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現地コーディネーター:第18話

 カズマは運転席にもたれかかり、ハンドルにだらりと両手を置きながらアクセルを踏み続ける。通り過ぎる標識がアメリカ最南部のミシシッピ州に入ってきたことを知らせる。が、そんな事はもうどうでも良く、同じような平地がひたすら続くのにも流石に飽きていた。生のアメリカを肌で感じるというロマンチックな響きに惹かれ無謀な計画を立てた自分に腹が立ってくる。

 エドウィンの視界にはまだ蕾さえ見えないマグノリアの木々がまばらな間隔でシャッターのように通り過ぎていった。そして捻じ曲がった木が一本だけ他から少し外れて佇んでいるのが目を捉えた。

 日は背後で落ち始め、あっという間に道路は暗くなっていく。ゆったりしたアンビエント音楽を再生しているエドウィンのスマホに通知音が鳴った。登録したまま一切活用していないSNSにクリスタルからの友達申請が来たようだ。塞いだ気持ちが少しだけ軽くなる。

「この曲、眠いな。変えていい?」
 カズマの何気ない一言が無性に癇に障る。エドウィンはステレオのジャックから乱暴に自分のスマホを外し、カズマに伝えた。

「ご自由に。でもパンクはやめてくださいね。クソみたいな雑音だから」
 珍しく語気の荒いエドウィンに面食らったカズマは黙ってバップジャズのラジオ局にチャンネルを固定した。やがて休憩所の看板が見えるとカズマは無言でその矢印の方向にハンドルを切る。道なりに進むと薄明かりの中に閉店したガソリンスタンドがあり、その脇の駐車場に車を停めた。

「ちょっと疲れた、一休みさせて」
 カズマは屋根を全開にし空を見上げ、そして目を閉じた。エドウィンがたまらず口を開く。

「この『お仕事』、いくらもらってるんですか?」
「お前には関係ないことだよ」
「ありますよ。あちこちでトラブル起こして、パーティーで訳わかんない娘引っ掛けて、オレの従兄妹にまで手出そうとして。そんなのがあなたの仕事なんですか?」

「だからお前の従姉妹には手出してないっつーの」
 カズマは面倒臭そうにため息をつき、目を開けてエドウィンの方を向く。
「…もしかしてお前童貞なの?」

「んなわけ…関係ないでしょう!」
「図星か…。男前なのに勿体無いな」
 エドウィンは顔を赤らめて下を向いている。

「もしかしてお前彼女に惚れちゃったの?まあ従兄妹同士でも君ら二人ならありかもな」
 エドウィンはカズマを睨み、声をうわずらせた。
「オレの質問に答えてください。いくらもらってんのかって」

 カズマは鼻をほじりながら答えた。
「パパに聞いてみりゃいいじゃん。お前みたいな甘ったれのガキにかけるには多すぎる金額だよ」
「五つ違うくらいで偉そうにすんなよ!」

 初めて聞くエドウィンの怒声にカズマは少し感心したように頷くと、煙草に火をつけ、薄暗い空へとゆっくり吐き出した。エドウィンは呼吸を整えながら言葉を絞り出す。

「そうやって周りの人間の気分を無視した傍若無人な人生って随分楽しいんでしょうね」
「周りの顔色ばっかうかがってるよりは楽しいだろうな。他人が何考えてるかなんて誰もわかりゃしないんだから」
「そんなのただの独りよがりじゃん。あんたは結局自分が全てなんだよ。負け犬のオナニーアーチスト」
「なんだお前、ケンカ売ってんの?」
カズマは貧乏ゆすりをしながらエドウィンを威嚇的に睨んで拳をあげた。

「今時だっせー。ケンカしたきゃ殴って来いよ」
エドウィンの声が裏返る。

 カズマの貧乏ゆすりが止まり、表情が固まる。右の眉が引きつってヒクヒクしている。

「最初はうらやましかったよ。あんたみたいに自由な生き方。でもただ面倒な事から逃げてるだけじゃん。何一つまともにやれないでさ。ふざけんなよ、甘えてんのはどっちだよ。こっちは外人扱いされても逃げないで日本で生きてんだよ」

「でも別に闘ってもいないだろ、いつも親父の言いなりで。俺はハーフだからとか日本人だからとかどうしようもない事にコンプレックス抱えて環境のせいにする奴が嫌いなんだよ。男だったら自分で切り開けよ、へたれ外人」

 最後の言葉がカズマの口をついた瞬間、エドウィンはほとんど無意識にカズマに掴みかかっていた。こんな事は初めてだった。

 しかし次にどうすればいいのかわからず一瞬膠着すると、その隙をついてカズマが骨ばった右手でエドウィンの喉元を鷲掴みにした。そして左手で運転席のドアを開けると、喉輪をしたまま車の外に引き摺り出す。コンクリートの地面に仰向けになったエドウィンにカズマが馬乗りになる。

「日本なんか自分に合わない、みたいに一匹狼気取ってるけどさ、じゃあこの国であんたは何ができてんだよ」
エドウィンは息を切らしながらそう漏らした。

 カズマの瞳孔がみるみる大きく開く。そしてエドウィンの右頬を叩く乾いた音が夜の静寂に響いた。カズマは自分でも信じられない面持ちで自分の手を見つめ、そして頰を抑えるエドウィンの顔を見る。

 カズマは馬乗りになったまま体を屈め、無防備に自分の顔を差し出した。エドウィンは軽蔑を浮かべカズマを睨む。
「オレはあんたを殴らないよ。怖いからじゃない、あんたが惨めだからだ。あんたと同類にはならない」
 カズマはうなだれてゆっくり体をどかした。

「ファックユー」
 エドウィンはカズマに唾を吐きかけると怯んだカズマを押しのけて立ち上がり、ガソリンスタンドの向こうに広がる鬱蒼とした林へと歩き出した。

 去りゆくエドウィンを呆然と眺めながらカズマは思ったーエドウィンの言う通りだ。自分には何もなくあるのはつまらぬエゴとプライドだけだ。エドウィンを見下す資格なんて無い事は誰よりも自分が一番知っていた。

         *

 エドウィンは霧がかった薄暗い雑木林を無心に進んだ。大きな倒木が目の前を塞いでいるのを見つけ、そこに腰をかけてパニック気味の呼吸を整えた。周りは幽玄な静けさに包まれ、微かに聞こえるのは木々を撫でる風の音と自然の闇に隠れる虫の鳴き声だけだ。

 少し冷静になると、カズマが自分を探しにくるか急に不安になった。このまま放っておかれたら自分はどうなるのだろう。この林はこれから暗さの濃度を増していくだろうというのは予想できた。後先考えず感情に任せて動いた事なんて初めてで、自分でもなぜこんな状況にいるのかがよく掴めない。

 湿地帯からの蛙の鳴き声が、神秘的なリズムと共に空気を揺らす。ふざけたようなその声はエドウィンの緊張を和らげた。そして風が木々を揺らし始め、エドウィンはその純粋な自然の調べに耳を傾け、目を閉じた。心の中で音楽がどんどん膨んでいく。静かな高揚感が身体中を駆け巡る。コオロギが合唱に参加し、そして強まる風の旋律。木々のの葉触れ合い、さざ波のような音を鳴らしている。

 北の空を仰ぐと、星々が木々の隙間から瞬くように輝きを放っていた。星が鳴らす音を想像してみる。恐れるべき事など何一つない気がした。

 突然、遠くから枯葉の上を踏む足音が聞こえてきた。そして携帯の灯が雑草の間を揺らめいている。エドウィンはその場でわざと大きな咳をして自分のいる場所を主張した。そしてライトがエドウィンを眩しく照らしだした。

「早く来いよ」
 カズマはぶっきらぼうに言う。エドウィンは動かない。
「何ガキみたいに意地はってんだよ」
「だからガキじゃないって。まずは謝るのが先でしょ?」

 父親と同種の人間だ、どうせ今までの人生でも恐らくちゃんと謝る事なく生きてきたのだろう。カズマは眉間に深い皺を寄せてエドウィンの目を睨むように真っ直ぐ見つめた。エドウィンは怯む事なく睨み返した。

「ごめん。オレが悪かった。だから戻ってくれ。お前が正しい」

 カズマの珍しく弱々しい声にエドウィンの表情は思わず綻んだ。

第1話〜第17話はこちら👇


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