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島のインじぃ言いたい砲台21 〜続 深山・男良谷・加太砲台 in 由良要塞〜 2023.5.29

深山みやま第1砲台

 台風の影響で雨模様です。ただ前日行った友ヶ島(シリーズ砲台20)、今日は渡船が波が高くて止まっているそうで、この和歌山遠征はホント憑いてます。ん?

 さて第1砲台は、第2砲台と同じ口径28㎝榴弾砲りゅうだんほう(28H)6門15㎝臼砲きゅうほう(15M)4門の配置です。
 休暇村の遊歩道をしばらく歩くと、28Hの右端に到着しました。(冒頭写真)

①3連掩蔽部

 平面がく字状(L字状でないんだな、直角でないので)の地下道に降りると、3連掩蔽部えんぺいぶ(言いたい砲台2参照)と角を曲がった所に小規模な1つの掩蔽部があります。3連は左1つが独立で右2つは内部通路でつながっています。

②3連掩蔽部の一番左の部屋
③3連掩蔽部の真ん中の部屋
④曲がった先の掩蔽部
⑤掩蔽部④の内部

 あくまで私の推定ですが、小規模な曲がった先の1つは偉い人用(言いたい砲台6)、3連のうち内部連結した右2つは一般兵隊用、左1つは砲側庫の可能性もあるんじゃないでしょうか?

レンガ・ノスタルジー

 ただこの天井、外から見たらコンクリートのアーチですが、中に入るとレンガの天井。外見だけで判断してはいかんのか?(・・;)(言いたい砲台20に戻る)

⑥砲座をつなぐトンネル(この天井にも注目)

 友ヶ島第1砲台(言いたい砲台18)と第3砲台(同19)を今一度見て下さい。レンガの細い面が天井面に見えてます。これに対してこの天井はレンガの広い面が見えてることに注目して下さい。深山第1のほかのアーチ天井も同じです。
 前者がアーチを力学的に支えるためにレンガを放射状に“積んでいく”のに対し、後者はアーチにかかる力を100%コンクリートに頼った上に(下に?)ただレンガを“貼っている”だけに見えます。
 後者は力学的根拠もなく一見無駄にも見える、いわば“飾り”です。ただ人は合理性だけでモノをつくることができず、(実用一辺倒の最たる施設)砲台においてもレンガに対して実用以外に求める何かがあったのです。
 暖色で一枚一枚に手作り感があるレンガ、それがどんどん灰色で無機質なコンクリートに置き換えられていく、その心理的抵抗がそういう“無駄”な“飾り”を求めたのではないでしょうか?

⑦トンネル地下の砲側庫

 砲座間をつなぐトンネルの地下には、砲側弾薬庫ほうそくだんやくこが2連ずつ並んでおり、極めて巨大な横墻おうしょう(言いたい砲台2参照)であることがわかります。

⑧砲側庫内部、奥壁方向
奥壁に広いスリット型の通気孔
⑨砲側庫内部、入口方向

 28H砲座の床面にもレンガを敷く、徹底したレンガづかいです。明治(30年代)の人たちもまた、現代の我々がレンガ施設に感じるノスタルジーみたいなものをもっていたんだと私は思います。

⑩28H砲座

 インじぃのエモい考古学的説明で長くなってしまいましたが、明治20年代から30年代にかけての変化が明らかになってきたんじゃないでしょうか?

 おまけで、我が家のDIYコーナー。一応レンガアーチ実践済みです。

 口径15㎝臼砲の砲座がまだなので、次回にHo~dying。







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