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赤ちゃん 〜夢の話から 

〜こんな夢で目覚めました〜

「ちょっとー、ねぇ!」
呼ばれたので振り返ると
ジャグジーから下着姿の赤ちゃんが
一歳くらいの赤ちゃんがよちよちと出ようとしている

(えっ、、この子が呼んだのかな、、)

わたしはかけ寄り抱き上げたら
その子 茹で上がりのようにほかほかしてる
いそいで下着を脱がせて手で風を送る
一緒にいたわたしの妹が
ジャグジーの温度を確かめびっくりした顔をして呟く
「熱すぎる、、」

そこに 赤ちゃんをジャグジーに入れた人が来た 
その人は「あ!お湯沸かしてたんだ、、、」と言いながら
赤ちゃんには目もくれずどこかへ電話をし始める

わたしは赤ちゃんが両手で持っていたペットボトルを受け取り
ふたを開け、椅子に座り
まるでお乳をあげるように赤ちゃんを抱え
ペットボトルの水を飲ませようとする

飲ませようとしたところでハッとする
(この子、脱水状態だ、、、少しずつ飲ませなくちゃ)

そういえば
お湯から出たその子に、わたしは
「お水飲もうね」と言ったの、そうしたらその子は
「、、、のんでみるかな、、、」と言ったの
おじいちゃんかおばあちゃんのような声だった

そしてわたしはこんなことを思ったんだ

その赤ちゃんにしてみたら
面倒を見てくれるはずの大人は自分のことばかりで精一杯
赤子の自分には無関心で
なんだかわからないガチャガチャしているこの世界に放り込まれてる
その子はひとり、自分のことは自分でしようと
自力で熱すぎるお湯から出てきたのだ
泣くかわりに、ねぇ!ちょっとーと助けを求めて

。。。

こんな夢から覚めた朝
ぎゅーっと絞られたような心をほどくように
夢の内容をノートに書き留めました

その数日後
ある情報番組で見た親子の光景がこの夢ととても対照的で
だけどとても似ているような気がして
一緒にまとめて書いてみようと思いました

その親子は番組の中で
お子さんの中学受験の結果を待ちながら緊張していました
真ん中に女の子 その両側にお父さんとお母さん
三人ともに『同じように』緊張している
いや
お父さんお母さんの方が隙間のないくらい緊張感でいっぱい
その様子にわたしは思わず
「お父さんかお母さんのどっちか、大丈夫だよ!って言ってあげなよ、、」
と呟いていました
こちらの勝手ですが、見ていて居た堪れなくなるほどでした

結果は見事合格
お父さんお母さんの安心感がほぉ〜〜っという音で聞こえるようでした
お母さんは「体調がおかしくなるかと思った」と言ってたなぁ

その画面を占めていたのはご両親の感情がほとんどだったように
わたしには感じられたんです
余計なお世話かもしれないが
このご両親のそばで 
この女の子は自分の感情を大きく出すことはできるのだろうか?
とふと思いました

余計なお世話かもしれないが
命に関わること以外、
親の一喜一憂は邪魔なのではないだろうか、と思った
たかが受験なのだ、落ちたからなんだと言うのだ、死ぬのか?
と、表面上はカラッと振る舞っていて欲しいと思いました
たとえ心の内はドキドキだったとしても

さらにこんなことを思いました
感情的になるのは子供の特権なんだよね
だから子供時代にめいいっぱい感情的になってほしい
人っていろんな感情を持っているんだって実感して
その全てを持ってていいんだって知ってほしい
大人になるということの一つは
そう言う感情を抱えつつも表には出さない
行動をコントロールできるっていうことなんだ

なんてことを考えた後 あっ と気がつきました

あのご両親を見てわたしの心がざわついた
と 言うことは
あのご両親の中にわたしと同じものを感じ取ったからなのだ

そうだ そうだった
わたしも息子の一挙手一投足にハラハラドキドキし
息子の鼻歌でさえ不安に感じていたんだった
きっかけ 理由はわかっている
今となっては「そんなことで」というような本当に些細なことに
不安を感じて縛られてしまう自分に出会った経験
このことを忘れないようにしよう

最初から
子供が安心して自らの感情を出すことができる
そういう母ではなかったのだ

だけど子供は偉いのだ
どんな状況の中でも もがきながらも
成長してくれるのだ

そして親自身が自らの至らなさに気付けるように
日々たくさん たくさん教えを与えてくれているんだ

そして幸運なことに
親が自らの至らなさに気づいて子供に感謝して
勝手に抱えていた子供の人生を手放した時 子供は
その親をこえ自分の道を見つめながら進んでいってくれるのだ
その後ろ姿の美しいこと 癒されること
親として育ててくださり有難う
どうかどうか幸せに とただただ祈ることができる幸せがそこにはあるんだ

そういえば
あの女の子を支えた塾の先生の言葉が印象的だった
「未来を見つめながら中学生活を送ってください」

合格はただの通過点
これからいろんなことが起こるだろう
思い描いている学校生活にはならないかもしれない
だけど君はまだ人生の途中
辛い時はそこに止まっていないで
自分の未来に目を向けて少しでも心穏やかに希望を持っていてほしい
休んでもいい やめてもいい
でも心は大切にしてほしい

と言うことを伝えたかったのかな、と思った
、、、が、どうなのかな
本当のことはその人にしかわからない でも
どう受け取るかもこちらの自由と言えば自由だ

無関心な周囲
はたまた過集中な周囲
どちらにしても良いとか悪いとかではなく
子供達は自ら考えて成長していく

ただ
無関心な周囲では命の危険があり
過集中な周囲では心の危険が近くにある
程よい距離をとりながら
見守るべきところで見守り
声をかけるべきところでその子の状況に見合った言葉を
かけてあげられる大人でありたい

そのために大人も勉強するんだ
身近に教えはごろごろ転がってる
きっと、難しいことではないと思うんだ
人生はきっと考えているよりもずーっとシンプル
それに大人が気づいていれば
大人の頭の中がスッキリしていれば
どんな時も子供に向かって笑えるね
きっとそれで充分

子供は自ら考えて しっかりと少しずつ
前に進んでいくんだろう

わたしたちは この幸せを願って祈るのみ

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