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「わからない世界」への架け橋~そして感情が世界を動かしているという認識について~

先日、遠方からたまたま私の地元に旅行に来てらしたとある研究者の方と食事をした。
思えばこのコロナ禍のおかげで、いろんな「知識のある方々」と交流をもつ機会をいただいて、知らない世界のことを教えていただいて本当にありがたく思っている。

医学、薬学、ウイルス学、免疫学、数学、工学、法学、その他いろんな世界で活躍する方々とお話させていただいて思うのは、それぞれ専門分野では、それぞれの「常識」や「価値観」があり、それは市井の我々のそれとは必ずしも一致しないということだ。

その「理解するは困難だが、自分の常識とは違う世界」に直面したとき、どうしても「私たちの理解しえないことを知っている彼らの指図に従うべきだ」と思ってしまう。だってわからないんだから。

だが、このコロナパンデミックのバカバカしい社会をもたらしたのは、専門家たる人たちに脳を預け盲目的に追随した市民に他ならない。なぜなら社会を形成するのは少数の専門家ではなくその他大勢の市井の民だからだ。

今日お会いしてくださった方には、率直に私が疑問に思っていること、もっと言えば研究者について訝しんでいることを話してみた。それはそれは丁寧に答えてくださって本当にありがたかった。

話をしていて気が付いたのは、当然のことながら私たちが知りたいことを研究し発表している機関や人々がいるのに、それが私たちのところに届いていないということだ。そんな話をすれば「そんなものは自分で調べろ」と言うかもしれない。確かに。私も自分で調べ考えることを推奨するためにこのnoteを書いている。しかし先日とある医学者らしきアカウントの方とワクチンについて少しやりとりしたときに「pubmedで調べれば出てきますよ」という書き込みを見て思ったのだ。ワクチンを推奨する理由はpubmedなど調べなくとも政府がじゃかじゃか公表している。しかしそのリスクやデメリットについては調べに調べてようやくエビデンスにたどり着く。まるで「自分で調べない人は馬鹿をみるべし」と言われているようだ。

例えばDNA混入の話。いろんなワクチンを作成する際にDNAを利用し、危険のない量・形のDNAの欠片が薬液内に残っているというのを最近知った。それが本当に危険のない量なのかというのは製薬と政府の専門機関のやりとりで決まっている。しかしだ。散々宣伝されているワクチンの作り方や内容の説明にそんなことは書かれてはいない。余計なことを書いたら消費者の余計な不安を煽るという配慮だろうか。逆に言えば「俺たちが安全だと言っているのだから、お前らは余計な心配をする必要はない」ということだ。そのつもりがないなら我々が理解できなかろうが、その説明はあるべきだと私などは思う。

市販の小麦粉にダニが、野菜に虫が、缶詰めにバクテリアが入っているのは当たり前だが、それを言わない。健康を害さない量を監督省庁が決めている。それは専門のサイトに行けば見られる話しで、わざわざCMでいう話ではない。

まあ消費を促進し、楽しく幸せに消費生活を送ってもらうための配慮と言われればそうかもしれない。でも此度のワクチンは何兆円もの予算をかけて、国民に半強制的に接種させる代物だ。今後も推奨をつづけるのだろう。ならば、積極的にネガティブな情報も発信していくべきだ。

我々に「わかって欲しい、理解してほしい」とは思っている専門家もいるだろう。一方で「理解してもらおうというフリをする」だけの人たちもいるだろうし「そもそもこいつらに何を言っても無駄だから適当な説明をしよう」と思っている人たちもいるだろう。でも考えてみれば、そんな彼らの怠惰や諦めは、彼らの感情でもあるわけだ。

思い出さなければいけない。国体の主体は何もわからない市井の素人であることを。
我々が国を動かそうという気持ちでいるならば、「難しいがわかりたい」という態度を示さなければいけないし、それが伝わらなければ彼らも私たちに「わかってほしい」と思わない。
私たちに感情があるように、彼らにも感情があるはずだからだ。

彼らの拡声器の小ささや政治的な偏りに不平をいうのも大事なことだが、我々は前のめりに「わかりたい」という欲求を示さなければいけない。自分が腕押しで反応のない暖簾ではないと上で情報をやりくりする人たちに知ってもらわないといけない。常識や価値観を超え、私たちが感情がある個々人であり、怒り苦しみを抱えていることと同時に、思考し知識を受け入れる準備があることを、彼らの感情に訴えていくべきなんじゃないかと思った。


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