私が生まれ育った町
私は淡路島のとある小さな町の出身。近所の人や八百屋のおばさんまで、誰がどこの家の子供かわかる。いまの日本の社会ではそれが欠けているとよくいわれる。
しかし数十年前の私はそんな状況がいやでいやでたまらなかった。とても窮屈だと感じていた。
「はやく家を出たい。早くこの島を出たい」
いつしかそんなことばかり考えていた。
大学進学を希望していたので、高校を卒業すれば、自然と一人暮らしをすることとなる。この島から脱出することをエネルギーにして、必死で勉強した。
そして、京都の大学へ進学し、念願の一人暮らし。ウキウキ・ワクワクした気持ちをあまり親に悟られないようにポーカーフェイスの日々。
引っ越しの日、京都のアパートへ父の車で向かった。
当時は本州と橋で陸続きにはなっていなかったので、港からフェリーに乗って大阪に上陸。その後、高速道路を使い京都の町に入った。
契約したアパートに入り、必要な日用品や電化製品を揃え、黙々と父と一緒に引っ越し作業を終えた。
父が、「じゃ、帰るからな。ちゃんと勉強せなあかんぞ」と言葉を残し淡路島へ帰っていった。
父が帰った後、他に誰もいない部屋でテレビの声だけが響いていた。
気が付くと、ウキウキ・ワクワクした気持ちが失せていた。
「なんか寂しいな」と心の中で感じた。
あれほど出たかった家、故郷。離れてみるとなんだか寂しくなる。人間って不思議な生き物だ。
そして、「これから京都で何があっても帰ることができる場所がある」。これが故郷なのかと少しずつ故郷のありがたさ、親のありがたさ、そして、故郷は温かいものだとその温度を心で感じるようになった。
離れてみないとわからないものがある。離れてみて見えるものがある。
「故郷は遠くにありて思うもの」という言葉がある。
故郷の温もり。私はいま仕事で北海道にいる。ふるさとをいつも心の中で感じている。
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