「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(5)
「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。
先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。
なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。
正直、なんの曲でもよかったのかもしれませんが、僕は指揮を始めたころのある時期「書かれた音楽作品をどう読み、咀嚼し、音にするか」というプロセスにおいて、とても大事なことを、たまたま「ピエロ」という作品に教わったので、その話です。
僕がこのイカれた作品とどう出会い、どう取り組み、これからどう向き合ってゆくか、というコボレ話。
13)ベルリン音楽大学・オペラ演出科
14)「帰郷」というコンセプトで
15)Frederikeの新しい「ピエロ」
16)衣装・舞台美術チームとの共同作業
13)ベルリン音楽大学・オペラ演出科
意外に知られてませんが、ドイツにはオペラの演出を専門的に勉強できる大学が3つあります(ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン)。
※ベルリン音楽大学のオペラ演出専攻のWebサイト
ちなみに入試では
-課題リストの中から任意に選んだオペラについて、コンセプトを提出(試験2週間前まで)、そのコンセプトについてプレゼンテーション
-2週間前に与えられるオペラの1場面について、学生歌手と一緒にリハーサル
-副科(ピアノとかソルフェージュ)
なんてことをやるらしいよ!
前回、Ramina Abdulla-Zadeの卒試を聴いてて提案を持ちかけてくれたClaus Unzen教授。彼の提案は
「月に憑かれたピエロ」
「兵士の物語」
それぞれを学生演出家の企画として取り上げること。それを一緒にやった2人は
「ピエロ」→Frederike Prick
「兵士」→David Merz
この2人は、僕が初めてマヌエルのアシスタントとしてベルリンドイツオペラのプロダクションに参加した「Neue Szenen II」で演出アシスタントしていました。
「ついに自分らのプロダクションが出来るね!」
そしていつしか「ピエロ」と「兵士」をまとめて1晩でやる、というアイデアになったのです。
14)「帰郷」というコンセプトで
3人でディスカッションを重ねながら出来ていったコンセプトは
-「ピエロ」「兵士」それぞれを「郷愁」の物語と読む
-それぞれ違う形の「帰郷」を描く
そして2人の演出家がそれぞれ持ち帰った結果、本当に独創的な「ピエロ」(兵士も)が出来るんですが、それは後ほど。。。
そして3人で、ベルリン中の劇場スペースを練り歩き、最終的に行き着いたのがKunstfabrik Moabit
そして出来た、最強にイケてるプラカードがこちら!!!
下段はロシア語で「兵士」!
そうしてDoppelabend プロダクション「Heimfahrt」はこの世に生をうけたのでした。
15)Frederikeの新しい「ピエロ」
Frederikeが持ってきたコンセプトは、僕の予想を遥かに超えてました。
[コンセプト]
ジロー/ハルトレーベンの詩が書かれた1880年代、それにシェーンベルクが音楽をつけた1910年代と、その30年の間に「芸術の受容」が大きく変化し、実はその2つの作品が、実はまったくコンプレックスだ、ということが最初の焦点です。
ジローの原作)
ボードレールに続く象徴主義的(観念に、感受できる形を着せる)、すごく平易に言ってしまえば「現実を離れ、夢を見るために読む」詩。
シェーンベルクの音楽)
その原作を利用して、音楽的に可能なかぎりの拡大解釈実験を施した、いわば「テクニックのためのテクニック」ものすごく現実的な側面。
その2つがまとめられないなら、あえて両方の側面から描く。
物語は、現実世界の「コンサート」から始まり、ゆっくり夢の世界に突入し、また現実に戻っていきます。
舞台上には2人:
男(俳優):作曲家シェーンベルク役
女(歌手):歌手アルベティーメ役
*アルベティーメ•ツェーメ=「ピエロ」を初演した歌手
第1部
「月に憑かれたピエロ」の、コンサート上演。アンサンブル•歌手•指揮者は、一般的なコンサートをするように入場し、始めようとすると、モニターの中の作曲家シェーンベルクが、僕らに指導します。
「ちがう!ワタシの作品はこうあるべきだ!!!」
しかし曲がすすんでいくうち、ゆっくりと夢の世界に入っていき、気づけばコンサート会場ではない。オーケストラはいつのまにまピエロの格好になってるし、あたりは真っ暗。
第2部
真夜中。モニターが消えて、男登場。もはやシェーンベルクでもアルベティーメでもない男と女(もしくはピエロとコロンビーネ)の、夢か現実かもわからないグロテスクな対話。もしくは「悪夢」
第3部
ゆっくりと夜が明けるにつれ、悪夢から覚めたピエロ。
気づくとモニタの中のシェーンベルクは、 相変わらずオーケストラと歌手に文句をつけている。しかし最終的にはオーケストラもモニターの中(シェーンベルクの側)に入っていってしまい、歌手もそれについて行くしかない。
※最後に「モニターに入っていく」というのは、第19曲が終わった後、アンサンブルと僕が退出し
Nr.20,
アンサンブルはモニターの中
歌手は生演奏
Nr.21,
アンサンブル•歌手ともモニターの中
こうして黒黒で始まったコンサートが
最後にはこうなってました。
新しい!
僕は「月に憑かれたピエロ」の、当時世の中で手に入るほとんどの上演例をみたつもりでしたが、こんなアイデアは初めてでした!
16)衣装・舞台美術チームとの共同作業
上述の通り、演奏家も衣装を付ける必要があり、僕は単純に音楽だけやっているわけではなく、積極的にディスカッションに加わる必要がありました。
ベルリン音大の演出科は、ベルリン・ヴァイセンゼー美術大学と提携していて、舞台美術・舞台衣装専攻の学生との共同作業。
会議は大体Davidのアパートでやるんだけど、若い芸術家達はそのままダラダラと居残り(主に野郎ども)、何度も夜が明けるまで哲学について議論したり、みんなで映画みたりと、ものすごく楽しい時間でした。そのコミュニティについてはまた別の機会に。。。
というわけで、「ピエロ」とりあえずやってしまいましたが、「ピエロ」こぼれ話はまだまだ続きます。