見です)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?