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お前の得意でひとの苦手を笑うな

「太っているのはじぶんに甘いだけだろ、デブは人間じゃない」
 反芻する。数日前または数週間前にSNSで流れてきた呟きだ。正月太りは甘えだ、おれはこんなに鍛えているぞという趣旨の呟きだった。どんな風貌だったかは曖昧であるが、メディア欄にはその鍛えたからだがずらりと並んでいたことを覚えてる。

「そんな言い方しなくてもいいのにね、直接向けられた言葉じゃないかもしれないけど、その言葉に傷付くひとがいるわ」
 仲のいい友人にそのことをこぼした。そんなくだらないことで悩まなくていいと、一蹴しないところが彼女の魅力だ。その広い胸に幾度となく助けられた。体型へのコンプレックス、体型を変えたいこと、そのひとつひとつが苦しいこと、たかがSNS上の顔も知らない他人の発信とわかっていながら、その言葉に傷付いてしまっていること。酸いも甘いも打ち明けている彼女からすれば、はじめて聞く内容は一つとしてなかったかもしれない。体型がどうであろうとあなたが素敵であることは変わらない、健康で清潔な範囲であれば、細い太いは好みの範疇だと彼女はいつも言う。

「それにいつもあなた言ってるじゃない、ひとには得手不得手があるって」
 この話も同じなんじゃない、あなたはそろそろ気付くはずよと、両手でかかえたマグカップを口元に運んだ。


 だれかに直接向けられた言葉ではありませんが、それでもその言葉にちくりと刺されるひとがいます。そしてそれがじぶんに向けられたものじゃなくても、じぶんに当てはまることであればなおさら、たとえじぶんに当てはまることじゃなくても、なんだか居心地が悪くなります。そしていつも思います。どうしてお前は、お前の得意でひとの苦手を笑いますか。
 ひとには得意不得意があります。歌うこと、絵を描くこと、机の上の勉強、お金を稼ぐこと、ひとと仲良くなること、それが得意なひと、苦手なひとがいます。外見の話も同じことだと思っています。
 筋肉がつきやすいか、脂肪がつきやすいか、どちらもつきにくいか、力を使うことが好きか、フォーム通りに体を動かすことができるか、時間やお金を割くことができるか、仕事などの本業の忙しさ、人生でなにに重きを置いているか、様々なコンディションがあります。
 たとえば年収一千万くらいのひとが「年収は最低でも六百万円くらいはないと人間的な生活はできない、そのくらいも稼げないのは甘えだ、努力が足らない」とか言ってたら頭おかしいじゃないですか。その優雅な生活をSNSにアップして自慢して「かっこいいー!」って言われるくらいにしとけ、それ以上いらんこと言うなって感じじゃないですか。
 ぼくは運動が苦手です。外出るためにある程度身なりを整えなきゃいけないし、ジムまで歩かなきゃいけない、筋トレは純粋に苦しいし、筋肉痛はめちゃめちゃ痛い。それなのに自分の意思で続けなきゃいけない。そこまで含めてぼくにはだいぶハードル高いです。ハードル高いというか、乗り越えなきゃいけないハードルが多すぎます。なので筋トレしてるひとってすごいなって思います。
 だからこそ思います、得意なひとは楽しくて、かっこよくて、周りの賞賛を浴びて、嬉しくて、それだけじゃだめなんですか。運動の習慣は健康に寄与するし、鍛え上げた肉体はかっこいい、それをSNSにあげて賞賛をあびる、こんなに頑張ってこんなにかっこよくなったんだぞって、それだけで十分じゃないですか。誰も嫌な気持ちにならず終わることはできませんか。その強い言葉で、お前はなにを守ろうとしていますか。そんな言い方しなくても、あなたは十分素敵じゃないですか。
 容姿や収入の話に限ったことではなく、せっかくの素敵な側面、その得意分野でだれかを傷つけるのはしたくないですね。とくに精神状態がよくないときは気を付けたいです。
 じぶんを大きく見せるためにそうじゃないなにかを否定するというのはとても簡単なことだと思います。そして気持ちがいい、最高のオナニーかもしれません。気付かないうちに、大切なひとが去っていくだろうと思います。

 余談ですが、じぶんの苦手と他人の得意を比べて落ち込まない、という習慣をつけてから、だいぶ生きやすくなりました。この話はまた今度聞いてください。

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