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大丈夫だからね

 いろいろともろもろを経て長めのお休みをもらうことになった。お医者さんはずっと異動か業務量を減らしてもらうかで環境の改善をと言ってくれていたのにどうしても七月まで仕事をやり遂げたくて、なのにどうしてもむりになってしまった。勝手に適応障害だと思ってたけど、そうじゃないらしくて、そうじゃないのか、と思った。

 休み始めてから一週間くらい経つけれどあまり状態に変化がなくて心配になる。気が晴れるよう自由に動いてみるといいよと言われて、自由っていちばんしんどいんだよなと再確認していて、仕事に追われていた毎日が、それが苦しくなかった時期が、いつか戻ってくるのだろうか。ぼくの精神の健康を支えていた仕事が、いつの間にかぼくの健康のいちばんの邪魔になっていて、生きていればそういうこともあるか、これを乗り越えたらまたぼくの側面が増えるか、つらい思いをしてまでそんな側面欲しくないけどね。
 処方される薬は強くなったし、頓服じゃなくてお医者さんの指示のもと毎日飲まなきゃいけなくなって、診断書に書かれた病名や処方される薬の変化に、休職という事実に、なんだろう、すごくびっくりしていて、傷付いている、簡単な言葉だけどそれが適切な表現な気がする。なんだかんだ言ってじぶんでじぶんのことめちゃめちゃタフだと思ってたから、そのアイデンティティが粉々にされたような気持ちになっているのかもしれない。

 そんな中で写真を撮る機会が二回あったんだけど、写真撮るのってまだまだまだまだいつまで経っても難しいけど、やっぱり楽しいね。同じカメラと同じレンズ使っても、これはカメラ界隈では当たり前なのかもしれないけど、うつる人とロケーションで全然違うものになるもんね。土曜に昭和記念公園で撮った写真はキラキラした写真になったし、日曜に神楽坂で撮った写真は渋くてかっこよくなって、なるほどなと納得したりした。天気も時間帯も大きく左右するね。

 あんまりネガティブになっても仕方がないだろうと客観的に思うので、いや客観的になんて言ってはみるけどポジティブネガティブをコントロールするのってめちゃめちゃ難しいよね、でもこのお休みは元気になるためのお休みとして計画的につかっていこうと思います。
 まずは心の健康と体の健康はつながってると思うので散歩と筋トレを継続する。これしてるときは結構調子よかったのにね、たまごが先か鶏が先かみたいな面もあるけど、これが出来なくなってから徐々にしんどくなってきたもんね。
 次に写真の勉強を続ける。季節って一年に一回しか来ないんだよね、これを最近ひしひしと感じている。春の写真を撮りたいと思っても、春は一年に一回しか来ないからね、夏もそう、秋も冬もそう。朝は一日に一回しか来ないし、日もいつか沈んでしまうんだよね。ひとの細胞も気持ちも毎秒変わっていくからね。写真を勉強し始めてから、毎日の不可逆性が身近に感じるようになった。でも不可逆であることってとても素敵なことだよね、過ごした時間はぜったいに嘘にはならないからね、そう考えると思い出をずっとしまっておける写真っていうものが、より一層好きになっちゃうね。
 あとnoteを書きたい。ぼくの中にたまっている整理した方がいいもの、捨てた方がいいもの、文章にして片付けたい。うまくなくていい、まとまってなくていい、いつかぼくが読み返したときに、いつかだれかが読んでくれたときに、少しでもその傷に手を当てられたらいい、モヤをはらえたらいい。顔も声も知らないだれかの文章に救われることが本当にある、同じ状況にいなくても、同じことで悩んでいなくても、心が軽くなることがある。心の隙間を埋めてくれることが何度もある。それに憧れて始めたnoteだからね、そうだね。

 大丈夫だよね、いろいろともろもろを経たら、また元気になれるからね、大丈夫だからね。

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