令和6年8月21日 水曜日 地鎮祭 無事この日を迎えることができた。 酷暑の中、晴天の空が池の水面をひらひら涼しげに揺らしていた。 神主さんの警蹕が響き、ずっと誰も手を入れなかったこの森の神様に、私たちが少しだけ介入することをお許しいただく。そして無事に工事が進むことをお祈りした。 神事に触れる貴重な機会にも感謝。 ここに辿り着くまでには問題もあり、一時は白紙に戻るかもしれなかった。血の気の引いた出来事は、いつか機会があれば書こうと思う。 それから全てのインフラを一
4ヶ月ほど遅れていた所有権移転がついに完了し、森は正式に私の名義になった。 契約から約9ヶ月の間に色々と問題も起きたけど、とりあえずひと段落。 土地を探しを始めた頃から構想にあった山荘の建築が夏の終わりに着工となる。 森は耳納連山の麓〜中腹あたり。 100年前は果樹園だった場所が長い年月をかけて自然林になった。今では当時の面影はなく、自生したさまざまな木々と、遠い昔に誰かが植えた立派な黒松や紅葉、棕櫚が混在している。 ここに井戸を掘り、小さな山荘を建てる。 生活用水は全
ベルリンのノイケルンに位置する私のアパート。 Theodor Goeckeという建築家設計の産科クリニックだった建物を住宅に改装してあり、敷地内には大きなガーデンがある。 近くには森やTempelhofer feldがある。そんな立地からこの近辺は犬と一緒に暮らす人たちがとても多い。 私達夫婦もここへ越して来てから、いつか犬と暮らすことを夢見ていて、先月ついにその時がやってきた。 ベルリンから南西に100km、Jessenという美しい田舎町で生まれたミニチュアダックスフンド
ベルリンに戻ってもう1ヶ月半経ってしまった。 前回の帰国の目的、森の視察の覚書を少し。 前回そこを訪れたのは冬の終わりだった。 夏の植物の様子や梅雨にさらされた土地の様子を確認しておきたかったのだ。新緑のもみじが森の入り口にアーチを作っていた。冬に来た時にはそこにもみじがあることに気づかなかった。 前日に大雨が降っており、森の中は体感湿度100%。 風通しなど、課題の発見もあった。 実はこの帰国中、線状降水帯が猛威を振るい、お隣の久留米市田主丸では大きな土砂災害、うきは
パンデミック序盤に引っ越したのを機にガーデニングを始めた。新居は南東にバルコニー、北西に中庭のある気持ちのいいアルトバウだ。 お気に入りの三浦くん(佐賀、武雄の山中で活動する陶芸家)の野焼きの鉢やWilly Guhlの大きなプランターに木々や花を植え、実りや季節ごとに移ろう表情、プランターの苔や経年変化を楽しむ日々。 そんなある日、友人のしづ子さん(aoiro/ベルリンで活動するエアフレグランスデザイナー)一家が畑を借りたと聞いて私は興味深々。 そんな私の様子を察してか、
気になっている人もいるかもしれないので このテーマについても書こうと思う。 10年前、雇われデザイナーだった私は売る為のモノ作りに疲弊していた。 もっと自分が楽しめる主観的なことをやろうとMAISON EUREKAを立ち上げてからしばらくは、やる気と希望に満ち溢れていた。 人や環境にも恵まれ、ブランドは順調に成長していった。 目まぐるしい日々が過ぎ、どんどん勢いは増して行く一方で徐々に何か薄っすらと矛盾みたいなものを感じ初めた。 5年もたった頃には漠然となんだか楽し
この表現がフィットするかはわからないけど、ある衝動に駆られて森を探し始めたのだから、間違いではない。 ある日の昼下がり、寝そべりながらtwitterを流し見ていたら一つの記事が目に止まった。 熊本〜宮崎の高千穂峡の上流域で大規模な産業廃棄物処分場計画が持ち上がっているとのこと。(後にこの計画は見直されたそう) それ読んだ時これからもずっと変わらない、自然豊かな場所を担保したい。そんな衝動が湧きあがった。 私のルーツ、母の故郷は福岡筑後地方最南の奥八女で、小さい頃は壮大