カレッジで学んでみて気がついたこと、それは無限ループの楽しさ

今までの人生、
学ぶとは正解を求めることだと思っていた自分に気がついた

学ぶことは正解がわかるということではなかったんだ、
キミキミ、なにを今更、と思われてもいい、言わせてほしい
どれほどお勉強をしてきた人でも、
お勉強をしてきた人だからこそ、正解を求めてしまう、
自分は正解を持っているはずだと感じている人は多いような気がする
そう考えると、あの事も、あの事も、納得できちゃうんだよなぁ、、、

正解が欲しいということは、正解を持っているという状態が安心するなぁ、
それが正解だよなぁって思っているっていうこと

私の場合、
子供の頃からの自分を顧みると、
かなり我の強いタイプの人間だったのだが、
一方で、
学校の先生の言うこととか、
鼠講や健康食品の説明とか、
オンラインサロンや自己啓発の言葉とか、
「自分にとって悪い意味で押しの強い人」の言葉とか、
うんうん、と、反射的に心を持っていかれやすいところがあった
正解を求めたい、強きに弱いタイプです

心を持っていかれやすいところがあった、と、
あえて過去形で書いたのは、
「自分にとって悪い意味で押しの強い人」に会うと居心地が悪くなるので、
今は接しなくなって久しい、ということ

ちなみに、「自分にとって悪い意味で押しが強い人」とは、
見た目や喋り方や態度とは全く関係がなく、
だからこそ、「あ、この感じはムリ」と自分で気がつけないと
距離を置くことは難しい

「あ、この感じはムリ」という感覚は
年齢、経験、知識、その時の自分の正義によって年月とともに変わってきているし、
現在もアップデート中、
そしてどんどん研ぎ澄まされてきているから
この感じ!と、この感じっ!と指でさせるくらいピンポイントだ

学ぶことから脱線しちゃったので、戻しましょう

新しいことや、興味のあること、
どんなことでも学んでいくと
物事には裏と表があったり、
立場によって違う意見があったり、
一見不協和音のような、矛盾していることがたくさんあって

それら矛盾や不協和音に直面して居心地が悪くなることがある

そんな時には、無理くり正解を求めたりしない方がいい
居心地の悪さをちょっと脇に寄せて、
ただただ、知識を増やしていく、
AIに学習させるように様々な角度から、無心で

するとある時、あ、って
自分なりの纏まりが見える時がある
それは、「私はこう思います」と言える材料を手に入れた瞬間だ

「私はこう思います」とは、他者を言い負かすための武器ではなく、
他者と議論するための材料だから
大事にして変化を恐れず育てたい
「私はこう思います」遍歴がたくさんあった方が絶対にいいはず

よく耳にする言葉で、
学ぶことは選択を増やすこと、とある
私はこの言葉も勘違いしていたかもしれない
選択が増えると言うことは、
資格や学歴を持って、やりたいこと、やれることが増える
のはもちろんあると思うけど、

学ぶことで選択が増えると言うことは、
物事のいろんな面があることを知る、
立場や年齢や環境によって感じ方や意見が異なることを知る、
様々な正義があるということを知る、
そして何より、自分を知ることができる、
のではないかしら

ということは、
学ぶことに正解を求めてしまったら、
矛盾や不協和音を我慢できず正解を求めてしまったら、
学びの基になる、「なぜ?」が生まれなくなってしまう

学ぶことを楽しいと感じている人、とは

「なぜ?どうして?」の無限ループにハマり
上昇したり、下降したりしながら
そこからぴょんぴょんと弾けるように
時々、本当に時々、あ、って自分の中に
纏まった何かが生まれる瞬間の快感
この快感を感じてしまったからこそ、
さらなる快感を求めて
「なぜ?どうして?」の無限ループに自らハマっていく人のこと
なんだろう、と思った

キミキミ、なにを今更、と思われてもいいんです
そうです私が生まれて初めて無限ループにハマってるおばさんです

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