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賢者の無知の知

日本人は謙虚だ。それは美徳であり保身だと思う。
その保身はやがて思考停止につながるのだと気づくのに3年かかった。
いや、半世紀生きてきて気が付かなかったのだから53年かかったのだ。

「おかしくないですか?」

2020年2月。娘が発熱した。39度の熱が数日続き咳が止まらなかった。新型コロナが話題になっていたが日本には外国人観光客も大勢いた。ライブハウスに行った日本人が数人陽性になってクラスターと呼ばれていた。

娘を病院に連れて行ったとき、インフルエンザは陰性。
医者が言った。
「最近、海外に行かれました? もしくはライブハウスに行かれました?」
どちらもNOだ。
「では新型コロナの検査はしません」
数日寝込んで娘は回復した。
当時似たような症状の人が周囲に何人かいた。
 
「おかしくないですか?」

私は思った。実は当時大勢が「インフルエンザに似た風邪」の症状を訴えていたけれど、新型コロナの検査は受けずにいた。のちに京大の宮沢先生にお会いしたときに直接尋ねたのだが、当時は技術者不足でPCR検査を抑制していたらしい。
考えてみて欲しい。
当時、武漢からの観光客も大勢日本にいた。ライブハウスに行った人が感染していたとして、その人たちだって公共交通機関は利用していたのだ。当時は潜伏期間は最長2週間。もうどこに陽性者がいてもおかしくなかった。

そこかしこに陽性者がいたとする。でももしライブハウスに行った人だけを検査すれば、ライブハウスからクラスターが出たことになる。飲食店に行った人だけを検査すれば、そこがクラスターだ。
こんな簡単な理屈を、どうして誰も口にしないのだろう?

「知らないなんてことある?」

2020年4月。誰もがステイホームしマスクが枯渇していた頃、私は新型コロナが従来の感染症と比べても特別視すべき感染症ではないと考えていたけれど、マスクについてさほど拒否感を持っていなかった。日本人は元からマスクが好きだったし、私もホコリと花粉のアレルギーを持っているから時々使用した。冬は暖かいし、どちらかというとマスクに好意的だった。ただ、マスクに感染予防の効果がないという認識だった。岩田健太郎氏のインフルエンザに関する本を読んでいたからだろう。以前勤めていた大学病院でもマスクは感染を防がないと医師が話しているのを聞いたせいもあった。

そこでマスクについて調べることになる。マスクの種類、素材、静電気、過去の論文、正しいつけ方等。当時私には時間があった。なんの用意もないまま在宅勤務を命じられ、実質強制休暇だったからだ。

そこで驚いたのは、医療従事者がマスクのことをあまり知らないということだった。当時テレビでもYoutube動画でもマスクのことを解説する医師たちがいたが、実際何も調べておらず適当なことを話していたのだ。SNSでも「不織布マスクって静電気で飛沫をキャッチしていたんだね」とか、「今までマスクには効果ないって思ってたけど、ウイルスが飛沫に包まれて吐き出されるんだからマスクにも効果があるはずだよね」とか、いかにも今までマスクのことなんか意識してなかったというご意見が並ぶ。誰もRCT論文や、臨床研究の話をしない。もちろん私だって調べたから知ったわけだが、医師たちは当然知っていると思い込んでいた。しかし彼らは医療の専門家であって、マスクの専門家ではないのだ。

これはマスクに限ったことじゃない。行動制限による経済損失、その他もろもろについて、医師たちは我ら一般市民と同等に素人なのだ。それなのに市民は彼らのアドバイスを乞い、彼らは適当な私見を述べ、彼らの指示に従った。それは政治家が彼らの意見を乞い、それに従うべきと言う方針だったからでもある。

しかし国民の英知の頂上である官僚が指摘しないのだ。ほかにも理工系の学者たち、社会人文学者たち、経団連の重鎮、彼らが何も気が付かないなんてことがあるか? 彼らが考えないなんてことがあるか? これが私にはずっと疑問だった。

私の頭がおかしいの? 私が馬鹿だからわからないの?

「彼らどこまで本気なんですか?」

2021年1月。私は東京で今はアフリカに旅立ってしまった「自粛マスク考察マン」さんにお会いできた。ファイザーの治験論文が発表され、イスラエルやイギリスではすでにワクチン接種が進んでいたころだ。前にも書いたが私は既にワクチンにも懐疑的だった。考察マンさんは医療や医学会のことをよくご存じだった。私も以前、マスク等に関して認識不足を指摘され非難されたこともあった。せっかくお会いできたので、聞いてみたのだった。

彼らが何も知らないなんてことがありますか? 
私でも気づくような単純なことを彼らが気が付かないはずもないのに。
彼らはどこまで本気で、こんな馬鹿げたことを続けるんですか?

考察マンさんは「彼らは何も知らないんだよ」と言った。もちろん知っている医学者はいるが、ほとんどの医師は何もわかっていないと。

にわかに信じられなかったし、考察マンさんからすれば何も知らない人でも一般人の私からすれば知らないなんてことはあり得ないと思った。だから、政治家も官僚も財界人も医師も、みな知っていて何かの理由でこの茶番を盛り上げているのだとしか思えなかった。

当然のごとく万能ではない人々

2021年以降、SNSで知り合った人たちにお会いするチャンスが増えていった。これまで知り合うチャンスもなかった医師をはじめとする医療従事者、学者、ジャーナリスト、弁護士、そのほか様々な高度な知識と経験を必要とする専門家の皆さんとも話す機会に恵まれた。興味の末に厚労省に問い合わせることもあった。

そして気が付く。
専門家というのはどのように知能と知識が必要な分野でも、何もかもを知っている必要はないのだと。彼らにも知らないことはたくさんあり、それは何もおかしなことではないのだと。

普段患者の治療にあたっている医師がマスクの詳しい機序を知っている必要はないし、ジャーナリストが死亡診断書の書き方を知っている必要はないし、厚労省の官僚が行動制限による経済損失を知っている必要はないのだ。それぞれが、それぞれの専門分野で日々粛々と業務をこなしているだけなのだから。
 
私よりもずっと膨大な知識と教養を持っている権威のある人たちだって、たまたま私が興味を持って調べて得た「知識の欠片」を持っているとは限らない。
 
この話をすると私が他人を馬鹿にしていると思われるかもしれないがそうではない。彼らは私よりもずっと頭脳明晰であり知識も豊富だということは知っている。ただ、私が想像していたほど万能ではないだけだ。

己の無知を言い訳に

日本人にとって謙虚は美徳であり、慢心は悪だ。
だから、高名な専門家や権威ある知識人が言ったことに疑問を呈することは恥ずべき行為なんだろう。

「彼らの言うことはなんだか変だが、彼らは私よりもずっと詳しいはずだ。なぜなら専門家なのだから。私の感じている矛盾を埋める何かがあるはず」

その埋める何かについて、人それぞれ考える。
作法は2つに分かれる。

  1. 彼らの言うことは事実であるが、私の理解が及ばないだけ。

  2. 彼らの言うことは嘘であるが、彼らが巧みに隠している。

私は世の賢者たちの言い分が、自分の調べたことと矛盾していたから、答えは「2」だと考えていた。でも、ようやく最近になって答えは上記の二択ではないことに気が付いた。

もうひとつの選択肢はこうだ。

3.彼らはよく知らないことを喋ってしまっている。

よく知らないことを喋ってしまうことは我々にもよくある。そしてそれは我々だけに許されたことだと考えてしまう。しかし「よく知らないことを適当に喋る」というのは誰でもある。それがどんなに権威ある賢者だったとしてもだ。

彼らに罪がないとは言わない。市民も、その代表である政治家も、大事なことを億劫がり放棄した。それは「自分で考えること」だった。そして「賢者」たちに答えを出すことを求めた。賢者は求められるままに己の考えを喋った。よく知っていることも、よく知らないことも。

信者たちは賢者が喋ったことを「神の声」としてあがめ、異を唱える者を「慢心者」もしくは「反逆者」として責めた。

自ら思考を放棄し、他者に思考を放棄させるための美しい言い訳として
「無知の知」を振りかざした。

「無知の知」を言い訳にしたのは、コロナ騒ぎを煽ってしまった人たちだけじゃない。「無知の自覚」に甘んじて「他者の無知」を許容することができなかった私も同じだったのだ。

私は頭がおかしかったわけではない。ただ怠惰だったのだとようやく気が付いた次第だ。


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