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現地コーディネーター:第12話

 緩やかなカーブを描く高速道路の先に、青い鉄板が陽の光に輝いて立っている。「ようこそ音楽の都テネシー州へ」とウェスタン調の筆記体フォントで書かれたその看板は南部の歴史と文化の入り口を示しているようだ。

 アメリカ横断の五州目。カズマの運転するビートルの窓の外に時折見え隠れするのは巨大なミシシッピ川だ。年老いた木々が湿地帯の風を遮り、生ぬるい空気が車の中に流れ込んだ。

 大雨でも降ったのか、川の水は茶色く濁り、岸には粗大ゴミが散乱している。ドアを失った古い冷蔵庫、破けて中のスポンジが飛び出したカウチ、フロントが全壊した自家用車。どうやってここに行き着いたのか、色んなサイズの物体が当たり前のように投棄されていると、これも自然の一部である様にさえ思える。

「これが全米一の川、アメリカの魂だ」
 カズマは目を輝かせながら言う。
「ゴミ臭いですね」
 エドウィンが答えるとカズマは愉快そうに笑った。

「そう、ゴミ臭い。これこそがアメリカなんだ」
 幹線道路に合流し三十分ほど進むと彼らの目の前にはメンフィスの活気に満ちたビール•ストリートが広がる。歴史あるバーや土産物店が立ち並び、「ロック発祥の地」「エルビスの故郷」といった大文字がそれぞれの店の前で強烈な自己主張をしている。裕福そうな白人の観光客の団体と、物乞いする黒人家族の対照がエドウィンの心にざわめきを残した。

「ジョニー•キャッシュもカール•パーキンスもこの街からスタートした。キング牧師が命を終えたのもこの地だ」
 カズマは独り言のように呟いた。

 エドウィンは今から会う叔父のロイとどう接すればいいのかを考えると気が重かった。彼とは五歳の時から会っていない。ジェフによると彼は十年ほど前に離婚し、大学生の娘と二人で暮らしているらしかった。

「Long time no see. Thank you for your time…(久しぶり、時間を取って
くれてありがとう)その後なんだっけ?」

 エドウィンは車内でカズマから習った通り一遍の挨拶のフレーズを復唱した。メンフィスの賑やかな中心街を抜けると、時間が止まったかのような静謐な並木道が広がる。ビクトリア調の優雅な家々がその道を縁取るように並んでいる。それぞれの家は緻密な彫刻や装飾が施され、日差しを受けて繊細な影を路上に落としている。華美なバルコニー付きの豪邸は「風と共に去りぬ」のヒロインが現れそうな風情がある。

 カズマは運転しながらカーナビの画面をチラリと見て、指示された住所を口にして確認した。

「テネシー州メンフィス市クーパー通り1434番」

         *

 幻想的な豪邸の並びはすぐに姿を消し、次の瞬間には広大なゴルフ場と射撃場が現れた。通過すると再び住宅地が広がり、その道はクーパー通りと交わる。この通り沿いの家々はごく中流階級の煉瓦造りの一戸建てが主だ。

 それぞれの家の前庭には整然とした芝生と共に郵便受けが立っており、そこに記された住所番号は四つずつ昇っていく。カズマは車をゆっくり走らせながら、郵便受けに記された番号を順番に確認した。「1434」と書かれた、少し色褪せた黒い郵便受けが目に入る。

「あれかな、あのおっさん見覚えある?」
「わかるわけないじゃないですか。顔も見えないし」
 二人の目線の先には全開になったガレージの中で大男が古いジープの下に顔をもぐらせ整備をしている姿があった。

「困ったな、間違った家に入ると撃たれちゃうかもしれない」

 エドウィンが凍りつくとカズマはケタケタ笑い出し、ジープ下の男を煽るようにクラクションを鳴らす。男は驚いてバンパーに頭をぶつけたのか、鈍い音が響いた。少し間があり、車の下から男が這い出てくる。頭を抑えながら近づいてくる男の手には銃では無く錆びたモンキーレンチが握られている。エドウィンは深呼吸をした。

 人の良さそうなその中年の男の顔は機械油で薄汚れ、口ひげと赤いキャップがスーパーマリオを思い出させた。身長二メートル弱、体重百キロ強くらいと言ったところだろう。目元にはどことなくジェフの面影がある。そして大きな体躯のハグに埋もれると不思議と落ち着いた気持ちになった。

「久しぶりです。時間を作ってくれてありがとう。また会えて嬉しいです」
 エドウィンは少し照れながら先ほど復唱した英語を丁寧に並べた。

「大きくなったね。五歳の時は俺の英語が怖くて泣いてたのに。ハンサムになって、最初誰だかわからなかったよ」
 カントリー音楽のようにリズミカルな南部訛りでそう言うと、ロイは二人を家の中へ案内した。

 リビングルームの大型テレビの上には鹿の頭の剥製が飾ってあり、その脇には田園風景の抽象画が飾られている。角の大きな戸棚には古びたショットガンが三丁、置台の上に飾られている。
「その絵、素敵だろう?セザンヌっていうイタリアの画家が描いたんだ」

 したり顔のロイに、その画がセザンヌではない事とセザンヌがイタリア人でないという事は黙っておく。
「本物の作品じゃないけどな、残念ながら」

 ロイはガハハと大声で笑うと二人を隣のダイニングルームに案内した。キッチンとダイニングテーブルの間には仕切りのように二階に続く木製の螺旋階段があり、それはユニークというよりは設計ミスのように不自然だった。

 ロイはおもむろに冷蔵庫を開けると五リットルサイズのガラス製ピッチャーを軽々と持ち上げ、それ一杯に入った茶色い液体をペットボトル大のコップに並々と注ぎカズマとエドウィンに差し出す。ちょうど喉の乾いていた二人は飛びつくようにしてそれを喉に流し込むが、その砂糖の多さに二人は同時に顔を見合わせた。

「メンフィス特有のアイスティーだ。甘くて疲れが吹き飛ぶだろ」
 エドウィンは大げさに頷いて一気に飲み干した。だが甘すぎて余計に喉が乾いてくる。

「腹は減っていないか?」
 時計を見るともう夕方の五時だ。途中サービスエリアでマフィンやらホットドッグやらをつまんでいたので二人とも腹はそれほど減っていなかった。

「食事は七時頃だが、いいかな?今日は特別ゲストのために本場の南部料理をふるまってやるからな。まあ実際に作るのはほとんど娘だけど」

 ロイは思い出したように螺旋階段の上に向かって大声で叫んだ。
「クリスタル!降りてきな!」
 そして二人の方を向き直ると嬉しそうに続ける。
「うちの自慢のシェフだ」

 男共が見上げる螺旋階段から白い足が舞う様に降りてきた。出身校の名前なのだろう「South Cooper High School」というロゴが前面に大きく書かれた白いTシャツにグレーのホットパンツという大分ラフな格好だ。クリスタルは最後の一段を飛ばしてふわりと床に着地すると、その流れで飛びつくようにエドウィンに強いハグをした。

「ハイ、カズン(従兄弟)。ハジメマシテ」
 エドウィンは突然の柔らかい感触にたじろいだ。クリスタルはその名の通り水晶のように透き通った白い肌で、目はエドウィンと同様の茶色がかった青色をしている。エドウィンはその瞳に少し親近感を感じつつも、異国の地で親戚と会っているというこの事実に現実離れした心地がした。

 カズマは二人のやりとりを優しい眼差しで見守りつつも、隙を見つけるとホットパンツ下でくっきりした大きな尻の形を吟味する。

「それで、あなたがジェフ叔父さんのお気に入りのカズマね?」
 カズマがハグをしようと腕を広げるのとほぼ同時にクリスタルは握手を差し出した。気まずそうに握手を返すカズマにエドウィンは笑いを堪えた。

「ジェフ叔父さんとはどうやって知り合ったの?」
「もう随分昔だよ。俺がアメリカ来たばっかりの時にグランドキャニオンの近くでヒッチハイクしてたらジェフの夫婦が拾ってくれたんだ」
「へえ、すごい。叔父さんは世界中で色んな人と簡単に友達になるよね」

 クリスタルが憧憬の情を浮かべ目を丸くすると、ロイが冗談ともしかめ面ともわからぬ微妙な表情で口を挟んだ。
「簡単すぎるくらいにな。昔はそれでよくトラブル起こしたもんだよ」

 ロイは家の案内がまだ途中だったことを思い出し、クリスタルに食事の準備を進めておくように命じると、エドウィンとカズマを先導して螺旋階段をあがる。ロイが一歩進むたびに木板の階段がギシギシと音を立てたので、二人は彼が階上に上がりきるまで待った。

 階段を上ると細い廊下の床に毛羽立ったベージュ色の絨毯がしきつめられている。左手前がクリスタルの部屋、そして右手前が息子マイクの部屋だと、ロイは指を差しながら説明した。

「ここがカズマの泊るゲスト部屋だ」
 ロイが開けた部屋にはむき出しのパイプ式のシングルベッドと、小さな木製の折りたたみデスクだけがぽつんとおいてある。しばらく誰も泊まっていないのだろう、乾いた無機質な匂いがした。

 一方エドウィンが泊まるマイクの部屋にはクイーンサイズのベッドとアルミ製のコンピューターデスク、大小の戸棚、本棚が整然と置かれており、その上に随分前に流行ったポップアイドルのポスターがいくつも貼られていた。戸棚やデスクは埃がかぶっている。

 デスクの上にはマイクと思わしき青年が軍服を来て手を頭の横にかざして精悍にポーズをとる写真、彼女と思われる若い金髪女性とのツーショット、そして家族写真が安っぽいプラスチックのフレームに飾られている。デスク前の壁にはアメリカ国旗とその横に「Proud to Be American(アメリカ人としての誇りを)」と書かれたペナントが部屋を見守るように貼られていた。

「マイクは軍隊に?」
 カズマがロイを見上げて聞くとロイは誇らしげに頷いた。
「彼は二年前からアフガンに駐留してるんだ。我々の国を守ってくれている。昔からマイクは正義感が強い子だったんだよ」
「守っている?誰もアメリカを攻撃なんてしてないじゃない。今の状況に何の正義が?」

 カズマが咄嗟に言い返すとロイは顔を歪めた。相変わらず余計な口を挟む男だーエドウィンは苛つき、カズマにあえて大きめの日本語で伝えた。

「カズマさん、通訳してください。自分の国に誇りを持つって素晴らしい事だと思うと。日本で同じ事があっても志願する若者なんてほとんどいない、みんなたらたら不平不満を言って現実から逃げるだけだと」

 カズマは意外そうな表情でエドウィンを見た。そして少し不服そうにそのまま英訳するとロイは引きつった顔を緩めた。

「そうか。自国は自分達で守るのが当たり前だ。…じゃあ、準備ができたらまた呼ぶからそれまでそれぞれゆっくりしててくれ。ここは自分の家だと思ってくれよ」

 ロイが去るとエドウィンはカズマの視線を避けるように無言でマイクの部屋に入ってドアを閉めた。カズマは割り当てられた殺風景なゲスト部屋に入るとすぐにシャーロット専用の短縮ダイヤルを押す。呼び出し音が三度鳴ると留守電につながった。カズマは舌打ちをし、電話を切って剥き出しの簡易ベッドに横たわった。


1〜11話はこちら↓


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