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ミチ
老子 第一章
道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
現代語訳
これが「道」だと言い表せる様な道は、偉大なる不朽の道ではない。
これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない。
天地が創られた時には名など存在せず、万物が生み出された後にそれらは名づけられたのだ。
だから無欲な心をもってすれば、万物の深遠なる姿を見る事ができるだろう。欲望の虜のままでは、万物の上辺の姿しか見る事ができない。
これら万物の二つの姿はそれぞれ名前は違えど、同じ一つの根源から生じている。
その根源を「玄=深遠なる神秘」と私は名づけたが、その玄のさらに玄、神秘を生み出すさらなる神秘から、この世の全ては生み出されている。
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「自由は隷従なり」
「無知は力なり」
自由と平等を理想の上ではなく、現実的に見つめるためには「世の中は、自由ではないと認識する」「世の中は、平等ではないと認識する」必要がありました。
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私が普段使っている「平等」という言葉は、実は『公平』が正しいニュアンスであり、平等と公平の意味を私なりに解釈すると「平等とは機会を平準化して種を摘み取ること」であり、「公平とは機会を与え、種をまくこと」になりました。
TPPなどの自由貿易協定は「自由」ではなく「規制」された貿易であることをマレーシアのマハティール元首相が暴露。貿易を制するグローバリストは『自由』を主張して他国の国益を破壊し、その後『規制』によって新規参入を阻止する。pic.twitter.com/9wzw70WAxF
— あいひん (@BABYLONBU5TER) May 16, 2024
これは「民主主義」という言葉も同様、民主主義の本当の意味は「特権をなるべく作らないようにする」のが民主主義の基本だと思いますが、自由競争や自由貿易といった公平や公正に関する権利に聞こえる「自由」という言葉の魔力によって、多国籍企業や国際金融資本に代表されるグローバリストに有利な法律が次々と整備されているのが現状です。
グローバリストの策略によって、日本の経済活動は資本主義によって支えられているが、同時に共産主義思想を与えられているので「ねじれ」が生じ、時間と労働力の搾取が続いている。これが日本のマトリックス🪄 pic.twitter.com/TIOhTd1psG
— あいひん (@BABYLONBU5TER) January 25, 2024
これは、民主主義であるかのように行われている政治や経済活動も同じ状況であると言っても過言ではない気がします。
私たちは競争を強いられるシステムによって、生き残るために苦しまなければならない設定が与えられている。「良い子」でいることが、決して「良いこと」とは限らない。善悪の概念を超え、良心に従って創造的に生き、できるだけ未来を考え、全体的な視野をもつことが大切です。 https://t.co/csrSvnptUp pic.twitter.com/lANOTRFQUd
— あいひん (@BABYLONBU5TER) April 12, 2024
競争社会にいたころは、矛盾や苦痛を感じても、「〜のため」と頭の中で「言い訳」をしながら仕事をすることが多かったです。
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そのうち自己暗示にかかって「それが正しい」と信じ込むようになると自分に言い聞かせ、「自分とは何だったのか?」と自問しないよう努めましたが、不可能でした。これは政治や経済活動だけでなく、人間関係でも同じことがいえます。
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相手の気持ちを疎かにしていないか?
相手をしっかり見ようとする気持ちを
失っていないだろうか?
違和感や重たさを感じる価値観は他人から植え付けられたもの。
— shino (@snyker999) April 25, 2024
自分の価値観は軽やか。
意識が低い周波数のままでは、他人の価値観の重りに気付くことができず、
本当の自分で生きようとした時、はじめて他人の価値観の重たさに気づくことができます。
気づけば、切り離してしまいましょうか。 pic.twitter.com/B2wIQfMQyR
努力しても思い通りにいかないことがあるし、人に評価されないことも誤解されることもたくさんあります。結果を求めずに自分のやりたいことを続けるのは大変なことです。
自分の感情を自分が認め、「自己」の境界がはっきりしてくると、自分の中には自分だけがいればいいということがわかります。
— shino (@snyker999) May 18, 2024
いつしか、「自分」の中にたくさんの人が入ってきてしまっているので、一旦出て行ってもらいましょうか。
自分は自分の責任だけ取ればいいのでエネルギーが消費せず↓ pic.twitter.com/YmUOLLbRVS
しかし、人に照らされた道を進みたくないのであれば途中で投げ出さないこと。自分が取り組んできた経験が自分の道になると信じて、これからも歩みを進めていきます。最初から自分の人生に約束された「道」など、ないのだから。
⚫︎ヌーソロジーにおける人間の外面と内面の関係性
— 半田広宣 (@kohsen) May 14, 2024
人間の外面(主観的空間)… pic.twitter.com/Tqhse2L47K
自分=自らを分ける(内面と外面)
『意識』の定義は、
— shino (@snyker999) May 18, 2024
「自己」と「非自己」を分けることができるというもの。
元々一つの意識(ワンネス)は、「自分」というものを体験したく、自らを「万物」に分けました。
外界から自分の存在を認識してもらったとき、「自己」と「非自己」の境界線を構築することができます。↓ pic.twitter.com/02ptUXSCge
どこかに通じている大道を
僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た
足あとだ
だから道の最端に
いつでも僕は立っている
何という曲がりくねり
迷いまよった道だろう
自堕落に消え
滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められた
あの道
幼い苦悩に もみつぶされた
あの道
ふり返ってみると自分の道は
戦慄に値する
支離滅裂な
また無惨なこの光景を見て
誰がこれを
生命の道と信ずるだろう
それだのにやっぱり
これが生命に導く道だった
そして僕は
ここまで来てしまった
このさんたんたる
自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに
涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味を
はっきりと見せてくれたのは自然だ
私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷