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ゆらぎ



老子第十八章

大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣

現代語訳

人間本来の自然な生き方である”道”が失われてしまったからこそ、人々が仁義などと言い出すのだ。小賢しい知恵を振りかざす者がいるからこそ、人々は偽り合う様になったのだ。家族が仲良く暮らしていないからこそ、孝行とか慈愛とかが重んじられるのだ。国がひどく乱れて安定しないからこそ、忠義の臣などがもてはやされるのだ。

社会において
平和が議論されるほど
本当は平和ではない

戦争について
議論がされているうちは
まだ平和なのだ

男女平等
という声が上がる間は
まだ平等ではない

裕福さを他人に誇る間は
その人の心が寂しく貧乏なのだ

自分は悟ったと
自称する人間ほど
まだ悟ってはいない


 最近の出来事を振り返ると、自分が感傷的になっている理由を知る機会に恵まれていることに気づきました。

 その感情の先に「自分が望むものor望まないもの」「受け入れ難いことや受け入れたくないもの」「受け入れたいけど、どうしていいかわからない」など色々な想いが混在していることがわかります。

 しかし、それは入ってくる情報に錯綜してるだけで、感情そのものは自分を知るためのシグナルになっていました。

 施設生活では、自分の感情に気づいて対処する方法ばかりに目を向けていましたが、自分がその感情を抱いている事を知ると「そんなに自分を嫌わないでいいんじゃないか?」と思えるようになってきました。

 施設は密度の濃い集団生活が中心だったためか、そこでは条件反射や作用・反作用の法則の影響が出やすかった気がします。

 「言われたら言い返す」「やったらやり返す」という相手の態度に左右されるコミュニケーションをしているうちに、だんだん心が荒んできて、本来の自分から遠ざかっていくのを感じました。また、相手を自分と正反対の存在だと思えば思うほど、それは強くなっていきました。

 過去の経験や出来事を振り返ってみると、人や物事を受け入れられない自分に不甲斐なさを感じて自己嫌悪に陥っていたとき、自分に対して攻撃的になり、次第に怒りの矛先を他者や社会、環境に向けていました。これをアーサー・ケストラーが見事に指摘していました。

生命を「盲目的なダンスに還元することはできない」という意味が、そしてまた「人間の精神状態は心理学の主流派が人間の行動の凡例とみなした『パブロフの犬』『スキナーのネズミ』などの条件反射とは質が異なる」という意味が隠されていたからである。

アーサー・ケストラー

 つまり、自分のキャパや経験不足の問題ではなく「人間の精神状態が条件反射とは質が異なる」ことが原因であったようです。

 ここで、施設生活で起きた「ある出来事」を例に挙げます。ちなみに、施設は6畳一間に2段ベッドを敷き詰めた空間で3~4人が生活するという人口密度が高すぎるプライバシーなど全くない環境でした(笑)



ある施設での出来事

 昨日、仲間の観察経過を「ネガティブ・ポジティブ」で話すスタッフ・ミーティングで衝突が起きました。

 とある仲間のネガティブ面を話すとき、私たちが笑いながら話しているのを見た施設長が咎めました。

そんな話をスタッフ間で話して意味があるのか?
仲間のためになることを話し合ってほしい

と。どうやら仲間の悪いクセやネガティブな部分を見下したり、ただの陰口として捉えられたと感じた私ともう一人の仲間は「散々その仲間と向き合ってきたけど、これ以上介入すると自分が傷つくところまで色々試した。だからこそ、今の彼の現状を笑って話せるようになった」と話をしました。

 少し時間が経った後、私は施設長に「仲間はずれにしていると思われた」と感じ、その悲しさから次第に怒りに変わってしまいました。

 集団生活という人との距離の近さを考えれば、わずかな違いが後に大きな違いとなり、そのわずかな違いを放っておくと、すぐ衝突してしまいます。そんなシビアな生活環境で調和を保とうとしていたので、ショックを受けてしまったのです。

 自分の感情とうまく付き合えないときは一人で過ごすはずなのに、なぜか一人になりたくなかった私は、床の間では絶対に見ないテレビの前に座り込んでいました。その時、そっと仲間が声をかけてくれました。

あの場は、みんな黙っちゃったけど
生活している仲間はみんなわかってます

 この言葉でやっと肩の荷がおりました。自分の思いや行動を「証明する」とか「自分が正しい」とか「相手が悪い」とかそういうことじゃなく、「人の苦しみや不幸を笑う人だ」と思われたことが嫌だったのです。

 悲しみや苦しみが生命にとって非効率なエネルギーに思えても、自然は常に最高の効率を求めて進化しており、常に流動している。これが愛なのかどうかはわからない。

 「今」という状態は、過去の状態の「結果」であり、将来の状態の「原因」だから、「今」という時間に一所懸命になるしかない。

 一つの大きなビジョンのために、すべてが動き出し、そのためにすべての要素が必要だったと識ったとき、愛が強ければ強いほど、痛みや悲しみも大きくなった。人生の全ては深い悲しみに満ちている。

 しかし、愛はすべて包み込む可能性がある。本当の自分を知る痛みに耐える苦しみこそ、生の実感そのものかもしれない。

因陀羅網(インドラ・ネット)」より


エンディング

宇宙は入り組んだ一連の有機体レベルからなっており、各レベルは構造の面でも挙動の面でも特異な性質を持っている。

その性質はそれを構成する要素の性質に依存してはいるが、その要素が結合され上位の全体に変じたとき、はじめて姿をあらわす。

このように考えれば、それぞれのレベルに質の異なった法則が存在する事も合点がいく。

ジョセフ・ニーダム

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