Tetsuhito Yamashita

よろしくお願いします。

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最近の記事

私が生まれ育った町

 私は淡路島のとある小さな町の出身。近所の人や八百屋のおばさんまで、誰がどこの家の子供かわかる。いまの日本の社会ではそれが欠けているとよくいわれる。  しかし数十年前の私はそんな状況がいやでいやでたまらなかった。とても窮屈だと感じていた。  「はやく家を出たい。早くこの島を出たい」  いつしかそんなことばかり考えていた。  大学進学を希望していたので、高校を卒業すれば、自然と一人暮らしをすることとなる。この島から脱出することをエネルギーにして、必死で勉強した。  そして、京

    • ギターを通して知り合った人々〜高校時代

       私は音楽が大好きで、高校時代はギター部に所属していた。ギターと言ってもエレキでなく、アコースティックの方だ。高校時代に好きな子がいて、その子がギター部だったから入部した。至って単純な動機である。当時は長渕剛、尾崎豊な どを歌っていた。少しずつギターとハーモニカを一緒に演奏し、だんだんと上達した。やはり恋の力は大きい。これでもかというくらい練習した。いまではあそこまではできない。ギター、つまり音楽を通してたくさんの人々に出会った。いろいろな思い出がある。まずはギター部に入部す

      • 花火戦争

         中学生まではよく外で遊んだ。海、山、川。野球やサッカー、子供も多かったのだろう。20人くらいで遊んだりしていた。いまでもよく覚えているのは、花火で戦争をしたこと・・。      10人で1チーム。2チームで対戦する。夜な夜な近所の空き地に集まった兵隊達は、それぞれに花火を持ち寄っていた。段ボールや板で壁を作り、自分達の陣地を守る。相手陣地まで花火を使いながら攻めていく。ある兵隊はロケット花火に爆竹を装着させる独自の兵器を開発してきた。1カ所に点火すると、ロケット花火と爆竹両

        • 素直な心を大切に

           素直でありたいと思う。素直とは、心を真っ白にして、相手の話に耳を傾け、 受け入れてみる、ということだと思う。  人間生きてれば、自分なりの考え方を持つようになり、人それぞれ意見が違う こともたくさんある。しかし、自分の考えを押しつけることは、単なる人の話を 聞けない人間であり、自分の意見が通らないと機嫌が悪くなるのは、もっと手に 負えない。単なるワガママであろうか。  私ももちろん人の話を聞いて違うなと思うこともある。でも、いったんは心を 白くして、その人の意見を受け入れる

        私が生まれ育った町

          1個のハンバーグ

           私の実家は漁師である。父は中学を卒業してすぐ、漁師として働き始めた。  決して裕福ではなかったが、人並みの暮らしはしていた。  漁は天候に左右される。私の実家淡路島は、台風がよく通過する。多いときには3個も4個も続けて台風がくることもある。  そんなふうに台風が連続して来ると、父は漁に出れなくなる。私が小学生の時、台風が3個連続して直撃したことがあった。父が漁に出れない日が続いた。きっと1ヶ月近く漁に出れなかったと思う。お金が家に入らないともちろん生活は苦しくなる。そんなあ

          1個のハンバーグ