おススメしたい海外文学~古典から近代まで好きな三作品~
こにちわぬん。ベビだす。
海外文学で好きなものは、ヘンリック・イプセンの『人形の家』やシェイクスピアの『マクベス』などがあります。
近代ですと、パウロ コエーリョの『悪魔とプリン嬢』なども何度も読み返した作品です。
イプセンの『人形の家』は、ラストシーンで主人公の女性が一行ごとに自立心を具現化していき、作中の夫も、そして読者すらも割り込む余地がないほど飛躍的に「一人の人間として確固たる意志を持ちそれを表明する」展開が圧巻の一言。
たしか『人形の家』は1800年代後半に書かれた作品だったはずです。
その当時、『女性の自立・自立心』が海外においてどれほど注目されていたのかはわかりませんが、少なくとも現代ほどではなかったはず。
その時代にこのようなテーマを作品にしようとした着眼点がまず凄い。
世の中にインパクトを与える作品・多くの人を勇気づけ、意識を変えることを可能たらしめる作品というものはまさにこのような作品を指すのではないでしょうか。
シェイクスピアの『マクベス』は、ストーリーだけでなく何よりも言葉の凄さですね。わたしは原文では読んでおらず、日本語訳を読みましたが、これは訳者に相当な力量がないと外国語になった時に名作とはならないかもしれない。訳者本人が「これほどの文章を書ける人は数万人の作家に一人」というレベルの訳者でなければ難しいと思います。
シェイクスピアは、それだけ言葉の使い方がまるで人間離れしているのです。
仮にシェイクスピアがわたしと同じ日本語を用いたとしても、話すことの短いセンテンスや書いたもののたった一行でさえ、「本当に同じ日本語なのだろうか」と思わざるを得ないほどのものを書くでしょう。
原文を読んでいないので、訳者の力も大きいと思いますし、それ以上に原文は物凄いかもしれませんが、けして「真似て書ける」ような言葉や文章を許さないのがシェイクスピア作品の凄さです。
『マクベス』については、「女から生まれたものはマクベスを倒せない」という仕掛けが作中にあり、これをどう突破するのかが読者をワクワクさせるポイントでもあります。
現代ですと、「えっ、そういう理由でその仕掛けクリアしちゃうの!?」となり得るので、本作を初めて読んだ当時学生だったわたしでも「それでクリア判定になるのか(笑)」とやや心の中で突っ込んだ箇所はありましたが、そこは時代によって心の中に形成された意識の差でしょう。
とにかく、全ての言葉とその最も美しい配置を才能で理解していると言わんばかりの「言葉」「文章」に酔いしれていただきたいです。
訳者が変わると本の印象もガラッと変わるところが海外文学作品の面白さでもあります。同じ作品でも、異なる訳者によって翻訳されたものを読み比べることも、海外文学の面白さの一つです。
パウロ コエーリョの『悪魔とプリン嬢』は日本でもヒットした近代の作品なので、「今売れている(人気)らしい」と当時読んだことがある方も多いのではないでしょうか。
同じ作者の『ベロニカは死ぬことにした』もヒット作なので、「読んだことはないけれど以前ヒットした記憶がある」人も多いはず。
わたしは『悪魔とプリン嬢』しか読んでいませんが、背表紙の簡単なあらすじだけで読者の興味を鷲掴みにする本です。
人間が悪を成さずに善を心がけて生きるのは、誰かが見ていたり、悪事が露呈すると罰を受けるからだ。では、「悪事が絶対にばれることがないと確約され、しかも悪事を成せば大きな成果(報酬)がもらえるならば?」
この提起はとても面白いですよね。
作者は哲学的なストーリーが得意なようですが、大変興味深い提起です。
この作品は、上記の提案を受けた小さな田舎町に住む人々の心の揺れ、その心理を実にリアルに描いています。
もしかしたら、このような心理実験というものを現実に行った心理学者や医師が過去にいたかもしれませんね。
そして、小さな田舎町に住む人々の下した「最終決断」とは......。
このエンディングもとても良く出来ています。
作品のエンディングも現実で起こり得る一つのエンディングであり、そして場所(舞台)と人(役者)が変われば別のエンディングもあり得るという余地を読者に残しています。
まだまだ紹介したい、わたしのとっておきの海外文学作品があるのですが、今回はここまでで!!
また別の機会に、琥珀ベイビーおススメの海外文学をご紹介できることがあれば是非読んでみて下さいね⭐
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