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BACH平均律クラヴィーア曲集第1巻という愛-私的重要作五選

 バッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻》は、彼の音楽世界の「ミクロコスモス」である。
前奏曲とフーガという対比的な取り合わせ作品が全部で24セット。
 ハ長調から始まるこの曲集は「ドレミファソラシ」にまつわる全24の調を順行する「宇宙旅行」である。

 今回は本曲集の要となる作品五つを独自の視点で厳選。
 紹介にあたっては、あえて前奏曲とフーガをそれぞれに切り分ける等、可能な限りコンパクトとなるよう心がけた。

1.嬰ハ長調 フーガ

 小川的遁走曲-陽。
 これぞまさしくバッハのフーガ。

 作曲者好みの歯切れよいリズムと大胆な跳躍音型を特徴とする明朗快活な主題から紡ぎだされる三声のフーガは整然として淀みなく、その緩急自在の音楽展開は終始まことに揺るぎなく、まさに確固たる信念をもって悠然と歩むが如くである。
 また、ここで見られる音楽展開(楽曲構成)は後世のソナタ形式のそれ(呈示部-展開部-再現部)を予見するかのようである。

2.嬰ハ短調 フーガ

 小川的遁走曲-陰。
 これもまさしくバッハのフーガ。

 五声の三重フーガという超重量級の音楽は、後のベートーヴェンやブラームスに通ずるような重厚長大、コテコテの「ドイツ」のそれである。
 息の詰まるような濃密な音楽であるがゆえに、第三主題が登場した直後のイ長調へのかりそめの解決(憩い、安らぎ)は極めて印象的。
 しかし、安堵も束の間、程なくして最低音域での第一主題の再現、そして終盤のたたみかけるような凄まじい追い込み、まさにクライマックス。
 ワーグナーも驚愕の濃厚な音楽、その余韻の深さ。



3.変イ長調 前奏曲とフーガ

 聖俗同居の異色作。
 それはあたかも二楽章で構成されるミニ・カンタータ
 それはアリアと合唱を想起させる、独奏チェンバロのためのカンタータ。

 この読みの是非については、《結婚カンタータ》の第七曲のアリア《ロ短調ミサ》の最終曲Dona Nobis Pacemを聞いてから。

4.変ホ短調 前奏曲

 冒頭一撃。
 空気を一変させる変ホ短調の三和音。

 フラット×6(♭♭♭♭♭♭)の異世界空間。
 ここは荒れ野か、それとも凍てつく大地か。
 異様な緊張感と底なしのメランコリーに支配されたモノクロ世界に不気味な静けさが充満する。

 中間部の後半では変ホ短調から変ヘ長調(ホ長調)への急降下、そして独り虚空に浮遊するソプラノ旋律
 一筋の光明さえ見えぬまま、曲は静かに変ホ長調の主和音へと消えてゆく。



5.ハ長調 前奏曲

 音楽におけるコンセプチュアルアート。

 本曲集の冒頭曲(第1曲)にして素材はアルペジオ、ただ一つ。
 18世紀前半、時代を大きく先取りする前衛芸術は東部ドイツの一地方都市においてすでに登場していた。

 あるいは、美は、比率に宿る。
 和音(コード)とは、音程の比率美である。
 こうして我々は古代ギリシャ以来の美の普遍的な定義に出くわす。


 ところで、本曲集の末尾(第24曲)に位置するロ短調フーガの主題は、実に半音階的である。
 ぜひ一度、ロ短調フーガ(最終曲)に続けてハ長調前奏曲(冒頭曲)を聞いてみてほしい。
 全24の調を巡る宇宙旅行は、ただの周遊ではなく、終わりなき「円環の旅」であることが容易に理解されることだろう。

6.BACH音楽世界の百科全書

 《平均律クラヴィーア曲集第1巻》全24曲の前奏曲およびフーガには、様々な既存の音楽ジャンルの要素が取り込まれている。
 それはトッカータ系、ファンタジア系、舞曲系、協奏曲系、トリオソナタ系等々、器楽ジャンルだけでも枚挙にいとまがない。
 聖俗入り乱れつつ、許容範囲内のありとあらゆるジャンルの要素を取り込む本曲集はバッハの音楽世界の百科全書である。



 18世紀フランス啓蒙主義は、後に百科全書派と呼ばれるグループを生む。ディドロ、ダランベールを筆頭に、かのヴォルテールやルソーもそれに加わっていた。
 前代未聞の「百科全書プロジェクト」は紆余曲折、20余年の歳月を経て、最終的に全28巻の『百科全書』へと結実する。
 彼らがその記念すべき《第1巻》を世に送り出したのは1751年。
 バッハの死の翌年のことであった。

7.平均律クラヴィーア曲集第1巻という愛情

 バッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻》は、その序文が示すとおり、職業音楽家の育成を主たる目的として、家庭内(せいぜいバッハ一族内)での使用を意図して作られた音楽テキストである。

 18世紀当時、音大や音楽学校は存在しない。
 職業音楽家は、一子相伝ならぬ一族相伝の(いわば世襲制による)職人気質の家業であった。
 したがって本曲集が当初予定していた学習者は極めて限定的であり、出版販売などは想定されてすらいない。


 にもかかわらず、である。
 これらの事情を踏まえてなお、《平均律クラヴィーア曲集第1巻》の魅力は、実に普遍的である。
 バッハは味気ない指の練習曲を我が子に与えることはしなかった。
 実際、24の前奏曲とフーガはどれ一つとして個性を失っておらず、マンネリズムには程遠い。飽くこと知らずとはまさにこのことである。

 音楽の喜びや楽しみを大切にしながら、職業音楽家として生き抜く術(技術、センス、インスピレーション)を身につけていってほしい。
 そんなバッハの深く大きな愛情は、家族愛を超え、普遍愛へと至る。《平均律クラヴィーア曲集第1巻》の魅力の源は、バッハの職業音楽家としての後進への深い愛なのである。